0001鳥獣戯画 ★
2022/09/27(火) 08:10:04.73ID:CAP_USER国道180号から魔法神社に向かう県道306号(賀陽種井線)は、「険道」と呼びたくなるほど細く、曲がりくねっていた。車で15分ほど登った峠の道路脇に、「魔法神社」の石柱が立つ。参道入り口にしつらえたしめ縄をくぐり、60段の石段を登ると、木々に囲まれたほぼ円形の境内が現れた。広さは保育園の平均的な園庭くらいのイメージだ。
拝殿のさい銭箱の横には50センチほどの真っ青なタヌキの像が大小計4体。ビールや水などが供えられていた。像はさほど古いものではないようだ。参道も境内も草刈りや清掃が行き届いており、地域の神様として地元の人たちが大事に守ってきたことがうかがえる。県道からも離れており、聞こえるのはセミの音だけ。厳かな雰囲気があった。
■「摩利支天」が変化
地元の人たちに「魔法さま」と呼ばれている魔法神社。気になる名前の由来について、宮総代の井上憲司さん(70)が「元々この地にあった神社に祭られた『摩利支天』が転じたのではないか」と教えてくれた。「摩利支天」は仏教の守護神で、陽炎(かげろう)が神格化した神様。一文字目の「摩」の字が似ており、そこから変化したと思われるという。
槁(けやき)地区は高梁市、吉備中央町と境を接する総社市の最北端にある。かつては30戸以上あった集落はほぼ半減。井上さんは「私が子どもの頃には拝殿前に牛の市が立っていた。コロナ禍までは8月下旬に祭りを開き、花火を打ち上げていた。高梁市、吉備中央町から見物にたくさんの人が来てにぎやかだった」と振り返る。
「総社市史 民俗編」にも「境内の碑の下面に『為牛馬繁栄』と刻んである。牛飼いの盛んなころには遠方からも参詣人が集まった。高梁の家畜市場からは毎年参詣した」との記述がある。広い境内があるのは牛を連れて参拝しやすくするためと推察される。
拝殿に置かれたノートには関東地方など遠方からの訪問者の名前が書かれていた。ツイッターやインスタグラムで「魔法神社」で検索すると、「(ゲームドラゴンクエストの強力な呪文)メラゾーマが使える魔力を授かりました」「イヤイヤ期の子どもの叫び声のボリュームを下げられる魔法が使えるようになーれ?」「♪マハリークマハーリタヤンバラヤンヤンヤン(アニメ魔法使いサリーの呪文)」などと、それぞれがユーモアたっぷりに書き込んでいた。
「集落が高齢化し、コロナ禍もあって祭りがなくなってさみしい気持ちもあった。名前が注目され、こんな田舎を取り上げてもらう機会が増えてうれしく思っている」と井上さん。祭る神について聞くと、「キュウモウというタヌキの伝説から、タヌキを祭っているとされているが、詳しいことは分からない」と言う。
■民話に起源
もう一つの「魔法」がつく神社が、槁地区から北東方向約20キロの「魔法宮 火雷神社」。タヌキに関する民話が複数残っており、タヌキを祭る謎を解明する手掛かりがつかめそうだ。
県道306号を抜け、山あいの迷路のような道を通って「吉備中央町上田西158」を目指す。車を停められる場所からスマホの地図アプリを手にうろうろ。ようやく道路わきに「魔法宮 火雷神社」の石柱を見つけた。
両脇に木々が生い茂り、車で通るのは難しそうな山道を200メートルほど進むと、建物が見えた。拝殿の正面に高さ3メートルほどある立派な石造りの鳥居があり、上部中央に「火雷神社」と彫られた額束が掲げられている。さい銭箱や、お参りの際にガランガランと鳴らす本坪鈴もあった。しめ縄も施され、きちんと手入れされているようだ。
この神社に関しては、「吉備中央町のむかし話 岡山『へその町』の再話集」(立石憲利、吉備中央図書館編著)などに、さまざまな伝説や昔話が収録されている。微妙な違いはあるが、概ねこういう話のようだ。
※以下リンク先で
(まいどなニュース/山陽新聞)9.27
https://maidonanews.jp/article/14727945