スペインで、1975年まで36年間、独裁を敷いたフランシスコ・フランコ総統の墓を近く移転する方針をサンチェス首相が先月発表し、波紋を広げている。墓はフランコがスペイン内戦(36〜39年)勝利後に建造した慰霊施設にあり、首相は「民主化時代にふさわしくない」と主張するが、歴史問題が国内の対立を招くという懸念も強い。

 墓はマドリードの北西約40キロの「戦没者の谷」にある。森林の中にそびえる約150メートルの十字架と大聖堂からなる施設で、フランコが、内戦の戦没者をたたえて葬るために建設した。工期は18年間に及び、左派の政治犯が労働を強いられた。フランコ自身も死後、大聖堂に埋葬された。

 埋葬された約3万人の中には左派兵士もいるが、家族に知らされず、現在も身元不明になっているケースが多い。施設は「右派の勝利」の象徴とみなされ、独裁による弾圧の犠牲者は調査を求めてきた。

 サンチェス首相の社会労働党政権は6月に発足したばかり。首相は7月半ば、国会で「長年の(歴史の)傷痕を埋めるときが来た」と述べ、施設からフランコの墓を撤去するため、国会に承認を求める方針を示した。墓の移転先は明らかにしなかった。

これに対し、フランコ支持者ら右派の数百人が「絶対に阻止する」と訴え、現地で抗議集会を実施。前与党の保守系・国民党は「古傷を広げるだけだ」として墓の移転に反対した。

 社会労働党は国会で保有議席が4分の1に満たないが、急進左派ポデモスのほか、右派新党のシウダダノスも「ファシストの記念碑は民主国家に不似合い」との立場で、移転に前向きな立場。これらの政党が支持すれば、墓の移転案は過半数の賛成で採択できる。

 だが、墓の移転をめぐる論議が、独裁による弾圧の責任追及に発展すれば、国を再び分裂させかねないとの指摘もある。7月の世論調査では「移転に賛成」は41%にとどまった。

 スペインは1939年の内戦終結後、フランコが75年に死去するまで右派独裁が続き、労働組合や左派は弾圧された。77年には政治犯への特赦が法で定められ、独裁下の弾圧や内戦の傷痕を「あえて忘れる」ことで左右両派が合意。78年の新憲法で民主国家として再出発した。

 2007年には、当時の社会労働党政権が「歴史の記憶法」を制定。弾圧犠牲者の調査支援、遺族への補償などを定めたが、11年に国民党のラホイ政権が発足し、実施は進んでいない。



【プロフィル】フランシスコ・フランコ(1892〜1975年)

 36〜39年のスペイン内戦で左派の共和国に対し、右派反乱軍を率いて勝利。内戦中から「総統」を名乗った。内戦後の独裁体制では左派やカタルーニャなどの地域主義を弾圧。犠牲者は数万人とされるが、明らかになっていない。50年代以降に「スペインの奇跡」と呼ばれる経済成長を実現し、国内には現在も根強い支持者がいる。

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