『ルパン三世』最終回で、宮崎駿がルパンを「ほぼ登場させなかった」深い理由 [鳥獣戯画★]
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現代ビジネス 10/15
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/88301
「いままでのルパンは全部ニセモノ」
10月15日、金曜ロードショーで『ルパン三世』アニメ化50周年を記念し、過去のテレビシリーズ作品の4話が放送される。
これらは最新シリーズである『ルパン三世 PART6』を除き、1971年に放送を開始した『ルパン三世(第1シリーズ)』(以下『旧ルパン』)から2018年の『ルパン三世 PART5』まで、過去5つのテレビシリーズ全276話の中からファン投票によって選ばれた4作で、順位とタイトル、該当シリーズと初回放送日は以下の通り。
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第1位『さらば愛しきルパンよ』(『ルパン三世(第2シリーズ)』第155話1980年10月6日)
第2位『ルパンは燃えているか……? ! 』((『旧ルパン』第1話1971年10月24日)
第3位『ルパン三世は永遠に』(『ルパン三世 PART5』第24話2018年9月19日)
第4位『死の翼アルバトロス』((『ルパン三世(第2シリーズ)』第145話1980年7月28日
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注目すべきは、第2シリーズともいうべき1977年放送開始の『ルパン三世』(以下『新ルパン』)から2作、宮崎駿が照樹務名義で絵コンテ・演出を担当した回がランクイン、それも『さらば愛しきルパンよ』が第1位に選ばれていることだ。
確かにいまでは名作と名高い2作ではある。しかし、実はこの2作は放送当時『ルパン三世』らしくない、と賛否両論が起こった回だった。特に『さらば愛しきルパンよ』は『新ルパン』の最終回でありながら、同シリーズでのそれまでのルパンを否定する意図で描かれた異色作なのだ。同作について宮崎駿は1982年に行なわれた講演で、こう語っている。
「もうこれ以上、ルパンとかかわることはないだろうと思い、いままでのルパンは全部ニセモノだったというトッピな話にしたんです」
『旧ルパン』、映画『ルパン三世 カリオストロの城』、そして上記に挙げた『新ルパン』の2話。「ルパン三世」シリーズでも極めて人気の高い作品を手掛けながら、なぜ宮崎駿はこうした心境に至ったのだろうか。本稿では宮崎駿と『ルパン三世』の複雑な関係について、資料と私見を交えながら考えていきたい。
「やりたい放題やったなァという気分」
ルパン三世のトレードマークでもあるフィアット500[Photo by gettyimages]
ご存知の方も多いと思うが、宮崎駿が「ルパン三世」シリーズに参加したのは、『旧ルパン』の中盤からだ。まだアニメがテレビ漫画と呼ばれ、幼児・少年少女向けだった時代に、青年大人志向の作品を目指して演出・大隅正秋のもと東京ムービーとAプロダクション(現・シンエイ動画)を主体として制作された。
いまでこそこの『旧ルパン』の評価は高いが、放送当時は視聴率が振るわず、序盤の数話が放送された時点で路線変更が決まり、大隅正秋が更迭されてしまう。その後釜に抜擢されたのが『長くつ下のピッピ』のテレビアニメ企画が頓挫した高畑勲と宮崎駿だった。
2人は第7話の「狼は狼を呼ぶ」以降、Aプロダクション演出グループとして参加した。名前を出さなかったのは、先のスタッフへの配慮からだという。すでに放送が始まり、全23話の大半はシナリオもあがっている状況だった。そこから高畑勲と宮崎駿は素材を取捨選択していき、自分たちなりのシリーズの方向性を定め始める。
その結果、大隅正秋が手掛けた前半のクールで倦怠感を醸しながら時には殺人も辞さないルパン三世像は、後半には好奇心旺盛でチャンスに貪欲な宮崎駿曰く「イタリアの貧乏人」となった。ルパンの乗る車がベンツSSKからフィアット500に変わったのがその変化の象徴だろう。
宮崎駿は後日「ルパンはまさしく、時代の子だった」と題した文章のなかで、こう語っている。
「スタート時のルパンは、しらけの世代。(中略)倦怠(アンニュイと呼べといわれた)をまぎらわすために、ときたま泥棒をやってみせる男として基本設定された。(中略)けれどもぼくらはしらけてなんかいなかった。(中略)ぼくらはまぎれもなくハングリーだった。スカッとしたおもしろい仕事をやりたい願望と気力は、いくらでもあったのだ」
宮崎駿のルパン三世への思い入れ、感情移入の強さがひしひしと伝わってくる文だ。
しかし、こうしたテコ入れも功を奏さず『旧ルパン』は、視聴率が低迷したまま1972年3月に全23話で終了を迎える。
同シリーズを通して作画監督とキャラクターデザインを務めた、東映動画時代の宮崎駿の先輩でもある大塚康生も、著書『作画汗まみれ 改訂最新版』のなかで、『旧ルパン』の終了について「難産のすえ短い期間で打ち切られ」とする一方で、現場的にこれ以上の話数の制作は不可能だったであろうとも記している。
(以下リンク先で)
山田さん亡くなってクリカンに代わってから見てなかったが
なんとなく今日テレビでやってた『ルパン三世は永遠に』を見てしまった・・・
見なきゃよかった・・・なんなんあれ・・・ルパンって素顔じゃなかったのか?
すっごいモヤモヤしてる (なお、声は銭形以外は受け入れられた模様) 他の誰より次元の声が生きてて嬉しかった
最新作の追悼第1話は声が出てなさすぎて悲しすぎた >>63
あれの何が糞って原作では偽物のルパンがやった行動そのものなんだよな
確かに素顔は違うってネタは原作だが、原作ではあんなふうに自ら晒したことも話したことすらない
はっきり言って宮崎ルパンなんかより遥かに原作に対する冒涜だよ >>14
ネギ食え!ネギ!日本人だろうが!
ネギが多かったわけでないぞ
次元と五エ衛門が肉ばっか食ってたからだ >>59
新しけりゃあいいってもんでも無いだろ。
名作は永遠にだ。
だいたい、じゃあどんなのだったら恥ずかしくないんだ? 昨日「さらば愛しきルパン」を見てたら
ルパンとラムダが地下鉄を使って逃げる場面があったよね。
その前後にアナウンサーが「今度は南北線川越駅で目撃されました」というような意味の
報道をしたように聞こえたんだけど、これって製作が1980年。
南北線のオープンは1991年。なんで南北線が登場したんだろ。
それとも空耳?
教えて、エロイ人 ガキの頃に再放送で「さらば愛しきルパンよ」を観たときは驚いたな。
すでにナウシカもラピュタも観ていたから、ナウシカやラピュタのロボットが出て来るんだもん。
はやおを知らなかったから「なんで?」と頭の中疑問符だらけだった。
もちろん、ルパンが銭形に化けていたというラストのどんでん返しにも驚いたけど。 >>26
だから昨晩のパート5最終回で突然
ルパン三世顔は変装だった
正体はコナン君の犯人だとバラしたのか >>69
葉桜は黄桜をもじったもの
架空の路線名にしたら実現しちゃったんだろ >>54
そんなんで劇場映画作れないだろw
一作目のマモーだって大仕掛け入れてるし ロボット兵はフライシャーのアニメスーパーマンからのオマージュで有名だけど
新宿上空のフライトシーンはクリストファーリーブの1978スーパーマンのオマージュだよね
全てスーパーマンで固めるとこがさすが
https://i.imgur.com/HCGn9C9.jpg
https://i.imgur.com/htl4qwJ.jpg >>74
カリオストロの結婚式行進は
ゴッドファーザー2のイタリア人祭りシーンそっくしだった
映画元にするしかない時代かな 宮崎駿のルパン→不人気打ち切り
宮崎駿が蔑んだ赤ルパン→大人気現在に至る国民アニメに
宮崎駿「ぐぬぬ(悔)」→全否定して溜飲
それだけの話なのよw
スッゲー大人げない話なのだw
...でも宮崎駿の「本来のファン」は、そういう大人げない宮崎駿が好きw >>69
計画自体は60年代からあったらしいから、当時未開通だったのを利用したんじゃね
で、時間が経って実際に開通した >>22
もしかして・・・落語家・桂歌丸の奥様も不二子某なのか? >>76
大人気ないけどそれを反骨精神にして映画作りに邁進したパヤヲは偉いわ こういうのでわるのは「パヤオだから誉めてる奴ら」だらけな事だよな。
もし仮に、作ったのがパヤオ以外の奴だったら、こいつら今と真逆の事言って叩くだけで、一切誉めてないだろうか、な。 初放送の時「面白いけど、これはルパンじゃない…」と思った記憶 ビューティフルドリーマーの設定でのルパンを見てみたいな >>80
作画の良さは誰の目にも分かるよ
まあ、評価するのは作画マニアだけになっただろうけど 泥棒が主人公 つまり犯罪者を物語の中心にすえて
なおかつ、活躍に拍手喝さいを与えなけれないけない
まっとうな社会生活を営む大人ならモラルとして到底作ることができなかった
でもこういうヒーローが生まれたのはその当時の社会の若者の
戦争起こした大人社会への行き場のない怒りと破壊衝動だった
権威を笑う 国を出し抜く そんな痛快さがルパン三世の醍醐味のはずだった それが宮崎駿によって完全に書き換えられた
盗みも殺しもできないちょい悪おじさん奮闘記(ロマンスあり)になった
ルパンを見てカッコいいと強盗に走る奴とかまずいないだろう
泥棒が活躍しても害にはならない極めて珍しいヒーローとなった。 しかし、最近になってまたもや「犯罪者を主人公にする」という葛藤が始まってきた
原点に帰ろうにも、もう今の社会情勢は一作目当時とまったく違うから支持を得られるかどうか。 とりあえず宮崎駿の理想の女性像がナウシカっぽい子というのはわかった
シータも同じ部類に入るのだろうか? > (中略)けれどもぼくらはしらけてなんかいなかった。(中略)ぼくらはまぎれもなくハングリーだった。
>スカッとしたおもしろい仕事をやりたい願望と気力は、いくらでもあったのだ」
金ローの見たけどコレは感じたわ
エネルギーが溢れてた
後の未来少年コナン、ナウシカ、ラピュタが生まれるベースがすでにこの時にあったんだな、と
30分アニメなのに映画並みのクオリティで描き込みが半端なくて
過労死しなくて良かったわ よくわかってなかったけどカリ城ってテレビ2作目のあとなのか? 他の人が何回か挙げてたが
1980年10月6日放送 ルパン三世part2最終回「さらば愛しきルパンよ」
1984年3月11日 風の谷のナウシカ
1986年8月2日 天空の城ラピュタ 初演出 未来少年コナン
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初監督 ルパン三世カリオストロの城
↓
死の翼アルバトロス
↓
さらば愛しきルパン
↓
名探偵ホームズ
↓
風の谷のナウシカ
↓
天空の城ラピュタ
↓
となりのトトロ
↓
魔女の宅急便 監督って役職が何故か無かっただけでコナンが事実上の初監督だぞ >>76
大塚康生がPart2のスタッフから「視聴率がPart2の方が高いから
Part2のルパンが本物でPart1のルパンは偽物」と馬鹿にされた話を
知ってたら宮崎の意趣返しも理解できる >>96
風魔一族で声優総取っ替えしたのも大塚さんだしな
大塚さん最高! >>8
天才でない人間の二次創作の始まりはまずは原作批判でしょ、俺ならばやらないよなあの積み重ねで創作することで個性を出す訓練していつか将来は完全オリジナルできてよかったね >>97
逆に言うと、作品を私物化してるとも言える >>94
クレジットで名前出てないだけで初演出と初監督はファーストルパンの監督代行かと 泥棒がヒーローとか
暗殺者がカッコいいとか
平和ボケしてるんだよ >>94
そのリストの上のほうで赤毛のアンとかやってたよ
パンダコパンダとか
昔の日テレでやってたドラえもんも関わってたはず
名前出てないだけでかなりいろいろ仕事してるはず >>103
宮崎駿の監督作の経歴リストだから
もちろん高畑監督のホルスやハイジやマルコやアンで物凄い演出以上の仕事をしてたのはみんなよく知ってる
ルパン1stもね
でも本当の演出家デビューは未来少年コナンだと思うよ
でもこれも高畑さんに相当助けてもらったんだけどね
高畑さんは言わないけど事実上共同監督作だったと思うよ 深い理由なんてない
別に自分の作ったキャラじゃないから愛着がないところに
自分の作りたいストーリーに必要なかったから出さなかっただけ >>103
赤毛のアンとパンダコパンダはあくまで場面設計(パンコパは原作兼任)で
監督は高畑勲じゃなかったかな 何気に下積みが長い人
でもその下積みが一流コーチによる一流指導 新津のトミノ展ついでに高畑勲展行ったら、駿の原画やレイアウトいっぱいあったわ
パンダは脚本、赤毛のアンはOP、ホルスは氷マンモスのキャラ設定
ハイジはOPの雲乗りや1話の着ぶくれ脱ぎまくるシーンの原画とか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています