椰子の木茂る南洋の島から京都嵐山、和歌山白浜と移り、いま英国にある旧日本軍の「九五式軽戦車」の里帰り計画が進んでいる。
国内外の戦車マニアが手を結んだ計画のカギを握るのは「メイド・イン・ジャパン」の機械部品。
英国人オーナーが探し求める約70年前の燃料ポンプだ。
英国とポーランド、そして日本の関係者が「日本にならあるはず」と“夢のかけら”を探している。

■世界史“生き証人”戦車…英国・ポーランド・日本で団結、あとは「燃料ポンプ」求む

 里帰りを待つ戦車は第二次大戦時、
日本の信託統治領だった西太平洋のポナペ島(現ミクロネシア連邦ポンペイ島)に配備されていたが、
島に米軍の侵攻はなく終戦。以降スクラップとなっていたが、
昭和56(1981)年に京都嵐山美術館の館長が私費で日本に持ち帰り、同館で展示。
平成3(1991)年の同館閉鎖後は和歌山県白浜町の展示施設「白浜ゼロパーク」に移ったが、
同パークも諸般の事情で平成14(2002)年に閉鎖。
2年後、零戦など多くの収蔵品は売却され、九五式は英国人の著名な戦車コレクターのA氏が買い取り、英国に持ち帰った。

 その後、平成23(2011)年に、
静岡県御殿場市で戦車や装甲車を近代日本の技術資料として保存するための博物館設立を目指すNPO法人「防衛技術博物館を創る会」が設立。
「本物の日本の戦車を展示したい」と考える小林雅彦代表理事ら会のメンバーが思い浮かべたのは、
いったん里帰りするも英国へ渡った九五式だったが、英国人コレクターのA氏が売買に応じる可能性はないと見られていた。

 大金で購入して日本から運び出し、ポーランドの修復専門家に預け、外観はもちろん内部まで再現。
さらに完全走行を目指して資金を投じているとの情報が入っていたからだ。

 転機が訪れたのは昨秋。英国に拠点を持つ無可動実銃の輸入販売店「シカゴ・レジメンタルス」(東京都台東区上野)の社長で同会の賛助会員の宮崎昌幸氏が、A氏と懇意となり「日本人になら売ってもいい」と打ち明けられた。A氏は「日本の戦車なのだから、日本にあるのが最も良い」と考えていたという。ただし、譲るには“条件”があった。

英国には世界最大級の戦車博物館「ボービントン戦車博物館」があり、
毎年6月「タンクフェスタ」が開催される。そこでは、完璧に修復された独タイガー戦車など第二次大戦の戦車多数が、
観客を前に往時さながらの迫力あるデモ走行を披露する。A氏が大金を投じて叶えようとしていた夢は、
戦車マニアの聖地ともいえるボービントンの同フェスタで、完璧に修復された日本製九五式軽戦車の走行を披露することだったのだ。
(九五式軽戦車…ほかの写真はこちら http://www.sankei.com/west/photos/180510/wst1805100040-p2.html

 A氏は世界各地の知人友人の協力で部品を集め、走行の要となるエンジンも三菱製オリジナルの空冷ディーゼルを搭載。
ほぼ修復は完了したが、どうしても手に入らないのが燃料ポンプだった。

戦車マニアで専門家でもあるポーランドの修復作業スタッフや小林氏らの調査によると、
九五式軽戦車のエンジンに使われた燃料ポンプは、三菱製の2種と新潟鐵工所製、神戸製鋼所L5型−の4種類。
当時、戦車兵や整備兵だった人たちが記念に持ち帰っている可能性があり、
受け継いだ子孫が「何か分からないまま納屋にしまっていたりするのでは」という。

 また神戸製鋼所では戦後から昭和40(1965)年ごろまで続きの品番の「L6型」を量産。
小林氏によると、戦時中の機械部品を戦後も製造し続けることはよくあるといい、機械としてはほぼ同一製品に近いとみられる。
L6は船舶用ディーゼルエンジンの燃料ポンプとして量産されており、
小林氏は「漁港の片隅にある古いエンジンにL6が付いている可能性もある。ぜひ情報を寄せてほしい」と話している。

続きはソースで

画像:エンジンの搭載を待つ九五式軽戦車。操行装置はオーバーホール完了している
https://www.sankei.com/images/news/180510/wst1805100041-n1.jpg

産経ニュース
https://www.sankei.com/west/news/180510/wst1805100040-n2.html