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■高畑勲の実験精神を受け継ぐフランス人監督

フランス産の『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』は、タイトル通り、本当はかなり残酷な一面もあるグリム童話の一編「手なしむすめ」を、きわめて斬新な手法で紡いだもの。高畑勲監督の実験精神に大いなる影響を受けたというセバスチャン・ローデンバック監督は、76分からなる本作の作画すべてをたったひとりで手がけた。

まず、個人の固有の「絵」が活き活きと動き回る様に驚嘆させられる。筆づかいを大胆に打ち出したフォルムは虚飾を排しており、彩りはカラフルなのに、ときに水墨画のようにも映る。シンプルな力強さに満ちており、見方によっては抽象絵画の趣もある。

私たちがアニメを観るとき、無意識のなかに根付いているセオリーが、繊維ごとサクサクと崩されていく快感がある。悪魔の企みによって両手を失った少女の流転する運命は、まるで水の営みにも似た激しさと穏やかさが入れ替わり、稀有な合流を見せ、このアニメ独自のスピードによって彼方へと連れ去られていく。

悲劇のつるべ落としと呼んでいい物語のありようには、確かにグロテスクな要素もあるが、このアニメが放つオリジナリティはありきたりのカテゴライズをきっぱり拒んでおり、描かれているストーリーから完全に逸脱した稀有な「すがすがしさ」さえ、わたしたちに与えてくれる。

「アニメっぽい」という形容詞がある。キャラクターの造形も、作画も、色使いも、リズムも、タッチも、わたしたちは普段アニメを観るとき、ある特定の「らしさ」に依存した上で眺めているのではないか。そのことに気づかされる。

アニメーションとは何か。その答えは様々だろう。だが、アニメとは「動く絵」である、と考えたとき、本作が放つ自由と奔放さに、心洗われる。

片や新海誠。片や高畑勲。日本のスター・アニメ監督からインスパイアされた2作品だが、いま、アニメは国籍を問わず、確実に次の世代に受け継がれ、多彩なかたちで枝葉を伸ばしていることが実感できる。

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