・動画:スターリン時代の「粛清」、ナチスの空撮写真で埋葬地を特定 モスクワ

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【1月10日 AFP】ロシアの歴史学者と考古学者のチームが、ナチス・ドイツ(Nazi)の爆撃機パイロットが撮影した写真を手掛かりに、旧ソ連時代に独裁者ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)の秘密警察によって射殺された人々の遺体が大量に埋められた場所を特定した。

 モスクワ南西部コムナルカ(Kommunarka)地区にある遺体の大量埋葬地の存在が初めて公になったのは、旧ソ連崩壊の直前、ソ連国家保安委員会(KGB)が文書記録を公開したときだった。そこは、スターリンの秘密警察だった内務人民委員部(NKVD)が、1930年代にモスクワで使用していた3か所の処刑場の一つだった。

 歴史学者らは、1937〜41年の間に少なくとも6609人が射殺され、コムナルカの集団埋葬地に遺体が埋められたと考えている。

 周囲から区切られたこの地域の森林はかつて、NKVD長官だったゲンリフ・ヤゴーダ(Genrikh Yagoda)氏が別荘地として使っていた。だがヤゴーダ氏自身もスターリン政権と衝突し、1936年に解任、38年に射殺された。その遺体もコムナルカに遺棄された可能性が高い。

 最近まで、遺体の大量埋葬地は、犠牲者の遺族が追悼碑を建てた森林内の一画にあると考えられていた。だが、歴史学者らは現在、埋葬場所は誤認されていたと考えている。

 グラグ(Gulag)と呼ばれる強制労働収容所の歴史を扱う「グラグ歴史博物館(Gulag History Museum)」の館長で、今回の調査を共同で指揮したロマン・ロマノフ(Roman Romanov)氏によると、コムナルカに関する本格的な考古学調査はこれまで全く行われたことがなかった。「(コムナルカには)何もなかった。みんながキノコ採りをするくらいだった」

 スターリン時代のさらに大きな処刑場だったモスクワのブトボ(Butovo)地区に比べると、コムナルカでの調査規模は小さい。だが、コムナルカに新たな追悼施設を設置するにあたり、歴史学者らは、遺体が埋められている正確な場所を突き止めたかったとしている。

■ナチスの写真が手掛かりに

 調査の鍵となったのは、ナチスの戦闘機パイロットによる1942年のモスクワの空撮写真だった。埋葬場所がまだ「出来たて」のころだ。この写真によって、当時の付近一帯の木の高さが確定できた。

 歴史学者は、これらの木の一部は、遺体が埋められたばかりの場所に植えられたと結論付けた。NKVDが処刑の痕跡を消すためによく使っていた手段だ。次は、犠牲者の遺体が実際に埋められた穴の特定に移った。

 スターリン時代の犯罪について記録や実証を行っている人権団体「メモリアル(Memorial)」の幹部、ヤン・ラチンスキー(Yan Rachinsky)氏によると、1937〜38年のスターリンによる「大粛清」では、モスクワだけで約3万人が射殺されたと推計されている。

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(イメージ画像)
https://gdb.rferl.org/E311031F-CB93-45A5-9D7F-F24371662A46_cx6_cy17_cw88_w1200_r1_s.jpg

2019年1月10日 16:27 AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3205879?act=all