岡田有希子を語るスレッド 66
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岡田有希子は、神田〜石原プロ〜慎太郎のルートで、当時の自民党の
大物政治家に「あてがわれた」と言うのを聞いた事があります。
これが一回だけなのか愛人的な断続的な関係だったのかは良く判りませんが、
とにかくこれが自殺の一因になったのだと。
これは当時心理カウンセラーの方に伺ったのですが、一度自殺未遂を
起こして助けられた人が、その場ですぐに自殺を試みる、というケースは
かなり珍しいんだそうです。記事によれば峰岸さんは勿論
同じ事務所の聖子&神田の結婚、その後の不可解な幽霊騒ぎも、すべて
大衆の視線を逸らす為の隠蔽工作だったとの事です。 噂話だけでどんどん話を進めてしまう、頭の悪いパヨク話法と同じw
信じる奴は頭のオカシイ奴だけ リアルタイムでは見てないけど
彼女の歌とか動画とかたくさん見たりして
いろんな事を思うようになった。
人間の悩みなんて、何か1つであるわけはない。悩みの大小はあるだろうけど、1つや2つではないと思う。峰岸さんの事も悩みの1つではあったと思うけど、18歳の女の子だから
憧れていたんだと思う。
やはり1番の大きな悩みは自分の思い描いていた世界と違った事じゃないかと思う。
夢のためにひたすら頑張ってきたけど
夢と現実は違っていた。でも悩みながらも日々の仕事を頑張っていた。もちろん寝不足とかもあっただろうし、体力的にも精神的にもきつかったのも事実だと思う。
社長宅を出て一人暮らしを始め、ゆっくりする間も無く東京のコンサート。翌日は故郷名古屋でコンサート。この日に実家で家族と過ごしていた。そしてその翌日4月7日はオフ。映画などを見ているが翌日4月8日の朝には自宅で自殺未遂。
高校を卒業するのを悲しんでいた記事があったけど、高校で同級生と一緒にいるのが唯一自分らしくいられる場所だったんじゃないかと思う。高校卒業と同時に社長宅も出て一人暮らし。
もう1人暮らしを始めた時点で自殺を考えていたと思う。今まで下宿していたから
勝手な事はできなかったが、独り身になって一気にこれまで我慢してきた事が押し寄せて耐えきれなくなったんだと思う。
彼女の歌声や笑顔を見ると本当に
最後はあんな結末になる事が嘘かと思うほど
とても綺麗だし可愛くて素敵な女性だと思う。
飛び降りて倒れている彼女より
幸せそうに歌っている彼女の笑顔をずっと心に残しておきたいと思った。 私は岡田有希子ちゃんのこと好きだったから敢えて言わしていただきますけど、有希子ちゃんは言いたいことも言わない子だったのね。
私はそれが手に取るようにわかって、有希子ちゃん見かければ、かならず自分から声かけて、なにか嫌なことないかとか、言いたいけど言えないこととかあるんじゃないのって。
それにいつもひとりでいるんですよ。メーク室に壁の方に座って、まわりがちやほやして、豪華なものに取り囲まれているんだけれども、凄く彼女はこうあたらず触らずって感じで、
だから、なんでしょうねああいうのは、空気、空気ですよね。でもね、彼女はいつも、コンタクトつけるの好きじゃなくて眼鏡かけて、こう眼鏡かけたままでメークしているんですよ。
私けっこう図々しくて、「ゆっこちゃん」とか言っていくと「わー明菜ちゃん」とか言ってくれたりして、楽しそうに話すんだけれども、あの子ってなんだか影があるんですよね。
声も素敵だったんだけど、「ん」っていう、なにかがいつも残っていて、ちらっとなにか言いたいんだ
よねって。
今でも、本当にね、私がもうちょっと何か出来たのにと思うと悔しいですよ。
有希子ちゃんが亡くなったときは3ヶ月ぐらい、私は仕事も手につかなかった。
私も人を笑わせるほうが好きなほうでいつもニコニコしてたから、そのギャップに凄く耐えられなかった
んですよね。
なんかこう、私が全部悪かったんだって思っちゃって、なんであの時、分かってあげられなかったんだろうって、オジさんが死んだときよりも自分を責めまくっていた。
私もこのまま立ち上がれないかなあと思ったくらい悲しかったですね。だからその影が見えてたのに、
淋しかったんですけどあとにわかったのに。何か言いたいんでしょうって、もっとお節介でも聞いてあげて
たらとか言ってみたって、きりがないんですよ。
あの時、こうしてあげればもしかしたらとか思いますね。
明菜さん連れていって下さいよ、行こうねとかいってたのに、向こうから連絡くるだろうと思ってて私が
連絡してれば良かったとか思って、全部に悪く、悪く、考えるんですよ。あの時は、ほんとに辛いものがありましたね。
平成7年2月10日付 夕刊フジ
トークエッセイ ふかしぎ歌姫 中森明菜
゙影゙があったあの岡田有希子ちゃん ビキニのグラビア撮影される度に、自分のオッパイの谷間を見て
沢山の男、特に自分より年下の中学生にズリネタにされるんだろうな、
とか考えて、鬱になってたんだろうか? Re:minder - リマインダー | 80年代音楽エンタメコミュニティ、エキサイティング80’s!
「岡田有希子の変化、7枚目のシングル「Love Fair」の謎めき具合」
https://reminder.top/629455477/ >>448
30年経っても今でも誰にも興味を持たれない奴が何か言っとるなw 岡田は84年のレコード大賞で、最優秀新人賞を受賞した。同賞を争ったひとりに、岡田と同じ4月にソロデビューした1歳下の荻野目洋子がいる。彼女が眠っている成満寺(愛知県愛西市)の住職は、成満寺でたびたび荻野目の姿を目撃し、ある時、彼女がアメリカのお土産として一冊のノートと鉛筆を納骨堂に残していったことを覚えていた。一見、どこにでもあるノートだったが、目立たないように後ろから数枚目に荻野目自作の詩と、サインが書かれていた。そのエピソードを荻野目にぶつけた。
「当時、私自身も彼女の死を受け止めきれてはいなかった。心にぽっかり穴が開いたような……。詩については覚えていません。たぶん、その時の私にはそういう形でしか感情をうまく表現できなかったんだと思います。今ならブログやツイッターにその気持ちを書いたんでしょうが。強い精神力と少女の魅力を併せ持った歌手でした」
岡田と同年齢のアイドルで、堀越でもクラスメートだったのが南野陽子だ。南野は、デビュー直前の高校2年生の3学期に堀越に転校した。岡田は、既にヒット曲を飛ばしていた大先輩だった。「学校で顔を合わせる機会というのは、実は少なかったんだけど、お互いに忙しかった卒業の年(86年)の2月、二人して出席日数が足りず、学校で机を並べて自習していたことがありました。その時に『ナンノちゃんはこれからどうしたいの?』とか、『ドラマの撮影っていうのはね……』とか、そんな話をいっぱいしてくれました。それはね、彼女が姉さん肌だったとか、世話焼きだったとかいうのではなく、彼女が抱え込んでいたものをはき出すための、“ゴミ箱”が私だったんだと思う。仕事現場に行けばたくさんの方に囲まれるけれども、年配の方も多く、本音で会話できる仲間って少ないんです」
死の直後、岡田が死を選ぶにいたった真相を巡り、様々な臆測報道が流れた。
「堀越の同級生とは今でも集まるし、ユッコの話もしますが、自殺の真相みたいな話はしません。みんなそれぞれに何度も振り返って、分析したはずだけど、どれが本当の理由かわからないし。ただ、世の中で言われているようなこととは違うなって思ったりします」
同時代を生きたアイドルとして、死後30年が経っても岡田がファンに愛される理由を、南野は次のように考察する。
「アイドルとしての彼女が裏切ることがないからじゃないかな。劣化したなって思われることもないし、誰かのお嫁さんになったわけでもないし……彼女が変わらないでいてくれるからこそ、愛され続けるのだと思います」
3年という短い時を駆け抜けた岡田は、自ら死を選ぶことで永久のアイドルとなった。
※週刊朝日 2016年4月15日号より抜粋 斎藤学のメッセージ2018年1月23日現代家族の問題点とその展望のなかで次のように言っています。
「〜例えば少年の自殺、殺人、一番多かったのは終戦後です。戦後15歳から19歳の犯罪について見れば、殺人だけて数百件ありました。いまは百件足らずというのがずっと続いて、今年もまた去年より減っています。
凶悪犯は減っています。それから自殺も去年までは減っていました。青少年の自殺は、岡田有希子というタレントが死んだときににちょっと増えましたが、だいたい、人口10万対5くらいで、少ないです。
子供の自殺はフランスの方が多いです。だから、マスコミが言っている子供の犯罪増加、凶悪化、自殺の増加というのはみんな嘘。〜」 斎藤学(精神科医、実業家、医学博士)のメッセージ2018年1月23日現代家族の問題点とその展望のなかで次のように言っています。
「〜例えば少年の自殺、殺人、一番多かったのは終戦後です。戦後15歳から19歳の犯罪について見れば、
殺人だけて数百件ありました。いまは百件足らずというのがずっと続いて、今年もまた去年より減っています。
凶悪犯は減っています。それから自殺も去年までは減っていました。青少年の自殺は、
岡田有希子というタレントが死んだときににちょっと増えましたが、だいたい、人口10万対5くらいで、少ないです。
子供の自殺はフランスの方が多いです。だから、マスコミが言っている子供の犯罪増加、凶悪化、自殺の増加というのはみんな嘘。〜」 誰だって「死」は怖い。よほど勇気がないと自ら命を絶つなんてことはできない。ではなぜ、自ら死を選ぶ人がいるのか。
「そこには共通する病気があります。それが『うつ病』です」
うつ病になりやすい人の性格には二つあるという。一つは、まじめで責任感が強く、完璧主義者なタイプ。
もう一つは、人前では社交的で明るいが、一人になると孤独感に襲われるというタイプ。後者は特に人に心を開いて苦しい胸の内を打ちあけることができない。
一人で抱え込み、どんどん自身を追い詰めていく。
https://news.yahoo.co.jp/articles/35a1d83443208360059162bfcc84079089f9f937 >>454
WHO(世界保健機関)によると、自殺した人の97%には、うつ病や躁うつ病などの気分障害や、アルコール・薬物依存、統合失調症、パーソナリティー障害など、精神医学で診断がつく病気があった。
「これは、遺族への聞き取り調査の結果からわかったことです。医療機関にかかっていた人はもちろんですが、かかっていなかった人も、同じようにうつ病などの精神医学的な病気がありました」 >>55
>新宿歌舞伎町、深夜3時すぎ。42歳の中年俳優と18歳のアイドル。
>二人に何が起こったのかは想像するしかない
ちょっと酷い記事だね。
全体的によく調べて書いてる記事けど間にこういういい加減な想像を挟むから噂に尾ひれが付くんだろうね。
この時まだ社長宅に下宿してたんでしょ。
門限あるのにこんなの行けないじゃん。
一度門限破ったらしいけど午前3時に歌舞伎町でホテル入ってから帰ったら門限破りというより朝帰りになるでしょ。
>雨足は強くなり、人々は家路へと急いだ。傘を持たない少女の上着は雨粒でどんどん黒くなる。その袖先をつまむようにして何度も顔を拭った。
>その頬はすでに涙で濡れていた。
そもそもこのプロローグの遠藤康子の記述も酷い。
お母さんがやってる喫茶店を出てから遺体発見まで目撃情報はないのになんで泣いてるのが分かるの?
プロローグだから情緒的に想像で書いたんだとしても真実の中にこういうのを挟むのは止めてほしいね >>457
社長の自宅の下宿生は毎朝、社長とマラソンしていたから朝帰りしたらすぐ分かるね。他のアイドルの子もいたしね。すぐバレるわな。あり得ないだろうね。 『’68年の創業時から芸能事務所「サンミュージック」を牽引し、現在は同社の名誉顧問を務める福田時雄氏は、自らが発掘、育成に関わった桜田淳子をスキャンダルから遠ざけるために、こんな手段をとった。
「桜田淳子の場合は、ウチの所属になったときはまだ中学2年生でしたが、デビュー前から輝いていた。アイドルは誘惑も多いので大変です。
僕は女性マネジャーを付けて、『淳子を守り通せ』と厳命しましたね。行きも帰りも淳子を家の玄関まで送り届けろ、地方へ行ったときは二人でツインの部屋に泊まれ、と言いました。
当時に比べると、今の芸能界のマネジャーとタレントの関係はドライというか、プライバシーを尊重していますね。』
伝説のマネジャーたちが語る「70年代のハチャメチャ芸能界」
2017.09.24
現代ビジネス 講談社 より >>458
書き込んだあと考えたのですが、共演してたということで特別に深夜の外出許可が出てた可能性もあるかなとも思いました。
何せマネージャー抜きで社長宅へ送らせるのを許してたくらいですからね。
ある意味、信頼していたのかもしれませんね。
ただ、深夜のイベントに10代の女の子を一人で行かせるのを許可するかどうかは微妙。
半プライベートなのでマネージャーや付き人はないとしても芸能人友達が一緒じゃないとOKしないんじゃないのかなと思います。
もし歌舞伎町へ一人での深夜外出をOKしてたのであれば、良く言えば大人として認めてた(信頼していた)、悪く言えば親御さんから預かった身としては少々管理がずさんかと。
前々から思っていたのですが、人格者として持ち上げられている相澤社長ですが、同業者と所属タレントへの対応の差が感じられますね。
岡田有希子さんを追い詰めるまで働かせて情緒不安定になってもなおスケジュールを改善しない。
他方、自宅に住まわせるまでして可愛がる。
知っててやってたならサイコパスだし、スケジュール諸々を部下に任せてたのなら監督不行きと思える。
言い方は悪いですが、血統書付きの犬猫を都合良く可愛がる人に似ている。
まあ当時のアイドルの待遇はみんな似たり寄ったりだったようなので、それが業界人としてのスタンダードな対応だったのかもしれませんが。 >>459
70年代はしっかりやってたけど80年代になって面倒臭くなったのかね?
松田聖子さんや早見優さんと人気者が続々と出てきたから一人一人に構っていられなくなったのかな。
もしくはタレント毎に福田さんマターor相澤さんマターと領域があったのでしょうか?
自由しても大丈夫な早見優さん、自由にさせないとダメな松田聖子さん、ある程度自由を奪ってしまってもメンタルケアが必要な岡田有希子さん、個別に対応を分けてほしかったですね。
今さらですし、芸能事務所のプロの方々にこんなことを言うのは失礼かもしれませんが。 >>460
深夜の外出許可はあり得ない。社長は事務所所属のアイドルを我が子のように育成したかったから自宅に
下宿させていたということだし、未成年者を無制限に深夜も自由に行動させて、もし何か問題が起これば
それこそ事務所の大責任問題になる。事務所の信用は地に落ちる。親御さんにも顔向け出来ない。
普通に考えれば、人様の大事な子供を預かっているのだから事務所はきちんと責任をもって所属アイドルを管理育成するでしょうね。
事務所は、有希子さんの芸能界入りを反対していたご家族を「お嬢さんを3年間だけ私たちに預けてください。3年かけてたとえ売れなかったとしても、
立派になった、成長したと思って頂けるように育ててお返しします。」と話して親を説得したということです。社長の責任は重大ですね。
そして、アイドルにとってスキャンダルは命取り。一回のスキャンダルでアイドルは終わりです。せっかく獲得したポスト松田聖子の大切なドル箱商品でもある岡田有希子を
事務所としては、変な虫も付かないように、問題が起きないようにと大切にしっかり守るのではないでしょうかね。
岡田有希子には複数のマネージャー、スタッフが付いていたということです。 >>462
おっしゃる通りで事務所の体面上の方針はそうなんですが、結果を見ると現実とは相違があるかなあと思ってます。
岡田有希子さんは悲しい結果になりましたし、松田聖子さんはデキ婚だったりと。
私生活の領域なので致し方ない点もありますが。
最もそもそもこの歌舞伎町のイベントの話って信頼性があるんですかね?
多くのブログ記事で報じられてますが皆さん引用なんですよね。
元祖の記事は何なんでしょうね?
確認してみたい。
複数人が目撃しているからと信頼性があるように書かれていますが、それが誰なのかハッキリしてないんですよね。
他の話題ではタクシー運転手とか電話相手のアイドルは名前までハッキリしてるのに。
このイベントで必ずリンクされる内容が「手紙の手渡し」なんですが、「渡しただけ」となってるのもあれば 「渡したがその場で破り捨てた」というのもある。
(「破り捨てた」はどうも後日の峰岸会見の内容がごっちゃになっているような。)
で、私が変だなあと思ったブログに至っては途中で二人して消えたとなってる。
私的には当時多数発生したいい加減な話題に尾ひれが付いたのかなと思っています。 ユッコの事件は、サンミュージックが1冊の日記風のノートだかを隠したから、いろんな情報が錯綜しているんだよな。。。 1986年3月21日の深夜に、M岸の主演の映画の試写会に
岡田有希子が封筒をもってM岸のところに駆けつけて、手渡ししているところが目撃されている。
何でも、その日のM岸は些細なことでもスタッフにきれて、イライラしていたらしい。
もしかしたら、一度、門限を破って、社長に怒られたというのは、その時かもしれない。
ただし、その後の話の流れを見ると、その時の密会は、どうもM岸に振られたんでは?と思われる。 M岸の試写会の話は、たぶん、上之郷 さんとかいう社会派のジャーナリストの
書いた本にあったんじゃないの?
この時は1986年3月21日〜22日の深夜なので、高校は卒業していて、
事務所の管理も甘くなりだした時だろうね、おそらく。
ちなみに、その翌日、1986年3月22日には、モノマネ番組かなんかのゲストで
番組収録があったので、その時に何か異変があったというのを、どこかで見た。 >>464
この試写会に駆けつけたって話自体が嘘だったんじゃないかと思っていました。
ただ、事務所の建前(しっかり管理・責任を持って預かる等)を持ち出されると、実態(躁鬱が激しいと感じながらも放置・共演俳優と2人きりで送らせる等)からちょっと納得できなくなりました。
しかし、 >>467 で話の出展が出てきたので事実なのかなと思うようになりました。
あんまり信じたくはないけど。
>>465
私もそう思います。
もっと言えば相澤社長も福田専務も日記風ノート以外も含めて一切だんまりを決め込んでくれればよかったです。
実際は夕刊紙とかにたまに話していてそれも曖昧な持論でなおかつ相澤社長と福田専務で見解が別れてるので余計やきもきしてしまう。
>>466-467
私としては門限破りにしては朝帰りは強烈過ぎるかなと思っています。
18歳とはいえ女性が連絡無しに帰って来なかったら一般人なら捜索願いが出されてもおかしくない事態でしょう。
これでその後何の対応もしなかったのなら管理が甘くなってたんでしょうね。
キッパリ振られたとして自殺未遂までの半月間はだいぶタイムラグがありますね。
自殺前日に電話口に婚約者が出てショックを受けたのが自殺未遂の引き金との見方もありますが、その直前のアイドル友達との電話までは様子に変わりが無かったらしいのでちょっと引っ掛かります。
半月間何も行動を起こさなかったのか、忙しくて何もできなかったのか。
どちらにしても彼女の心境を考えると可哀想でなりません。
モノマネ番組の話も耳にしますね。
ただ、番組を見たことないので私は何とも言えませんが。
>>464-467
色々と煮え切らない書き方になってしまって恐縮です。
あまりスキャンダラスな話は信じたくない反面、そういう話に限って出所が分からないので色々と伺いたいと思っています。 >>466-467
>私としては門限破りにしては朝帰りは強烈過ぎるかなと思っています。
補足するとイベントの時間的に朝帰りに近い時間なるので門限破りで括るのは無理がありそう。
私としては撮影帰りに一緒に飯を食べた辺りか、(考えたくないですが)何かしらの関係があったのならその時かなと思っています。 >>469
自分も「何かある」としたら、撮影期間中のほうが考えられる。
3月21日の試写会の時点は、M岸はユッコに対して逆に迷惑していた頃だろうし。。。
それで、あのドラマの撮影期間って、いつからいつぐらいなの? 当時の週刊誌の話は全く知らないので。。。
自分が彼女の存在を知ったのは、ワイドショーで彼女のジサツの報道を見てから。
しかしながら、私はコドモだったし、芸能界に興味なかったので、
生前の彼女の活躍もほぼしらず、彼女と名前と顔が一致しないくらいの認識だったので。 週刊誌のたった一度の門限破りがいつのことなのか、よく分からない。 >>471-473
試写会に来られてイライラしてたのならその日に関係があるとは思えないですよね。
その頃にはM氏としては会いたくくらいでしょう。
クランクインは分からなかったですが1月中旬に打ち上げをやってるので前年末で撮影は終わってるでしょうね。
撮影期間中だけの関係なら彼女のなかでは大分尾を引いていたんだなと思います。
撮影後もとも思ったのですが彼女は相当忙しかったらしいし、M氏は近所とはいえ親や娘と同居なのでまあ無理でしょうね。
私も当時の彼女に対する知識や印象はあなたと全く同じです。
子供でまだアイドルに興味を持つ年齢でもありませんでした。
ネット社会になる90年代末までは自殺をしたアイドルという印象でお顔よりあの写真だけが唯一のイメージでした。
その後ネットで彼女のプラス面のイメージが湧いてYoutube等で歌ったり話したりする彼女を見てファンになりました。
それからは普通に時々CDを聴いたり動画を見る程度でしたが、コロナで投稿動画が増えて色々思うところが出てきて書き込みをしました。 M岸は最後まで自分は関係ないと言い続けて、しまいには、
「オナラを我慢するぐらいの中」
「言えないこともあるしね」
「俺はロリコンじゃない」
とまで言ったからね。
もし、クロだったら、相当、冷酷な性格の持ち主だよね。 白黒に関わらず冷酷でしょうね、この人。
事実関係の有無に関わらず死者に対してそんな発言をするんですから。
それと自己保身。
これについては分からなくもないですが。
あえて庇うとすればいつまでも付きまとって同じことを聞いてくるマスコミに対してイラついて出てしまった言葉かもしれませんね。
あと当時の俳優特有の尖った対応だったとか。
紳士的に対応して恋愛関係性のところだけちゃんと否定すれば良かったのにイライラする性格が災いしたのかと思います。
ちょうどジャニーズの大御所が無期限謹慎になりましたが彼も30年前の会見でヒンシュクを買った一件をいまだに蒸し返されてますね。
M氏も死ぬまで色物扱いになってしまったので恋愛関係の有無に関わらず、結果的には不謹慎で誠実さに欠ける発言の責任は取らされたのかなと個人的には思っています。 色々と私見を書き込みましたがもう止めることにしました。
最初はいい加減なweb記事に対して怒って書き込んだのですが、最終的には知識がない私が私見を書き込んでいるのも同様だなと思った次第です。
書き込んだ疑問が彼女を冒涜しているようになっていて恥ずかしい次第です。
怒らせてしまった方、色々と紳士にご意見をいただいた方、本当にありがとうございました。
そしてごめんなさい。
しばらくロムに戻って次は良い面の書き込みをするようにします。 一応、当時の出来事を調べたら
彼女の死の直後に、M岸が夜の帰宅時に自宅前で、
その一か月後くらいにテレビの取材で、
更に一か月後に芸能記者が独占取材で、
計3回、M岸は釈明インタビューがあったんだな。
その3回のうちで、徐々に言っていることが変わっていた。 >>478
当事者両人故人なのにそんな憶測詮索して何が面白いんだ? YouTubeが無かったら、完全に忘れ去られるところだった。
実際に彼女の死後、10年くらいは殆どマスコミの露出はタブーだったから。
でも、ちょうど、その頃からインターネットが普及しだし、
死後20年目くらいから動画共有サイトが普及し、生前の動画が出回りだした。
今では、彼女の死後に生まれ世代のファンもいるぐらいだ。 >>481
本当にタブーだったか?
ただ、出す機会がなかっただけじゃないのか? >>482
後追いジサツする若者が増えて、テレビ局が自粛した影響が大きいと思う。
週刊誌、ワイドショーでは騒がれたけど、ほとぼり冷めたら、
彼女の映像を自粛するようになった。 岡田ちゃんの死後の、峰岸氏の会見にしても芸能記者のインタビューにしても、それは峰岸氏の一方的なコメントですからね 岡田有希子はなぜ死んだか
上之郷利昭著
新森書房, 1986.10 岡田有希子の自死はテレビに速報テロップが出たんだよな。ちょうど、笑っていいとも見てるときに出て、ファンじゃなかったけど凄いビックリした。人気アイドルでオリコン1位獲った直後くらいだったし、以前から彼女の名前や活躍はそれなりには知っていたからね。あれは衝撃は凄かったな。 様々な人が様々な記事を書いたり説を話したり岡田有希子さんを貶めるかのような悪意を感ずる記事もかなりあったりと、色々だからね確かに
見極めが大切、見極め出来るか 人の内面なんて複雑で他人がおいそれと決められるものでは無いしハッキリとは分からない、いや、ほとんど分からないものなんではないだろうか。他人のことを簡単に決めつけられるものだろうか。きちんとした証拠や根拠が大切だと思う。
無責任に分かるかのように決めつけたように書き込んでいる人は本当に十二分に気を付けないと、岡田有希子を傷付けて愚弄する事になってしまう恐れあり。(そして、アンチなど悪意を持った人に利用され、更に尾ひれが付くなどしてそれが拡散していく恐れ可能性も) とにかく客観的に広く情報を見ていくことだし、そこに証拠や根拠、整合性や説得力があるかなどに基づいて見ていって、判断して行かないと、自己本位な妄想や勘違い、そして思い込みの方向に行ってしまう危険があるよね。そして、岡田有希子を傷付け、愚弄することになってしまう危険性があるよね。 因みに、自分が書いたものをコピーしてここにも貼り付けました >>500
俺が書いたけど問題ある?
昔はファンじゃなかったしね 今週発売の週刊朝日の「篠山紀信が撮った特選表紙72」にユッコも選ばれてます。
新聞広告の名前の羅列にも出てて久しぶりに活字で “ 岡田有希子 ” を見れて個人的に感動しました。
載ってる表紙画像は1985年の1月か3月のものでした。
ちなみに巻頭カラーだけど1ページに12人分くらい詰め込まれているので画像も小さく、個別に取り上げられている訳でもないです。
写真も大人っぽく撮られているのであまり良さが出てないなと個人的には思ってしまった。
当時を知りたい人も懐かしさに触れたい人もよろしければどうぞ。
まずは立ち読みで確認することをおすすめします。
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=22618 「愛をください」(1988年7月1日朝日出版)にお母さんが寄せた手記には、あくまで岡田有希子の片想いだったと証言していて、峰岸氏は彼女の自殺の原因ではないと、むしろお詫びの言葉まで添えていますよ。彼女の遺書や日記などをお母さんはちゃんと読んでいますから、これが真実ではないでしょうか。 サンミュージック社長とアイドル評論家が語った、岡田有希子の゙あの日゙とベッキー事件 2020.12.31
https://biz-journal.jp/2020/12/post_195667.html >シンデレラ メモリアル
>岡田有希子の死を追って、多くの若者たちが自からの命を断った。いったい彼女の死にどんな意味があったのだろ
>彼女の日記中に、こんな文章がある。断っておくが、もちろん、これは峰岸徹と会う前の日記である。
>あなたの声が聞きたい いつも一緒にいたい
>やさしく肩を抱いてほしい
>だけど あなたに しつこい女だと思われないかしら きらわれないかしら
>そんな不安が頭をよぎる
>自分の気持ちに素直になれない
>あなたを愛しすぎてしまったから
>母・孝子さんの指摘するように、恐らくこれは彼女がイマジネーションの中で、描いていた恋心に対する気持ちだろう。
>だが、夢の世界の恋愛の中でも、彼女の気持ちは積極的ではなく、悲観的である。 >>515
「岡田有希子はなぜ死んだか」
上之郷利昭著
新森書房, 1986.10 岡田有希子を巡る3つの4月物語
https://reminder.top/381145006/https://reminder.top/381145006/ 加トちゃんケンちゃんごきけんテレビに出てたのには意外
亡くなる直前だったんじゃないのかな?
https://youtu.be/CVsvAxb08rg >>514
旺文社の模試で全国1位になったことあるなんて凄すぎるね。頭の良さ本物じゃん。ユッコは東大もねらえたんじゃないのかな >>463
松田聖子と郷ひろみの交際というのは、聖子さんがデビューしてから2年目に入り一人暮らしをしていた時に交際が始まったんですよね。
岡田有希子の場合はデビュー当時から社長宅に他のアイドル仲間数人と共にずっと下宿生活をしていました。そして早朝6時からは社長とみんなでジョギングをするのが毎日の日課だったのだそうです。
ちなみに、有希子ちゃんが一人暮らしを始めたのは高校を卒業した後の4月4日、亡くなる4日前からですよね。 松田聖子は高校3年の7月に中退して上京し、サンミュージックの寮に入って堀越高校に転入、歌手デビューは高校卒業後の80年4月ですね
ちなみに、郷ひろみとは85年1月に破局。神田との婚約は85年の4月。6月に披露宴。 >>523
社長や専務の話によると、マネージャーを岡田有希子と同じマンションかまたはその近くに住まわせる準備をしてる矢先だったそうですね、岡田有希子の自死は。
事務所としては、一人暮らしの岡田有希子を守ろうとしてたんですよね。 福田専務はM岸はシロだと言っているけど、故・相澤会長はM岸はクロだと言っている。
どっちが正しいのか分からない。 もしユッコが生きていたら、『はいからさんが通る』と『アリエスの乙女たち』『ガラスの仮面』の実写版は南野陽子や安達祐実ではなく
ユッコが主役だったはずです! >シンデレラ メモリアル
>岡田有希子の死を追って、多くの若者たちが自からの命を断った。いったい彼女の死にどんな意味があったのだろ
>彼女の日記中に、こんな文章がある。断っておくが、もちろん、これは峰岸徹と会う前の日記である。
>あなたの声が聞きたい いつも一緒にいたい
>やさしく肩を抱いてほしい
>だけど あなたに しつこい女だと思われないかしら きらわれないかしら
>そんな不安が頭をよぎる
>自分の気持ちに素直になれない
>あなたを愛しすぎてしまったから
>母・孝子さんの指摘するように、恐らくこれは彼女がイマジネーションの中で、描いていた恋心に対する気持ちだろう。
>だが、夢の世界の恋愛の中でも、彼女の気持ちは積極的ではなく、悲観的である。 キチガイ一家302岡田 午前4時から騒音女 女のわめき声 謝罪なし 出ていけ 今日中に引っ越せ! この世から消えろ! >>250
ストーキング?人聞きの悪い言い方は改めろ!
誤解が生ずる言い方は故人に対して失礼だ サンミュージック社長とアイドル評論家が語った、岡田有希子の゙あの日゙とベッキー事件 2020.12.31
https://biz-journal.jp/2020/12/post_195667.html 過去に戻れるなら止めたいね
35年前の今頃は何を想っていたのだろうか... イベントなどで撮影したビデオが結構あった
20年以上前になるが、テープの経年劣化や保存を考えると
デジタル化をしたほうがいいと考えていた時期があった。
そして当時そっち方面は詳しくなかったので、
ファンサイトにある掲示板でデジタル化のアドバイスをもらおうと書き込んだが
「デジタル化はとんでもない」「アナログのままがいい」「勝手にデジタル化するのは違法」
だと言われ賛同は少数だったのでデジタル化はあきらめた。
諦めずにデジタル化をしておけばよかった。
YouTubeなどの動画サイトでもユッコの映像を見ないようにしていたのだが、
最近沢山あがっていることを知った。しかし、自分が持っていたのは、イベントで撮影したもの
永遠に見ることが出来なくなってしまった。
84年当時はビデオカメラなんて持っている人は珍しかったからなぁ
たまたま近くに来ていた時見てからだんだんはまっていったな
そのうち隣県だけじゃなくちょっと遠出しては撮影するようになってた
デジタル化していたらみんなにも見てもらえたのかもしれないのに惜しいことをした
それにしても35年か……もうそんなに経ってしまったんだな >シンデレラ メモリアル
>岡田有希子の死を追って、多くの若者たちが自からの命を断った。いったい彼女の死にどんな意味があったのだろ
>彼女の日記中に、こんな文章がある。断っておくが、もちろん、これは峰岸徹と会う前の日記である。
>あなたの声が聞きたい いつも一緒にいたい
>やさしく肩を抱いてほしい
>だけど あなたに しつこい女だと思われないかしら きらわれないかしら
>そんな不安が頭をよぎる
>自分の気持ちに素直になれない
>あなたを愛しすぎてしまったから
>母・孝子さんの指摘するように、恐らくこれは彼女がイマジネーションの中で、描いていた恋心に対する気持ちだろう。
>だが、夢の世界の恋愛の中でも、彼女の気持ちは積極的ではなく、悲観的である。 稀代の霊能者と言われた宜保さんの霊視では有希子ちゃんが自殺したのはたったひとつの理由ではなくて様々な因縁が絡み合って、あんな悲しい結果になってしまった。と。つまり地縛霊、家相、母方の不成仏霊などが重なって自分もまた死の方向に導かれてしまった。と。
有希子ちゃんはとても頭の良い方でした。そして、普通の人にはない感性を持って生まれていました。
享年18歳。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 旺文社の模試で全国1位を取ったこともあるそうだ
第15群の菊里 向陽で受験 合格 >>539
15群合格なら相当な学力だと言える。
ちなみに岡田有希子の地元は金山の近くらしいので通学の便も考えると向陽高校がベストで、菊里はちょっと遠いけど交通の便は悪くないので通えなくはない。
14群の昭和は菊里に比べるとちょっと交通の便が悪い >>540
佐藤佳代が受験した当時は、名古屋市バス77系統(金山-星ヶ丘)という直通バスが走っていたのだよ
つまり菊里高校へも向陽高校へもバス1本 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています