0001虎跳 ★
2017/11/30(木) 09:40:35.90ID:CAP_USERミンダナオ地方マラウィ市で10月23日まで5カ月続いたイスラム過激派との戦闘中、人質となった住民らが、過激派の爆弾製造の手助けを強いられていたことが過激派側が撮影した写真で分かった。
日本人フリーカメラマンの八木貴史さん(47)が29日までにマラウィ市で軍に近い関係者から入手した。写真には、ろうそくの明かりの下で幼い子どもを含む人質たちが、爆竹など花火の火薬とみられるものを取り出す作業風景が写っている。
写真はマラウィ掃討作戦後、軍が回収した過激派のスマートフォンなどに残っていた。関係者によると「人質は火薬に金属や鉄球などを混ぜ、手製爆弾を作らされていた」という。
マラウィ市では国軍兵士と警察官165人が死亡しているが、うち半数近くが手製の仕掛け爆弾や路上爆弾の犠牲者だった。
写真には覆面をした過激派グループが、人質を洗脳するためか、講義のようなことを行っている風景もある。
写真の中の過激派の多くは「イスラム国」(IS)のサインである人差し指を上に立てて写っている。その中には10代半ばとみられる少年もいる。
一方、人質たちは頬がこけ、憔悴した様子で、食料も十分渡されていなかった可能性がある。
八木さんは先週、軍とともにマラウィ市東部の旧戦闘地域に入り、破壊が生々しい様子も撮影した。中心部の様子について八木さんは「いったいどれだけの銃弾や爆弾が使われたのかと思うほどすさまじい破壊ぶりだった」と語った。
中心部の主要道路は歩けたが「破壊された建物の中にはまだ爆弾が残っているため、決して入らないよう軍から命じられた」という。
まにら新聞
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