東日本大震災以降の頃からだろうか。
 ニュースを仕入れ、選択し、報道すべき内容を精査選択してから、報道するニュースを映像、アナウンス口調、番組コメントなどから、各、イメージを作る。
 視聴者に提供し、目、心からの印象を代弁してニュースの読み方までコンサルタントした上、視聴者にニュースに主観性を持ち考えさせる報道番組は、皆無と言っても過言ではない現代。

 静観して、どう感じるかを自認する間もなく、こう見るのが普通だと間髪入れずに出演者がまくし立てる。

 ニュース自体の影響だけではなく、そのニュース自体が起こるべくして起こった起因を視聴者が平静に機微を感じ取る刹那を与えない構成が何をもたらしているのか。

 そのこと自体がニュース報道に意義を失わせてせているのであれば、感性豊かな視聴者、ひいては感性豊かな国民は必要ないという認識ならば、高尚な心の時間を育む時間を視聴者は失いつつあるという絶望の時代である。