>>191

クーデターの成否には見過ごされている条件がある
悪党を(生命または社会的)駆除する場合には、社会的に知られた上位者ほど説明責任が伴うだろう

だが説明責任とは説明することよりも、相手に弁明ができないほどの悪行の証拠を集めることを意味する

そのためには悪党に選択をさせる余地を与えることだ
自ら改革ができない無能・悪党であり、自らの利益しか考えない邪悪な連中であることを明快に公に紐解くことも
クーデターの実行者には問われる

悪党は所詮は絶対少数派であり、まともな自由主義に移行するにも、まったく無根拠な妄想を事実では不可能だからだ

駆除の主体は軍隊ではなく、必ず民兵となるべきで、その全責任は首謀者にかかるだろう

民兵の首謀者も悪党を屠殺後にそのまま死ねば良いというものではない
血盟団のように醜く逃げ続け、裁判で自らの主張を浸透させるという行為も必要となりえる
クーデター政権に一旦恩赦させる等の方式もないわけではないが、それに成功した事例は9月30日事件やチリ・クーデターだが
やはり自己の利益を図ることを防ぐためには、基本路線としては死ぬべきだろうが、その状況に合わせて柔軟に対応するということだろう

クーデターの成功条件はどれだけ悪党を殺すことができるかにかかってくるのであり、今後日本でおきるクーデターは
明治維新をより効率的に柔軟にしたものになると予想する