原哲夫と荒木飛呂彦のトークショーが、去る9月8日に東京・森アーツセンターギャラリーにて開催された。

週刊少年ジャンプ(集英社)の創刊50周年を記念した「創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展VOL.1 創刊〜1980年代、伝説のはじまり」の一環として行われた同トークショー。原が1961年生まれ、荒木が1960年生まれとほぼ同世代で、デビュー時期も近かった2人のトークはそれぞれの初期担当編集者の話題からスタートした。

当時の原の担当編集であり、その後週刊少年ジャンプ編集長にも就任した堀江信彦氏について、荒木が「堀江さんってどんな方だったんですか?」と尋ねると、原は「すごいやさしい、熊さんみたいな感じですね」と回答。荒木が「酷いことはされなかったですか」と続けると、原は「なかったですよ。ただ僕が原稿を描くのが遅いので、堀江さんが夜酔っ払って家に来たときに『原稿どこまでできてるんだ?集めてこい』と僕のアシスタントに言って、見せたら『なんでここまでしかできてないんだよ』って怒られたり。そういうのは怖かったですね(笑)」と振り返る。一方で荒木は「僕は当初仙台でマンガを描いていたんですけど、原稿を送ったら担当から『直しに来い』って東京まで呼び出されて。東京の会議室で原稿を10枚くらいもう1回描いたんです。隣でゆでたまご先生もカンヅメになっていたんですけど『すみません、(原稿を乾かすのに)ドライヤー貸してください』ってお願いして。ゆで先生は慣れていてもう会議室に泊まってましたね(笑)」と当時を懐かしむ。

原に対し荒木が「先生はすごく(編集部に)もてなされている感じでした」と当時の印象を伝えると、原は「もてなされてはいないですよ。ただ新人の期間が短かったというか、22歳で『北斗の拳』がドカーンと当たっちゃったので。その前まではご飯を食べるときは定食屋さんとかに連れて行ってもらっていたんですけど、『北斗の拳』が始まった途端にステーキ屋さんとかお寿司屋さんになりましたね」とエピソードを明かす。「当時は(アンケート順位を)教えてくれなかったんですよ。編集者の機嫌を見て察する感じ」と原が語ると、荒木も「そうなんです。電話の声とかで判断してました。機嫌悪いとちょっとヤバイのかなって思ったり」と共感する。また荒木の担当編集者だった椛島良介氏について原は「身長が180cmくらいあって圧がすごかった」と振り返り、「荒木さんがかわいい女の子みたいな感じだったから、2人の後ろ姿を見ていて連れて行かれちゃってるみたいだった」と回想した。

その後荒木は編集者と「ジョジョの奇妙な冒険」の繋がりについて「旅行とかあんまり好きじゃなかったんですけど、『経費でエジプト行こうよ』って編集者に誘われて行って描いたのが『ジョジョの奇妙な冒険』なんです」と告白する。これを受け原も「僕も『北斗の拳』が終了したあとにご褒美旅行に行ったんですけど、グアテマラでしたね」と編集者との旅行について語った。さらに原は「編集者の人って頭がいい」としながらも、「僕は中卒だから、高学歴の人から見たらただの絵が描けるバカだと思われてるのかも。(『北斗の拳』で)『ひでぶ』とか『あべし』とかって書いたら、『お前、字間違えてるぞ』って言われて(笑)。『違うんだけどな、俺も一生懸命考えて出したんだけどな』って思ったりしましたね」と自虐的に述懐した。

また「マンガ家の趣味」という話題では、2人が「当時活躍していた先生方は車が好きだった」と口をそろえる。原が「荒木先生は普段なにやってるんですか。僕よりひとつ年上なのになんでそんなに若々しいんですか」と疑問をぶつけると、荒木は「そうですか」と笑いながら「僕はダイビングとかやってましたけどね。海に溺れてから行かなくなって、最近は山ばっかりですけど」と説明した。

「創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展VOL.1」は10月15日まで、東京・森アーツセンターギャラリーにて開催。9月1日からは後期展示が行われており、前期から100点を超える原画が入れ替えられた。なお2018年3月から6月には第2弾「創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展 VOL.2 1990年代、発行部数653万部の衝撃」、2018年7月から9月には「創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展 VOL.3 2000年代〜、進化する最強雑誌の現在(いま)」がそれぞれ実施される。

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