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日蓮ってどういう人でしょう
0001ファンなんです
垢版 |
2024/03/14(木) 10:20:35.94ID:/Qj92Qfo
日蓮って← そっちのスレッドよりもこちらに投稿しましょう
日蓮の宗教は宗名に個人名を冠するほど個人色が鮮明。
勿論、日蓮御自身が日蓮宗を名乗るわけも御座いません。
日本の他の宗教には見られぬ大きな特徴でございます。
ある論者によるとお釈迦さんより地位が上という、では何故
法華経を読むのか?疑念は黒雲の如く湧きます。
雑談,砲弾おっと間違い法談です、なんでも宜しいが
要らざる中傷、実在の私人や個人名、住所などを挙げるなどは控えましょう。
但し、宗教家、政治家、など公人と認めるべき人物を引いて記すのは
構わないでしょうが、無益な殺生は控えるのが仏法じゃないですか。
0002名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/03/14(木) 10:52:35.73ID:kfTbvAU1
南無本因妙の教主・一身即三身・三身即一身・三世常恒の御利益・主師親三徳・大慈大悲・宗祖日蓮大聖人、御威光倍增御利益廣大御報恩感謝徳の御為に
0003獅子丸🐶 ◆jPpg5.obl6
垢版 |
2024/03/14(木) 11:19:45.88ID:qozeMlBQ
●日蓮さん集団ストーカー知ってるんでしょ?
昔のは結果どぅなったんですかU^ェ^U?
0004名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/03/14(木) 13:31:45.84ID:/Qj92Qfo
>>投稿ありがとうございます
そういう風に持ち上げたのが末代の自称弟子たち。
小生は此の新スレのUP主、宗祖個人の存在が宗旨に重いのは
空海と日蓮が双璧と意見に頷く者です。
然も日蓮には空海を強く羨む様子が伝わる【あいつは上手い事をやって
宗旨を認定、然も寄進させた遺産が山ほどある】
さてさて皆さまのご意見,見解、そしてそして偏見をお待ちします。
0005名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/03/15(金) 08:05:44.09ID:q0eT7myk
ここで皆様にお伝えしたい事があります。

大日如来の名前にある「大日」という言葉は、「大いなる日輪」という意味です。
日輪とは太陽を指す言葉なので大日如来は太陽よりも偉大な存在であり、
宇宙そのものだと捉えられているのです。

釈迦如来、阿弥陀如来などの諸仏はもちろん、世界のすべてのものが、
大日如来から生まれたと考えられているのです。
0006名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/03/16(土) 07:36:42.93ID:QPluvWjn
>>0005創価が大日如来の欠点をいうに
大日如来の素性は?つまり最初から存在が架空という指摘。
此の難点に明瞭な解釈でお答えください
0007名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/03/16(土) 13:17:09.09ID:tCvoUSLu
>>6
大日如来が架空の仏だと?
それを言ったら、阿弥陀如来、薬師如来などの大乗の仏は皆、架空だろ
そもそも法華経で描かれている釈迦牟尼如来や多宝如来だって空中に浮いたり、舌を宇宙まで伸ばしたりして実在したものでは無い
0008名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/03/16(土) 20:08:59.37ID:0tuwZgif
架空が良くないなら
既存の経典に依拠しない架空の妄想話をペラペラしゃべる日蓮の教えも捨てないとね
0009名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/03/24(日) 23:10:11.66ID:DHhYISJt
アメリカのカトリック聖職者は精神世界を二つに区分し、一方には聖書に啓示された教義をそのままに置いて、議論の余地なくこれに服するが、政治の真理はもう一つの世界にあるとし、ここでは神はこれを人間の自由な探求に委ねたと考える。

アメリカの聖職者は市民的自由を全面的に支持し、信教の自由を認めぬ人々をさえそれから除外しない。しかしながら聖職者が特定の政治体制に支持を与えることはない。彼らは注意深く政治問題の局外に立ち、党派的関係に巻き込まれない。

私自身の信仰から、カトリックの聖職者にはとくに近づき、その中の何人かとはやがて親しい間柄になった。そのうちの誰に対しても、私は自分の驚きを語り、疑問を打ち明けた。すると、これらの人々の意見が違うのは細部に関することだけであるのが分かった。誰もが、この国における宗教の平穏な支配の主要な原因を、宗教と国家との完全な分離に帰した。私は、アメリカ滞在中、この点で考えを異にする人間には、聖職者と平信徒とを問わず、ただの一人も出会ったことがないと言って憚らない。

聖職者自身の考えを調べてみると、この人々の多くは自発的に権力から遠ざかっているようであり、その外に立つことに一種の職業的矜持をもつように見えるのに気がついた。

彼らは野心と不誠実に対しては、それがどんな政治的意見を装おうとも、口を極めて非難した。だが、彼らの話をよく聞いてみると、人が真面目に信じるものであれば、政治的見解を理由に神の前で罪とされることはありえず、政治において過ちを犯しても、家の建て方や畝のつけ方を間違えるのと同じく、なんら罪ではないと言うのであった。

彼らはすべての党派から注意深く距離をとり、個人のあらゆる利害を傾けて、党派との接触を断っていた。

『アメリカのデモクラシー』トクヴィル
0010名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/03/24(日) 23:10:58.27ID:DHhYISJt
宗教があらゆる不幸を隔てなく慰める感情にのみ支えられる限り、それは人類の心を引きつけうる。宗教が現世の恨みつらみと混じり合うと、愛というより利益で結びついた宗教の同盟者を守るだけのものになってしまうことがある。そしてしばしば、宗教をなお愛しながら宗教の同盟者と激しく戦う人々を、敵に回さねばならなくなる。宗教が為政者の物的なカを分かちもてば、必ずや為政者のかきたてる憎しみの一部をも身に引き受けねばなるまい。

ある宗教がその力の源を、歴史のあらゆる時代に同じように繰り返し現れる感情、本能、情熱に見出している限り、それは時の挑戦をものともしない。少なくとも、別の宗教によってしか滅ぼされぬであろう。だがそれが現世の利益の支持を得ようとすると、地上のあらゆる権力とほとんど同じように脆弱になる。独りでいれば、永遠を期待できるのに、束の間の権力と手を結ぶと、その運命の後を追い、しばしば権力を支える一時の情念とともに滅びる。

だから宗教は種々の政治権力と手を結んでも、厄介な同盟関係に入るだけである。宗教が生きるために政治権力の助けは要らず、政治権力に仕えれば、宗教は死ぬかもしれない。

アメリカの聖職者は他の誰よりも前にこの真理を認識し、行動をこれに一致させた。彼らは、政治的権力を得ようと思うならば、宗教的影響力を放棄しなければならぬことを理解し、政治の有為転変を共にするよりは、その支持を失う方を選んだのである。

ヨーロッパの不信仰者は、キリスト教徒を宗教上の敵というより、政治的な敵として追及している。彼らは誤った信仰という以上に、一党派の意見としてキリスト教を憎むのである。聖職者の中に権力の友を見てこれを退けるのであって、神の代理人を拒むのではない。

『アメリカのデモクラシー』トクヴィル
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