X



創価幕府(信濃町幕府)をつくろう
0001名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/02/10(土) 21:20:38.33ID:L2Wb5oaU
仏敵を倒して実現しよう
0003名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/02/11(日) 18:39:37.74ID:d8hc0MpN
征夷大将軍は誰にするの?
0005名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/02/14(水) 14:37:22.58ID:bCQ59rDL
日本に創価があってなぜ福一が逝ったのか。誰も答えてない。
またなぜシナが尖閣を攻めて来る。資源を取りに来てるのは解ってる。
宗教観で答えなさい。創価の人。なぜ能登も逝ったのか。
0006名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/02/14(水) 21:48:32.35ID:6cvRBlsC
山上徹也 → 自公幕府の大御所(安倍晋三)を討ち取る

真田幸村 → 徳川幕府の大御所(徳川家康)を追い詰め本陣の馬印を倒すが、討ち取り失敗
0007名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/02/26(月) 09:23:54.63ID:7rOtzQsJ
上級国民は防犯パトロールや攻める防犯などと称して不都合な人間を警察などの公務員や創価、一般人などを使い集団ストーカーなどの精神工学兵器を使いまるでナチスのように虐殺、もしくは科学的根拠のない統合失調症などと診断し精神科に拉致監禁して薬漬けの廃人にしていますが、こちらの地域では何人殺したんですか?
0008名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/02/27(火) 21:27:42.77ID:4FZbVDxc
山口首相で創価幕府を開こう
0009名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/03/20(水) 09:20:12.43ID:Iy+3tWt7
山口総理で創価幕府をつくろう
0010名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/03/24(日) 23:51:29.35ID:DHhYISJt
アメリカのカトリック聖職者は精神世界を二つに区分し、一方には聖書に啓示された教義をそのままに置いて、議論の余地なくこれに服するが、政治の真理はもう一つの世界にあるとし、ここでは神はこれを人間の自由な探求に委ねたと考える。

アメリカの聖職者は市民的自由を全面的に支持し、信教の自由を認めぬ人々をさえそれから除外しない。しかしながら聖職者が特定の政治体制に支持を与えることはない。彼らは注意深く政治問題の局外に立ち、党派的関係に巻き込まれない。

私自身の信仰から、カトリックの聖職者にはとくに近づき、その中の何人かとはやがて親しい間柄になった。そのうちの誰に対しても、私は自分の驚きを語り、疑問を打ち明けた。すると、これらの人々の意見が違うのは細部に関することだけであるのが分かった。誰もが、この国における宗教の平穏な支配の主要な原因を、宗教と国家との完全な分離に帰した。私は、アメリカ滞在中、この点で考えを異にする人間には、聖職者と平信徒とを問わず、ただの一人も出会ったことがないと言って憚らない。

聖職者自身の考えを調べてみると、この人々の多くは自発的に権力から遠ざかっているようであり、その外に立つことに一種の職業的矜持をもつように見えるのに気がついた。

彼らは野心と不誠実に対しては、それがどんな政治的意見を装おうとも、口を極めて非難した。だが、彼らの話をよく聞いてみると、人が真面目に信じるものであれば、政治的見解を理由に神の前で罪とされることはありえず、政治において過ちを犯しても、家の建て方や畝のつけ方を間違えるのと同じく、なんら罪ではないと言うのであった。

彼らはすべての党派から注意深く距離をとり、個人のあらゆる利害を傾けて、党派との接触を断っていた。

『アメリカのデモクラシー』トクヴィル
0011名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/03/24(日) 23:51:52.31ID:DHhYISJt
宗教がその力を、万人の心を等しく捉える不滅への希求の上にのみ基礎づけようとするとき、それは普遍性を目指しうる。だが宗教が一つの政府と一体化してしまえば、特定の国民にしか適用できない教えを採用しなければならぬ。こうして宗教は、一つの政治権力と結ぶことで、ある人々に対する力を増大させ、万人を支配する望みを失う。

宗教があらゆる不幸を隔てなく慰める感情にのみ支えられる限り、それは人類の心を引きつけうる。宗教が現世の恨みつらみと混じり合うと、愛というより利益で結びついた宗教の同盟者を守るだけのものになってしまうことがある。そしてしばしば、宗教をなお愛しながら宗教の同盟者と激しく戦う人々を、敵に回さねばならなくなる。宗教が為政者の物的なカを分かちもてば、必ずや為政者のかきたてる憎しみの一部をも身に引き受けねばなるまい。

ある宗教がその力の源を、歴史のあらゆる時代に同じように繰り返し現れる感情、本能、情熱に見出している限り、それは時の挑戦をものともしない。少なくとも、別の宗教によってしか滅ぼされぬであろう。だがそれが現世の利益の支持を得ようとすると、地上のあらゆる権力とほとんど同じように脆弱になる。独りでいれば、永遠を期待できるのに、束の間の権力と手を結ぶと、その運命の後を追い、しばしば権力を支える一時の情念とともに滅びる。

だから宗教は種々の政治権力と手を結んでも、厄介な同盟関係に入るだけである。宗教が生きるために政治権力の助けは要らず、政治権力に仕えれば、宗教は死ぬかもしれない。

アメリカの聖職者は他の誰よりも前にこの真理を認識し、行動をこれに一致させた。彼らは、政治的権力を得ようと思うならば、宗教的影響力を放棄しなければならぬことを理解し、政治の有為転変を共にするよりは、その支持を失う方を選んだのである。

ヨーロッパの不信仰者は、キリスト教徒を宗教上の敵というより、政治的な敵として追及している。彼らは誤った信仰という以上に、一党派の意見としてキリスト教を憎むのである。聖職者の中に権力の友を見てこれを退けるのであって、神の代理人を拒むのではない。

『アメリカのデモクラシー』トクヴィル
レスを投稿する