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朝日新聞とCIA [無断転載禁止]©2ch.net
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0001文責・名無しさん
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2015/12/26(土) 22:03:32.25ID:kfg0RbvY0
緒方竹虎(主筆)および、笠信太郎(論説主幹)など、
米国情報機関と朝日新聞との歴史的な関係
0003文責・名無しさん
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2015/12/26(土) 22:11:04.60ID:GJWUdj1b0
新潮45 2014年9月号(2014/08/19発売)
http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20140819/
【昭和秘史発掘】
「スイス終戦工作」空白期間の謎/有馬哲夫
 2 ダレスは何をしていたか



「スイス諜報網」の日米終戦工作: ポツダム宣言はなぜ受けいれられたか (新潮選書)
有馬 哲夫  (著) 出版社: 新潮社 (2015/6/25)
http://www.amazon.co.jp/dp/4106037726
0004文責・名無しさん
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2015/12/26(土) 22:17:55.44ID:xZrmwute0
スイス発緊急暗号電 笠信太郎と男たちの終戦工作
坂田 卓雄  (著) 出版社: 西日本新聞社 (1998/09)
http://www.amazon.co.jp/dp/481670468X
幻の終戦工作 ピース・フィーラーズ 1945夏 (文春新書) 
竹内 修司  (著) 出版社: 文藝春秋 (2005/7/20)
http://www.amazon.co.jp/dp/4166604546
ドクター・ハック: 日本の運命を二度にぎった男
中田 整一 (著) 出版社: 平凡社 (2015/1/23)
http://www.amazon.co.jp/dp/4582836801


藤村義一(ふじむらよしかず)  スイス和平工作の真実 (第一部)
http://www.saturn.dti.ne.jp/~ohori/sub10.htm


2015/08/16
【戦後70年】スイス公使の謎の電報、米英方針確認? 終戦決断、根拠の一つか(c)2ch.net
http://da ;ily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1439682946/


2013.10.26
イギリスで発見!「共産主義の戦争責任」追及に新証拠
日本を赤化寸前まで追い込んだ「敗戦革命」工作
やはり「敗戦革命」は存在した−。英機密文書が明かす恐るべき謀略
http://www.ac.auone-net.jp/~oknehira/NihonWoSekikaSunzenmadeOikondaHaisenKakumei.html


2013/12/19
【政治】 戦前から日本は「スパイ天国」だった!
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1387444162/
0005文責・名無しさん
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2015/12/26(土) 22:21:09.99ID:ASPtO9pg0
秘密のファイル(上) CIAの対日工作
春名 幹男 (著) 出版社: 株式会社共同通信社 (2000/03)
http://www.amazon.co.jp/dp/4764104539


秘密のファイル CIAの対日工作(上下)/春名幹男2007年 03月 31日
http://nik ;kidoku.exblog.jp/5101368/
CAI東京支局?
2009/3/2(月) 午前 3:51
http://bl ;ogs.yahoo.co.jp/mina_hide2/11443350.html


CIA退職金で始めた「壁の穴」の秘密[春名幹男「国際情報を読む」]
http://asumaken.blog41.fc ;2.com/blog-entry-7112.html

横浜開港資料館
〈7〉個人コレクション「ブルーム・コレクション」
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/document/personal/blum.html

Blum-san!: Scholar, Soldier, Gentlemen, Spy, the Many Lives of Paul Blum (英語)
Bob Greene  (著)
出版社: Jupitor Rsg (1998/7/1)
http://www.amazon.co.jp/dp/0966406419

世界の真実の姿を求めて! 昭和史
太平洋戦争には黒幕がいた!
http://oujyujyu.blog114.fc ;2.com/blog-category-35.html
0006文責・名無しさん
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2015/12/26(土) 22:25:11.30ID:GJWUdj1b0
CIA、自民に数百万ドル援助 50-60年代 左翼の弱体化狙う
http://www.as ;yura2.com/0401/dispute16/msg/413.html

2014/10/15
【政治】自民党、新情報機関創設を検討・・・アメリカのCIA(中央情報局)やイギリスの対外情報機関(MI6)の活動状況について調査
http://da ;ily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1413360699/

348 名前:名無しさん@0新周年@転載は禁止[sage] 投稿日:2014/10/16(木) 04:48:29.09 ID:l7KyxgeO0
初代CIA東京支局長であったポール・チャールズ・ブルームと、彼に執事として雇われた成松孝安の奇妙な
出会いについて紹介。ブルームは、自宅で毎月著名人を集めた夕食会「火曜会」を開催、中でも、
・笠新太郎(朝日新聞論説主幹)
・松本重治(国際文化会館理事長)
・松方三郎(共同通信社専務理事)
・浦松佐美太郎(評論家)
・東畑精一(農業経済学)
・蝋山政道(政治学)
・前田多門(元文相)
・佐島敬愛(信越化学取締役)
の8人の常連については、「8人のサムライ」と呼んでいた。

小泉はブッシュと心中するつもりなのか
 ブッシュ大統領が、盟友小泉首相を頼って来日した。 表面上は日本もイラク情勢で意見を述べたように
報じ られているが、その実は日本の対米支援は世界でも突 出している。もはや日本は対米追従外交から
永遠に脱することができないのか。それが真の日本の国益に資する外交なのか。共同通信でワシントン特派員
を2度 経験した春名氏とともに、内憂外患を抱え再選に黄信号が灯るブッシュ政権と一蓮托生の道を選ぶことの
是非を論じた。


CIAの対日工作、特に政治工作は総じて成功だった。そのことを主題にした拙著では、初代のCIA東京支局長
と吉田茂の関係や、本書でも言及している岸信介とCIAの関係を初めて明らかにした。
春名幹男(名古屋大教授/共同通信編集委員)
0007文責・名無しさん
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2015/12/26(土) 22:26:51.64ID:xZrmwute0
2009/07/24
【社会】「日本版CIA」が50年代に構想されていた…緒方竹虎が米側と接触
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1248397415/
2009/07/26
【CIA】緒方竹虎を通じ政治工作 50年代の米公文書分析
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1248550812/

緒方竹虎とCIA アメリカ公文書が語る保守政治家の実像 (平凡社新書)
吉田 則昭  (著) 出版社: 平凡社 (2012/5/20)
http://www.amazon.co.jp/dp/458285639X
0008文責・名無しさん
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2015/12/27(日) 20:22:11.83ID:BLfDUE4L0
URL修正

>>4
2015/08/16
【戦後70年】スイス公使の謎の電報、米英方針確認? 終戦決断、根拠の一つか(c)2ch.net
http://da ily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1439682946/

>>5
秘密のファイル CIAの対日工作(上下)/春名幹男2007年 03月 31日
http://nik kidoku.exblog.jp/5101368/
CAI東京支局? 2009/3/2(月) 午前 3:51
http://bl ogs.yahoo.co.jp/mina_hide2/11443350.html

CIA退職金で始めた「壁の穴」の秘密[春名幹男「国際情報を読む」]
http://asumaken.blog41.fc 2.com/blog-entry-7112.html

世界の真実の姿を求めて! 昭和史 太平洋戦争には黒幕がいた!
http://oujyujyu.blog114.fc 2.com/blog-category-35.html

>>6
CIA、自民に数百万ドル援助 50-60年代 左翼の弱体化狙う
http://www.as yura2.com/0401/dispute16/msg/413.html

2014/10/15
【政治】自民党、新情報機関創設を検討・・・アメリカのCIA(中央情報局)やイギリスの対外情報機関(MI6)の活動状況について調査
http://da ily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1413360699/
0009文責・名無しさん
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2015/12/27(日) 20:24:32.76ID:BLfDUE4L0
新潮45 2014年9月号(2014/08/19発売)
http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20140819/
【昭和秘史発掘】
「スイス終戦工作」空白期間の謎/有馬哲夫
 2 ダレスは何をしていたか

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ベルリンから一時的に姿を消したダレスは、「天皇制存置」のため動いていた。
そして「和平工作」の人脈はCIAと戦後日本の関係として生き続けていく。
00109
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2015/12/27(日) 20:25:49.91ID:BLfDUE4L0
 藤村義朗海軍中佐がスイスの首都ベルンから本国外務省に暗号電報を打って早期和平を呼びかけたとき、相手方のアレン・ダレス
(のちのCIA長官)はすでにOSS(戦略情報局、大統領直属の諜報機関)も辞め、スイスのベルンを去っていた。藤村はダレスがいない
「ダレス機関」と交渉していたのだ。そのことが露見することを恐れた藤村は、実際よりも一か月ほど前倒しして、ダレスがまだベルン
にいた5月に本国に和平の呼びかけを始めたとする「ストーリー」を作り上げ、それが雑誌記事やテレビドキュメンタリーを通して
戦後広まることになった。だが、様々な歴史資料により、今日この藤村終戦工作「ストーリー」は歴史的事実とはかなり違っていることが
明らかになっている。ここまでが、前回に述べたことだ。
 そうすると、当然ながら次のような問いが浮かんでくる。藤村と和平交渉を始めたばかりだというのに、なぜダレスはベルンを
去ったのだろうか。…

 7月21日にスイス公使加瀬俊一が本国の東郷茂徳外務大臣宛に打った電報のオリジナル(これも傍受されて同日付
マジック文書になっている)にも次の部分がでてくる。
「グルーの声明文は約1カ月前<ダ>(ダレス)が華府[ワシントン]へ帰ったとき<グ>(グルー)が練りに練って草案を作っていたもので
<ダ>も相談に与った由此も声明書中に些少も日本の皇室並に国体に触れ居らざる点を見逃さないでほしいと<ヤ>(ヤコブソン)はいう」
 引用文中の「ヤ」すなわちベール・ヤコブソンは、国際決済銀行幹部で、終戦交渉において、国際決済銀行理事の北村孝治郎
(横浜正金銀行から出向)、その部下吉村侃、スイス公使館駐在武官の岡本清福陸軍中将とダレスの仲介をしていた人物だ。…

 …
00119
垢版 |
2015/12/27(日) 20:26:53.36ID:BLfDUE4L0
 …
 実は木戸幸一内大臣が6月9日に天皇に提出した「時局収拾ノ対策試案」の第一項目「敵側の所謂平和攻勢的の諸発表諸論文
により之を見るに、我国の所謂軍閥打倒を以て其の主要目的となすは略[ほぼ]確実なり」という判断は、ザカライアスのとくに
第3回目から5回目(5月19日〜6月2日)にかけてのプロパガンダ放送から得られたものだった。これらの放送で、ザカライアスは、
軍閥の犯した過ちとその責任にのみ言及し、天皇および天皇制には一言も触れなかった。
 ザカライアスは二十年から5年間日本にいたことがあり、帰国後も皇族や政治家やジャーナリストと親交を続けていた。このため、
彼のプロパガンダ放送は、彼と知り合いの日本人の重要人物に直接話しかけるという、珍しい形をとっていた。
 彼もまた、海軍やOSSから得ていた情報から、日本は天皇制さえ残せば降伏するという感触を持っていた。だから彼はプロパガンダ放送
で天皇および天皇制にまったく触れなかった。触れれば、日本人はアメリカ側が天皇制を問題視していて、廃止するつもりだと判断し、
「一億玉砕」の決意をいっそう固くするからだ。
 彼は海軍省トップに無条件降伏を修正するように迫り、海軍レヴェルではこれに成功していた。同じく知日家の彼は、5月以降グルー
と共同で日本に対するプロパガンダを行っていた。
 さらに注目すべきは、ザカライアスが三人委員会の3日前の6月9日に行ったプロパガンダ放送で、彼が朝日新聞チューリヒ支局
駐在員(もともとはスイス公使館員)田口二郎の東郷外務大臣宛の書簡に言及しながら、ドイツの二の舞にならないよう早期に降伏する
よう呼びかけていることだ。田口は東郷宛の書簡のなかで、「一人一人がすべてのものを失った」と述べていた。
 いうまでもなく、田口の東郷宛の書簡の内容をザカライアスが知っているのは、OSSスイス支局の関係者が情報を与えたからだ。
この関係者は誰かといえば、このような情報を持ち、かつ、他機関である海軍に与える権限を持っているのだから、ダレスその人だろう。
ここからダレスが6月9日以前にザカライアスと情報交換していたと推定できる。
 このように、国務、陸軍、海軍省は、グルーやマクロイやザカライアスの働きかけによって条件降伏案の支持に回り始めていた。…

 …
00129
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2015/12/27(日) 20:27:49.19ID:BLfDUE4L0
 …

 原爆実験成功で消えた降伏案

 7月初旬、スイスで北村、吉村たちが、和平の動きを起こしていた。OSS文書を読むと、実は彼らは早くも3月にこのような動きを
起こしていたことがわかる。その後、東郷外務大臣の訓電を受けて五月初めに加瀬がOSSに接触して和平の条件を探っている。
藤村の和平を求める動きは、実は三番手だったのだ。
 この時の北村たちの動きが前と違っていたのは、陸軍中将の岡本も加わっていて、彼らをスイス公使の加瀬がバックアップする
というオールジャパン的なところだった。だからダレスももう一度やってみる価値があると考えたのだろう。…

 北村、吉村、岡本が7月初旬になって和平の動きを起こしたのは、ポツダム宣言へ向けての日米の動きが彼らに伝わっていたからだ。
 7月7日、トルーマンらアメリカ代表団が巡洋艦オーガスタに乗ってポツダムに向けて出航していた。同じ7月7日、
日本のソ連相手の終戦交渉のほうも予想以上の急展開を見せていた。
 マジックによれば、七月七日に東京の東郷外務大臣は、モスクワの佐藤尚武駐ソ大使に三者会談(ポツダム会議)が始まる前に
あらゆる手段を講じてソ連を和平交渉に引き入れよと指令している。
 7月11日には東郷は佐藤に緊急電報を打って「状況の切迫により我々は密かに戦争終結を考慮している」と告げている。
7月12日には、やはり緊急電報で「天皇の戦争終結の意思をロシア側に伝えて、三者会談の前に交渉を進展させよ」と指令している。
00139
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2015/12/27(日) 20:28:32.89ID:BLfDUE4L0
 スイスの日本人たちは、ポツダム会議へ向けての切迫した動きが伝わってくるにつれて、もはやいてもたってもいられなくなっていた。
 注目すべきは、それまでは藤村の黒子役に徹していた朝日新聞特派員の笠信太郎も、7月9日に公使館の暗号機を借りて外務大臣
東郷宛てで、当時内閣顧問となっていた緒方竹虎に送付するよう依頼する電報を打ったことだ。これは7月14日付マジック文書
となっている。
 内容は、ソ連が参戦することを予想し、この上本土上陸が行われるならば、戦争末期のドイツと同じ惨状が繰り広げられることに
なると警告し、最低限の権利を守ったうえで和平を結ぶべきだと勧告していた。アメリカ側は笠が緒方のほかに近衛などに通じている
ということで、この電報に注目した。
 しかし、この電報は外務省には届いたが緒方のもとには届けられなかった。日本の外交史料館に残る同電報の余白には
「配布せず」と鉛筆書きしてある。
 すでにソ連を介しての米英との和平交渉を開始していたのだから、ソ連の参戦に言及したこの電報が無視されたのは仕方なかった。…

 …
00149
垢版 |
2015/12/27(日) 20:29:40.56ID:BLfDUE4L0
 …
 …
 実は、東郷を動かしたのは、駐ソ連大使佐藤が7月30日付で打った電報だった。この電報は次のように同日加瀬が東郷に打った
電報に言及しつつ、東郷にポツダム宣言の即時受諾を促している。…

…加瀬の30日の東郷宛の電報は、吉村の、ヤコブソン経由のダレスの、情報に基づいていたのだ。そして、それが佐藤と東郷を動かし、
8月10日の最高戦争指導会議での条件付ポツダム宣言の受諾へと導いた。

 天皇の確信

 さらに重要なのは岡本が天皇に与えたインテリジェンスだった。8月12日、日本側が8月10日に送った条件付きポツダム宣言受諾に
対する回答が返ってきた。それは以下のようになっていた。…

…だが、ポツダム宣言よりは妥協的だと読める。だが、それでも天皇制存置を保証しているのかどうかは明確だとはいえない。
そこへ8月12日の夕方、スイス公使館付武官から「天皇ノ御位置ニ関する反響」という電報が陸軍省に届いた。
これは次のことを報告していた。…

 この電報のコピーは鈴木首相と木戸内大臣に送られたと外務次官松本俊一は証言している。天皇が読んだことは確実だと
松本は断言している。阿南惟幾陸軍大臣は天皇制存置の保証が明確に示されてないと反対したが、天皇は「阿南よ、余には確信がある」
といってこれを退けたという。天皇の確信がスイス公使館付武官からの「天皇ノ御位置ニ関スル反響」から得られたものであること
は論を俟たない。そして、この電報が岡本かその部下が打ったものであり、その情報源の少なくとも一つがOSSスイス支局である
ことは明らかだ。
 8月14日の最高戦争指導会議で、アメリカからの回答を了とする決定が下され、ようやく戦争が終わることになった。
 ダレスとスイスの日本人の終戦工作は、原爆投下とソ連参戦前に日本を降伏させることはできなかったが、戦争を8月15日で
終わらせる上では大きく貢献したといえる。
 この日に終わらなければ、この戦争はいつ終わっていたかわからない。長引くことによって、どれほどの命が失われたかわからない。
この意味で、ダレスとスイスの日本人の終戦工作は、彼が北イタリアの約100万人のドイツ軍を無血降伏させた「サンライズ作戦」
に勝るとも劣らないものだったといえる。
00159
垢版 |
2015/12/27(日) 20:30:39.55ID:BLfDUE4L0
 「クラウン・ジュエル作戦」

 ところで、これまでみてきたように、終戦工作で中断されることになったが、そもそも、ダレスはウィースバーデンで何をして
いたのだろうか。
 最近のドイツでの研究からわかってきたことは、彼が「占領地高等弁務官」として行っていたのは、ナチスの戦争犯罪者を
ニュルンベルク裁判にかけるための調査や証拠集めだったということだ。
 OSSの活動を通じて、ナチスの上層部の戦争犯罪をよく知っているのでダレスは適任だと思われていた。だが、ドイツの研究者は、
ダレスが証拠を集めるというよりは、隠蔽し、隠滅していたと非難している。
 たとえば、北イタリア駐留ドイツ軍親衛大将カール・ヴォルフは、反ナチスレジスタンスの捕虜虐待や虐殺に手を染めていたが、
ダレスと交渉して無血降伏したからには、彼の戦争犯罪を免責しなければならない。これはかなり大がかりな「工作」だった。
 これと関連してダレスが行っていたのは、「クラウン・ジュエル作戦」だった。これは非ナチスのドイツ人有力者のリストを
作ってアメリカのドイツ占領に協力させるというものだ。
 ダレスの妹エレノア(・ランシング・ダレス)は、彼女の回顧録『一生に一度のチャンス』のなかで、彼女が兄がウィースバーデン
に赴任したころに宿舎を訪ねたとき、「ウッドとフランスのレジスタンス運動の指導者サーモン将軍が一緒にいた」と述べている。
「ウッド」も「サーモン」も暗号名だ。サーモンの本名は不明だが、エレノアの紹介通り、フランスのレジスタンス運動の指導者
だろう。ダレスはよく忙しい時間を割いてフランスに入り込み、現地のレジスタンスを物心両面において支援していた。
 ウッドのほうは、本名フリッツ・コルビーといい、ドイツ外務省の文書係だった。ヨアヒム・フォン・リッベントロップが
ヒットラーの寵を得て外務省に乗り込んだときから、彼は反ヒットラー派になり、ドイツの敗色が濃厚になると、外務省の機密文書
をフィルムにとって、スイスに旅行に行くと見せかけてダレスに渡していた。その中には、ソ連の対日参戦やV2ロケット基地に
関するものなどがあった。
00169
垢版 |
2015/12/27(日) 20:31:22.59ID:BLfDUE4L0
 妹の記述から、ダレスがコルビーをドイツ語の、サーモンをフランス語の通訳兼交渉係として、戦争裁判の証拠集め、証拠隠滅、
「クラウン・ジュエル作戦」の遂行にあたっていたことがわかる。
 これもドイツ側からの研究でわかったことだが、ダレスはこの作戦の対象を非ナチスのドイツ人に限定しようとしたが、
その影響力の大きさや地位の重要性から、ナチス党員や協力者もリストに入れるケースがあった。
このようなケースにラインハルト・ゲーレンも含まれていた。
 ゲーレンは対ソ連インテリジェンスを行ったドイツ陸軍参謀本部東方外国軍課の課長だった。彼はドイツ崩壊後、南ドイツの山に
潜伏していたところを、アメリカ軍のCIC(防諜隊)に捕らえられていた。だが、CICはゲーレンが何者かわからず普通の
ドイツ兵捕虜としてミュンヘンに近いフィッシュハウゼンの監獄に入れていた。
 コルビーの情報から、彼が終戦に備えて何万枚にもなる対ソ連情報資料を保管していることを知ったアメリカ軍のG2部長
(ヨーロッパ戦線)のエドウィン・シバートは、彼を他の戦争犯罪容疑者から引き離して、ダレスがいたウィースバーデンに移送し、
別扱いすることにした。
 このあとゲーレンは戦争犯罪を免責され、ほかの課員とともにアメリカに送られることになった。アメリカは戦争終結まで
本格的対ソ連インテリジェンス機関を設けなかったので、このゲーレン機関は、少なくとも冷戦初期の段階では、
アメリカの対ソ連インテリジェンスの中核を担うことになった。
 しかも、あろうことか、このゲーレンは55年に西ドイツに戻り、同国の諜報機関であるドイツ連邦情報局の初代局長になった。
これがCIAの対ヨーロッパ、対ソ連戦略にどれほど有利に働いたかわからない。そのレールを敷いたのは、ダレスだった。
つまりダレスはウィースバーデンで将来CIAのトップになるための布石を着々と打っていたことになる。
00179
垢版 |
2015/12/27(日) 20:32:17.06ID:BLfDUE4L0
 では、スイスの日本人に対しては日本版「クラウン・ジュエル作戦」は行われたのだろうか。8月19日付のマジック文書は
北村と藤村が次のようにOSSスイス支局に申し出ていたことを明らかにしている。
「北村も藤村もヤコブソンとダレスを通じて築いたワシントンとのチャンネルを維持したいといっている。彼らはスイスにいる
米国人の誰かが任命されて、自分達と非公式に連絡を取れるよう望んでいる。こうすれば東京も外国からの視点を得られるし、
米国人にとっても役立つだろうということだ」
 OSS文書、国務省文書(アメリカ国立第二公文書館所蔵)、アレン・ダレス文書(プリンストン大学シーリー・マッド稀覯文書図書館
所蔵)は、ダレスのOSSスイス支局時代の部下ポール・ブルームが47年春まで駐スイス公使館に勤務したあと、同年7月に日本に
やってきて表向きGHQの外交局に勤務していたことを明らかにしている。
 ブルームの著書『ブルームさん!』によれば、彼は自分が日本に来ていることをまず笠に教えている。そして、笠が帰国後しばしば
会っていた藤村に、ブルームが日本に来ていることを伝えている。これ以降、ブルームと藤村は頻繁に接触することになる。
 驚くべきことに、ダレス文書から出てくる書簡によれば、翌年の48年4月からは彼の住所は藤村と同じ、港区南青山3丁目
17-3になっている。同月13日、ブルームは藤村に貿易会社ジュピター・コーポレーションを設立させている。
二人はジュピターの社屋の二階と三階に住むようになったのだ。この会社はCIA日本支局のカバーだったとみられる。
00189
垢版 |
2015/12/27(日) 20:33:30.45ID:BLfDUE4L0
 朝日新聞とCIA

同じく48年ころからブルームは、蝋山政道、前田多門、東畑精一、松本重治、松方三郎、浦松佐美太郎、佐島敬愛など
日本の指導的知識人を集めて英語で座談させる火曜会を主催し始めた。49年の秋からは、それまで帝国ホテルで開かれていた
この会合を、藤村に見つけさせた渋谷区神山町の旧鍋島藩邸に移して行うようになった。この会合のもう一人の主催者は、
かつてベルンにいた笠だった。彼は、ブルームが東京にやってきた少しあとの48年朝日新聞に復帰し、
翌年論説主幹に大出世している。
 藤村が『GHQ歴史課陳述録』で語ったところによれば、そもそもベルリンの海軍武官室にいた小島秀雄海軍少将にスイスに来て
終戦工作を行うよう促したのは、ハックと笠だった。小島がスイスに入国を拒否され、藤村が代わりに行くことになったときも、
藤村はハックと笠を便りにベルリンからスイスへ脱出している。
 実は笠がスイスに来る以前に、朝日新聞チューリッヒ支局の駐在員となっていた田口二郎と笹本駿二がOSSの接触を受けていた。
45年4月12日付のOSS報告書には、「田口二郎と笹本駿二がいる朝日新聞チューリヒ支局の新しいわれわれのエージェントは
新しい内閣の顔ぶれに失望している」と出てくる。田口と笹本以外の朝日新聞記者で、かつ内閣の顔ぶれについてコメントできる
となれば、このOSSの新しいエージェントに該当するのは笠しかいない。笠も含め朝日新聞の記者たちは、日本の敗戦が濃厚になり、
終戦工作を考えるようになったとき、OSSのエージェントになっていったのだ。
 ブルームの火曜会の日本側の主催者が笠であることからも、この関係が戦後も続いていたことがわかる。ブルームが火曜会で
集めたインテリジェンスは、ダレスにわたり、彼の兄がサンフランシスコ平和条約をまとめるときに活かされたとみられる。
00199
垢版 |
2015/12/27(日) 20:34:15.37ID:BLfDUE4L0
 CIA文書野村吉三郎ファイル(アメリカ国立第二公文書館所蔵)は、54年に野村が参議院補欠選挙に出身地の和歌山県から
出馬したとき、CIAが関与したことを明らかにしている。そのとき野村選挙事務所の金庫番を務めたのはなんと藤村だった。
そして、彼の同居人のブルームが、野村に当選を祝う手紙を書いている。野村とブルームを結び付けたのは藤村だったとしか思えない。
野村はこのあとアメリカ側の援助を得て、彼の悲願の日本海軍再興、つまり海上自衛隊の創設を成し遂げる。
 さらには、CIA文書緒方竹虎ファイルも、緒方が戦後CIAからポカポンという暗号名を与えられていたことを示している。
緒方は52年の総選挙で当選し、内閣官房長官になったあと、内閣官房調査室を拡大して日本版CIAにするためにダレスに接近し、
秘密資金を得ていた。だから暗号名がついているのだ。その反対給付は、日本で傍受された共産圏の無線放送の内容、
日本人引揚者から得た共産圏についての情報、日本の政治情勢についての情報の提供だった。
 緒方は中国通で、終戦期に繆斌工作(同名の中国人を使った終戦工作)を行い、戦後も国民党と密に接触していたが、
アメリカとのコネクションは弱かった。その緒方とCIAを結び付けたのは、誰だったのだろうか。
00209
垢版 |
2015/12/27(日) 20:35:28.87ID:BLfDUE4L0
 笠は、藤村や津山重美や北村などに、つねづね自分がスイスで終戦工作に関わったことを口止めしていた。
「ダレス第一電」が評判になって以来、終戦工作を行ったことは、賞賛されこそすれ、非難されることはなかった。
なのになぜ、笠はそのことを隠そうとしたのだろうか。
 同じことはダレスの側にもいえる。ダレスは「サンライズ作戦」については、細大もらさず明らかにして一冊の本まで出しているのに、
スイスの終戦工作については、不自然なほど寡黙だった。
 笠がスイスの終戦工作について、なにも語らず、人にも語らせないのは、ダレスと関係があったことを知られたくなかったからからだろう。
 また、ダレスがスイスの終戦工作について語りたがらないのは、スイスにいた日本人との関係が、戦後になっても続いていて、
しかもそれが重要だったからだろう。ダレスはブルームを通じて「クラウン・ジュエル作戦」を日本でも実施していて、
彼がCIA長官になった53年以降、その成果を享受していたのだ。
 1960年安保で岸信介が窮地に陥ったとき、在京七社に呼びかけて6月17日の朝刊の第一面に
「暴力を排し 議会主義を守れ」と題した共同宣言を載せたが、これを仕掛けたのは主幹の笠だった。ダレスがピッグス湾侵攻作戦
(キューバのカストロ政権転覆のための秘密作戦)に失敗してCIA長官の座を追われるのはこの翌年61年の11月のことだ。
笠もまたその翌年の62年12月に論説主幹を辞めている。笠が新聞人として栄華を極めた時期は、
ブルームとダレスが対日工作を行っていた時期と不思議にも一致している。


<<完>>
00219
垢版 |
2015/12/27(日) 20:36:05.28ID:BLfDUE4L0
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※P,266〜277 緒方と笠の画像とそのキャプション

・暗号名「ポカポン」だった緒方竹虎
・論説主幹として「朝日の顔」になった笠信太郎
0022文責・名無しさん
垢版 |
2015/12/27(日) 20:37:25.09ID:BLfDUE4L0
新潮45 2014年10月号(2014/09/18発売)
http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20140918/
【特集】朝日新聞の落日
◆原発建設を推進した上からの「広報と啓発」/有馬哲夫

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今でこそ「反原発」「脱原発」が色濃い朝日新聞だが、かつては読売新聞と同様、
「原発建設推進」に積極的に関与していた。そのこともまた口をぬぐうつもりか。
002322
垢版 |
2015/12/27(日) 20:38:22.72ID:BLfDUE4L0
 「日本独自の技術開発を」

 ある全国紙が一面に次のような記事を掲載した。
「昭和52年度には日本で約400万キロワットの原子力発電が計画されている。400万戸の家庭が1キロの電熱器を
つけっぱなしにできる電力量だ。
原子力発電が将来のエネルギー問題を解決するホープであることは、もはや疑う人はいない。
10年前、1954年6月に、世界はじめての試みとして
ソ連の科学アカデミーが6000キロワットの原子力発電をしたころは、『原子力発電』には経済的な意味よりも、
国家や体制の優位を示そうとする"威信競争"の
においが強かった。(中略)いまや、原子力発電を安くしてあげることが、"国の威信"を示す時代になったといえる。
未来につづく新しいエネルギーへのコースを日本もめざしている。
ことしの暮れには日本原子力発電会社の16万6000キロワットの炉に火がともる予定だ。
ただし残念なことには、日本では原子力発電はまだ高くつく上に、
その技術はそっくり外国からの借り物である。(中略)日本の原子力発電が12年後には
400万キロワットといっても、自国の技術の根を生やさず、
他国の技術の上に咲いたものを買ってきて"切り花"を飾ってうれしがるようなことになっては残念だ。(後略)」
 …これは、1964年10月6日の朝日新聞の「天声人語」である。
 この記事は、原子力こそは日本の将来エネルギー問題を解決する決め手であると断言している。
…だが、残念ながら、日本の原子力発電の技術は海外からの借り物なので、
これからは日本独自の技術開発を行い、世界的競争に参加すべきと結んでいる。
 日本独自を強調しているのは、読売新聞社主にして元原子力委員会委員長の正力松太郎が英国から
原発を導入したことに対する批判である。…
002422
垢版 |
2015/12/27(日) 20:39:39.84ID:BLfDUE4L0
 実際に日本が世界的競争に加わり、日本各地に原発が作られることになり、電力会社が用地のことで
周辺住民との間で摩擦を起こすようになったときも、
朝日新聞はこれ以上原発はいらないとか、反対住民の意見を尊重して建設をやめるべきだとかの主張はしなかった。
それを示すのが1966年9月22日に掲載された「社説」で、原発の用地問題に関して、次のような解決策を提示していた。
「原子力施設の用地問題を解決する根本策は、原子力についての広報ならびに啓発活動をたゆみなくおこなうことである。
ふだんはそのような努力を忘れていて、急に原子力のPRをしたところで、民衆はついてゆけない。地元民の協力と
理解なしに原子力施設は絶対に成立しない。まして、たとえ一時的で感情的なものにせよ、
そこに不信を残したまま先に進んではならない」
 …
 問題なのは、電力会社だけでなく、民衆および反対住民をも上から目線で見ていることだ。
とくに後者は、一時的で感情的なものに動かされるので、
自分が教え諭し、啓発して不信を取り除かなければならないと考えている。…
 自らの言葉通り、朝日新聞はたしかに原発建設推進の「広報と啓発」を行っていた。1969年6月22日に
「希望社会科」という子供向Q&Aコーナーに掲載された「建設進む日本一の原子力発電所」が、まさしくそうだった。
 この記事は、奈良県北葛城郡にある王寺小学校六年のT君(累が及ぶとも限らないので一応イニシアルにしておく)の
「福島県に日本一の原子力発電を建設中ということですが、工事の進み具合や発電力などを調べて下さい」という
およそ小学生らしからぬ「希望」に応える形で書かれている。タイトルにある「日本一の原子力発電所」とは、
3.11で巨大津波に襲われ放射能漏れを起こしたあの福島第一原子力発電所のことだ。
「太平洋の荒波が岸辺を洗う福島県双葉郡大熊町と双葉町にまたがる広大な地区にいま、日本で一番大きな原子力発電所
の建設が進んでいます。東京電力が41年暮れに着工した福島原子力発電所で、先月末原子炉一号機の心臓部に当たる
重さ450トンもある圧力容器のすえつけも終わり、来年10月の運転開始を目ざして最後の仕上げが行われています。
(中略)静かだった海岸線は、走り回るブルドーザーやビョウ打ちの音で一日中、建設のいぶきがあふれています。
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垢版 |
2015/12/27(日) 20:40:36.70ID:BLfDUE4L0
(中略)一方、安全管理の面でもいろいろの工夫がこらされています。(中略)まず原子炉や発電機を操作している人たちが
放射線にさらされないように、原子炉本体は厚さ2.5メートルもの厚いコンクリート壁でかこってあり、もし放射線がもれたら
すぐ警報が鳴るような監視装置も備えられます。(中略)地震への備えも十分です。福島発電所の場合、堅い地盤の上に
厚さ3メートルもの基礎コンクリートをうち、中の鉄筋も直径が普通のビルに使うものの二倍もある太いものが使われ、
関東大震災の三倍くらいの地震にも耐えられるそうです。
 国も安全管理面では設計のときからきびしい条件をつけて建設の許可を出しています。また福島県でも発電所周辺の
住民の不安をなくすため、東京電力と協定を結び、運転が始まってからは定期的に周辺の放射能量を調べることになっています」
 この記事は、東京電力の広報マンよろしく、T君に対し福島第一原子力発電所の建設の進捗状況と安全管理について説明している。
注目すべきは、「建設のいぶきがあふれています」という表現に表れているように、原発建設が礼賛的に描かれていることだ。
このような表現は、引用しなかった部分にも複数見られる。すでに1957年12月11日の「天声人語」や1964年7月5日の
「はまゆう」などで、英国の原発事故や東海村の原子力公害をレポートしているにもかかわらずである。
 なんとっても罪深く感じるのは、3.11で事故を起こしたこの原発の安全管理が十分であることを請け合っていることだ。
事実、この記事につけられた見出しは「安全へ備え十分」で、しかも飛びぬけて大きな太字の文字が使われている。
T君も、そして記事を読んだであろう大熊町と双葉町の住民も、大新聞が書いたこの記事を信じて、建設中の原発が
安全だと確信したことだろう。
 朝日新聞の立ち位置は、原発建設推進の側にあり、民衆や用地周辺住民の側にはなかった。そして、これは原子力発電建設
に批判的な論調がこの新聞にようやく目立つようになった1970年以降も、なかなか変わらなかった。
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2015/12/27(日) 20:41:39.79ID:BLfDUE4L0
 原子力平和利用博覧会も

 私は『原発、正力、CIA』で、日本に原子力発電を導入した正力がCIAやUSIT(合衆国情報局、広報庁と訳されることもある。
アメリカの情報を当該国のメディアなどに提供するUSISつまり合衆国情報サーヴィスはその下部機関)とどんな関係を
結んでいたかを明らかにした。このため、正力と彼が社主を務めた日本テレビや読売新聞だけが米国情報機関と関係を
持ったと思われている。本誌九月号でも明らかにしたように、実際には、主筆だった緒方竹虎、論説主幹だった笠信太郎など、
朝日新聞の大幹部も米国情報機関と関係していた。
 また、前述書で、正力、CIA、USIAが協力して開催した原子力平和利用博覧会によって、日本の原子力世論が、
反対から賛成に転換したことをクローズアップしたために、このような博覧会を開催したのは日本テレビと読売新聞だけだと
思っている読者がいる。現在六十代から上の読者なら知っているように、朝日新聞も本拠地である大阪や京都でUSISと共催で
同じような博覧会を開いていたというのが事実だ。回数も規模も読売新聞や他紙のそれを下回ってはいない。
 米国情報機関との関係だけでなく、原発導入に関しても、そして、その後の原発建設推進の世論形成に関しても、
朝日新聞は読売新聞となんら変わるところはない。
 違うところといえば、読売新聞は原発の主張が現在もブレていないのに対し、朝日新聞はブレるどころか、
ベクトルがまったく逆のことを、読者と民衆になんの断りも説明もなしに、主張していることだ。
 …
 朝日新聞の広報と啓発のおかげで原発建設は促進され、59基も作られた(現存するのは48基)。「さあ原発をどんどん作れ、
俺たちが一時的感情で反対している民衆や住民をなだめ啓発し、不安を取り除いてやるから」というので、電力会社が原発建設
にいそしんだのだ。なのに、ただ口をぬぐって「気が変わった。原発は動かすな。全部即時廃炉にしろ」とはあまりにひどい。
「福島第一原子力発電所の安全管理は十分だ」と、T君および大熊町と双葉町の住民に対し、胸をたたいて見せたのに、
放射能漏れ事故が起こると、手のひらを反して、安全管理がなってなかったと電力会社を責めるだけでよいものだろうか。
まず自分たちの記事に関する訂正と釈明が先ではないか。
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垢版 |
2015/12/27(日) 20:43:45.01ID:BLfDUE4L0
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※本誌九月号 (>>9-21

昭和秘史発掘/「スイス終戦工作」空白期間の謎−ダレスは何をしていたか
   ◆ 有馬哲夫・早稲田大学教授/藤村義朗、アレン・ダレス
新潮45(2014/09/01), 頁:248

新潮45 2014年9月号(2014/08/19発売)
http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20140819/
【昭和秘史発掘】
「スイス終戦工作」空白期間の謎/有馬哲夫
 2 ダレスは何をしていたか
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