>>395

人間の善だけでなく醜さとも向き合った自由主義者とは違い、自らは徳に溢れた聖人であるという孔子

だが孔子の考える聖人君子など存在しないし、したこともない。なぜなら孔子が脳内で自身が思い描く君子像を妄想した存在だからだ
孔子は君子として君臨したこともないし、孔子の出会った君子は例外なく聖人君子ではなかった
もちろん聖人を知らぬ偽物の聖人である孔子には、聖人と名乗る資格はない

自由主義者ジョン・アクトン(共産主義・似非リベラルとは全く違う)は言う

Great men are almost always bad men, even when they exercise influence and not authority

聖人がいても、周囲が悪意のもとにある状態であるならば、戦わねばならない
なぜなら自らが聖人になっても、他人が自らの考える聖人になってくれる保障も理屈も存在しないからだ

不完全で悪の一面は誰にもある以上、それを肯定し尚、善のために戦うのが自由主義者の道となる
個々は自由に可能な限り良い人間となり、自由に良い法律を作り、自由に良い社会を作る
もし悪党が善人を攻撃したり、自由な社会を破壊したり悪用するなら、必要悪として悪(sin eater)と
なっても断固として戦う

それを超えた理想社会や完全平和を約束するものは、詐欺師の虚偽に過ぎず、それこそ社会の最悪の詐欺師集団である事が濃厚

最悪マキャベリの言うところの絶滅・根絶の選択肢が必要な悪党は世に存在する
(悪党の例:厚労省、法務省・裁判所、連合、全労連、共産党、中間詐取業者、反米陰謀論者、反キリスト教、共産主義者、全体主義者)