特集・コラム 2019年10月28日(月)19:00

プログラミング・アドバイザーを担当した第32回東京国際映画祭「ジャパニーズ・アニメーション部門」が開催中である(10月28日〜11月5日)。今年は「THE EVOLUTION OF JAPANESE ANIMATION/VFX」と題し、アニメ映画とともに「日本VFXの革新と拡張」をテーマに掲げた。具体的には1966年の本格特撮テレビ番組「ウルトラQ」から4エピソードを4Kリマスターで上映、関係者の証言映像と生トークで掘り下げる企画である(https://anime.eiga.com/news/column/tiff2019_news/109625/ )。選定には外的要因もあったが、同作を入れることで「レクチャーなど交えて日本のアニメ史的な掘り下げをしてほしい」というリクエストに、より応えられると思った。
 注目ポイントは大きくふたつある。「アニメに特撮が加わって強化されたテレビまんが概念」と「映画からテレビへ移転するメディア覇権」だ。この両者は不可分なほど密接なる関係にある。その関係への注目を喚起することで、何かにつけてバラバラに考えられがちな「アニメと特撮」の深い関係性、それがもたらした日本映像文化の進化と独自性に注目が集まると考えたのだ。
 まず1963年1月1日に「漫画の神様」と呼ばれる手塚治虫が、自身の漫画をアニメ化した「鉄腕アトム」をテレビ化し、ヒットさせた。「テレビまんが時代」の始まりである。結果として「テレビまんがキャラクター」が版権ビジネスを発展させ、各社が参入して量産化を定着させる。3年が経過した1966年1月2日(やはり正月)には「特撮の神様」円谷英二が、本格的特撮を導入したテレビ番組「ウルトラQ」が始まった。アニメも特撮も「毎週放送されて消えてしまうテレビ番組に対して(制作期間ふくめ)ハイコストすぎる」とされていた状況を根底から変えたのだった。しかし、両者には「神様のワザ」など似過ぎている点が多い。その理由は何か。
 考察のガイドのひとつが、円谷英二によるテレビ対応への動きである。まず長男・円谷一はTBSに入社し、映画部に所属して「ウルトラQ」にも監督として参加することになった。すでにフィルムを使ったテレビ映画「煙の王様(東芝日用劇場)」では芸術祭文部大臣賞を受賞し、高い評価を得ていた人物である。次男・円谷皐はフジテレビに入社、「ウルトラQ」開始時には裏番組の手塚治虫原作アニメ「W3(ワンダースリー)」のプロデューサーだった。つまり英二の次の代は映画界に入らず、すでに「テレビの開拓者」として新時代を築きつつあったのだ。
 もうひとつ「円谷特技研究所」の1956年という設立年が見逃せない。これは円谷英二が東宝から公職追放されていた終戦直後、自宅の庭で他社の仕事を請け負った「特殊映画技術研究所」の発展形である。「ゴジラ」(54)以後、新時代の特撮にあこがれて円谷英二を訪ねてくる若者が増えたため、大組織で管理体制も厳しい映画会社には向かない自由な発想をもつ人材をプールする役割があった。前例のない開拓精神で「アトム」ヒット時の虫プロダクションと、似た性格を擁している。このときの改組は「テレビ時代」への推移を見越し、コマーシャルフィルムの仕事が増大することも計算に入っていた。
 
     ===== 後略 =====
全文は下記URLで

https://anime.eiga.com/news/column/hikawa_rekishi/109770/

氷川教授の「アニメに歴史あり」

[筆者紹介]
氷川 竜介(ヒカワ リュウスケ)
1958年生まれ。アニメ・特撮研究家、明治大学大学院特任教授。アニメ専門月刊誌創刊前年にデビューして41年。東京工業大学を卒業後、電機系メーカーで通信装置のエンジニアを経て文筆専業に。メディア芸術祭、毎日映画コンクールなどのアニメーション部門で審査委員を歴任。