・迫害受け続けたユダヤ人、その紐帯が世界を変えた:玉木 俊明

「ディアスポラ」という言葉を耳にしたことはあるでしょうか。現代では、広く移民のコミュニティを指す言葉として使われることもありますが、もともとはイェルサレムから追放され、離散させられたユダヤ人とそのコミュニティを指す言葉でした。今回は、そのユダヤ人の「ディアスポラ」が世界の経済活動にどのような影響を与えてきたのかを見ていきたいと思います。

アシュケナジムとセファルディム

 前586年、新バビロニアの国王ネブカドネザル2世が、最終的にユダヤ人をバビロンに強制移住させました。歴史家はこれを、「バビロン捕囚」と言います。新バビロニアはアケメネス朝ペルシアに滅ぼされ、その時にユダヤ人も解放され、イェルサレムに帰還することが出来ますが、さらにその後、ローマ帝国により弾圧されるなどしたため、ユダヤ人は世界各地に避難していきます。以後、イスラエルの建国まで、非常に長期にわたり、故国なき民となったのです。

 故国を追われたユダヤ人は、主に二つの集団に分類されます。現在のドイツ語圏や東欧地域に移住した「アシュケナジム」と、イベリア半島に定住した「セファルディム」です。今回は特に後者のセファルディムに焦点を当ててみようと思います。
レコンキスタへの道

 7世紀の世界は、イスラームの世紀でした。イベリア半島に最初にイスラーム勢力が進攻したのはこの7世紀のことです。

 それまでこの地を支配していた西ゴート王国には、セファルディムも多く移住していました。しかし初期にはユダヤ教徒に寛容だった西ゴート王国は、次第に弾圧に転じるようになります。

 その西ゴート王国は711年にムスリム勢力のウマイヤ朝によって滅ぼされます。ウマイヤ朝は、人頭税を支払えば信仰の自由を認めてくれたので、ユダヤ人にとっては悪くない治世でした。

 しかし国土を奪われたキリスト教は、ムスリムの手から土地を取り戻そうとレコンキスタを展開。それにともなって、イベリア半島から徐々にユダヤ人が追い出されるようになりました。レコンキスタは1492年、スペインによって達成されます。ユダヤ人はスペインには留まれないことになりました。

 スペインにおけるユダヤ人の人口は、レコンキスタの過程で、当然ながら減少し続けます。レコンキスタ完了目前の1478年、スペインでは、約20万人のユダヤ人が暮らしていましたが、そのうち10万人は隣国・ポルトガルに移り住みました。

 1495年に即位したポルトガル王のマヌエル1世は、ユダヤ教徒に寛容でしたが、スペイン・カトリック両王の娘イサベルと結婚するにあたり、スペイン側からユダヤ人を追放するよう迫られます。

 しかし、ユダヤ人が経済的にも文化的に非常に重要な役割を果たしていることを知っていたマヌエル1世は、何とかして彼らを国内に留めようとします。そこで彼は形式的に、1497年3月で全ユダヤ教徒がキリスト教徒になったことにしたのです。

 この時に、“形式上”、キリスト教徒に改宗した人たちを、新キリスト教徒と呼びます。内心ではユダヤ教を信仰することも事実上黙認されたわけですが、それはいつ糾弾されるかも知れぬ生活を送るということでもありました。事実、その後、スペインやポルトガルでは苛烈な「異端審問」が行われるようになるのです。

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(嘆きの壁で祈りを捧げる人々)
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2019.7.6(土)JB Press
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