日蓮ってver.60
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前スレ日蓮ってver.59
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「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題はほどほどにして下さい。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。
「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題はほどほどにして下さい。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。 釈迦の生誕は諸説あるが、大雑把に紀元前5世紀頃である。
釈迦の言葉は伝承され、パーリ経典・阿含経典に繋がった。
一方、大乗経典の登場は紀元前後。大乗経典は釈迦の時代からの伝承ではない。
当時は、釈迦の言葉は初期経典であり、大乗経典は創作同人だというのは常識であり、さすがの大乗も釈迦の時代からの伝承だというデマは捏造できなかったのだろう。
大乗経典は口伝伝承を前提としていないため暗記を容易にするような、単純な文を反復するという構成ではなく、その内容も哲学的なものも多く、明らかに文伝を前提とする文章構造になっている。文献学的観点からは文伝を前提としているのが大乗で、口伝を前提としているのが小乗である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%9D%9E%E4%BB%8F%E8%AA%AC
釈迦と繋がっているのは初期経典であり、大乗は釈迦には繋がっていないというのは学会、仏教界の常識であり、これに反対する現代の学者はいない。 日蓮自体が他の宗派に攻撃的だし、自分を釈迦の生まれ変わりと勘違いしたり、もうどうしようもない人でした。
法華経の要点である「自分を愛し、他人も愛し、世界を認める」 を実践出来なかったのが日蓮
日蓮は文鮮明や麻原彰晃みたいに半島系のDNAではないかと思います。
「南無妙法蓮華経」と題目を唱えたって無駄です法華経を読みましょう。 釈迦の教えでは、悪しき者、愚かな者は覚ることができず、救われない。また、覚りは個人の問題であり、他者に縋ることはできない。釈迦の教えは、理論的に正しい反面、厳しい教えでもある。
そこで、愚鈍な大衆向けに、誰でも簡単に救われる低俗・低脳な宗教をでっちあげた。それが大乗である。 >>6 KEYWORDが布施なのです。
佛法僧は仏教を構成する三大要素で一つとして欠かせません。
其れを維持する、維持させる為に一般大衆に布施を勧進し行わさせます。
その功徳を得て、施主は成仏への途が開きます。
創価学会が、「正宗寺の僧は偽物」とキャンペーンを打つ理由が上に示されます。
そんな創価は「会員全員が僧です」と持論を盛ってます。
其の真相は、信濃町に生える黒い茂みが黒々と隠し好く見えません。
とはいうモノの、幸福になった無名の者が勝利と言えるでしょう。 釈迦は神仏を崇拝しなかったのに、大乗は神仏を崇拝する。だから、大乗仏教の教義は釈迦の教えとは違う。
当時(初期)の仏教は無神教(むしんきょう)といったほうがよく、神の崇拝や釈尊仏陀自身を仏として崇拝することを許しませんでした。
弘法大師・空海(くうかい)によって開かれた真言宗は、仏教の中でも比較的中期から後期にかけて展開された「密教」であるといわれます。
https://www.koyasan.or.jp/shingonshu/ >>8 お釈迦様は、神仏を他者にみせるように崇拝しなかったかもしれませんが。
然し存在を認め、礼儀を以て接します。
梵天勧請,ムチャリンダ大龍神などの記録は無視できません。
畢竟、成仏とは生き乍ら肉身を保ち「神と同等の存在に化す」と云えましょう。
凡俗の目に見えぬ存在である霊的な神仏と「お仲間に成る」わけですから。
事改めて、今更に説く必要性は薄いのでしょう。
如何ですか?此れは空海の即身成仏とホントに似て居ませんか? 大乗の次の問題は、個人の問題である覚りと「一切衆生の救済」との連携である。
本来的には覚ったとしても、他者を救済することはできない。覚りは個人の欲望や執着から解放されることによって達成されるのだから、他者の救済とは無関係である。
釈迦が説いた慈悲は、正しい教えを伝えることであった。覚りへの正しい道を教えてあげることが、その人の覚りに繋がったのであり、釈迦の弟子達は自身の覚りに達していた。
ところが、愚民の救済を謳う大乗はそれでは足りなかった。そこで覚りを神秘的奇跡としてオカルトパワーの源にした。覚りは宇宙レベルの歳月が必要な巨大プロジェクトとなった。
さらに、ヒンズーから神仏を借りてきて、神仏のオカルトパワーを追加した。マントラを繰り返すことでオカルトパワーが生まれるとの教義もヒンズーの影響である。
つまり、神秘化された覚り+神格化した諸仏やヒンズーの神々によるオカルトパワーによって、「一切衆生の救済」が可能になるとした。
これは、神仏やアートマンなどのオカルトを排除した理性的教義を構築した釈迦の教えの対極にある。 現代の人間が
釈迦はどういう人だったか?を解明するのは不可能
残された文献でもどれが1番近いか?と言ってもだあれだけ詩篇的に表されている以上
著者の審美性が関与している事が読み取れる。つまり釈迦の言葉では無い。
それを踏まえた上で
どの経典にも共通する哲学がある。
「世界は存在しない」
ただコレだけが釈迦の言った事だと信じるしか無い。 >>4
>法華経の要点である「自分を愛し、他人も愛し、世界を認める」 を実践出来なかったのが日蓮
日蓮は仏法だけで無く
政治にも野心を持ってたからね
ここを見逃しては、真実の日蓮を見誤るかもね
日蓮「政治、政治、政治、政治、政治、、、、政治も仏法だろ?、、、違うか?、、、、」
これが日蓮 公正世界仮説に生きる人に私の母親が乳がんになった時
団体に入らないからそういう病気になるんだと直接言われました(実話)
彼らの救済というのはこれです >>13
日蓮に言われたの?
君のお母さんは鎌倉時代に亡くなったのか?
君は今いったい何歳なんだ? ゴーギャン・俺はフランスを去ってタヒチに行く
ゴッホ・日本じゃ無いのか?
ゴーギャン・タヒチだ
ゴッホ・君は日本へ行くべきだ!
ゴーギャン・日本が芸術的に素晴らしいと思っているのは君の方だ。なぜ他人に日本を勧めるんだ。僕は日本なんかに全く興味など無いのに >>14
団体名は言えません、2018年頃
私の母親は抗がん剤のおかげか回復して生きてます
年齢は20代ということで >>10 密乗の加持祈祷は神仏に祈り祈願をして
祈りを叶えようとする。
貴君の持論によるとお釈迦さんは救済の祈りを出来ない無能な宗教人。
というお姿になってしまうが、お釈迦さんがアレ程までにインドの宗教界を
席巻支配と言えば少し大げさだが、制圧した理由は祈願に応えた奇跡の人であった故と
私は思うのだ、人は故無くして布施を出さないし弟子にもならない。 >>17
日本で読めるだけの仏典(岩波文庫だけでもよい)を読むと
釈尊はオカルト全否定の人だよ
加持祈祷や功徳なんて全く問題にしていない哲学者として描かれている。
たとえ話方便は、例えば法華経の方便品の冒頭にある釈尊の挫折から生じた
嘘話として読む姿勢がないと、釈尊の哲学を読み取れないよ。
満月の夜、三才の幼女と月を眺める。
「ほら、お月さんにはウサギが餅をついてるんだよ」
もし幼女が知性的な女性に育てば
太陽の光は真実ゆえ直視出来ない、でも月は太陽の光を反射させて
優しい光によって私達に照らす。わかりやすい。
その優しい光も太陽の光で無いのと同時に、わかりやすい例え話にもなり得る。 大乗はまず、「一切衆生の救済」を前面に出した。信じる者、縋る者は救われると謳った。
しかし、この教義の問題は、現実の民衆の苦しみに対して、大乗の神仏は何もしてくれないということである。コロナや紛争で苦しむ民衆は大勢いるが、放置されたままである。
そこで、現世ではなく、浄土で救われるといったシステムも使用されるようになった。こうすれば、現世で民衆が救われない問題から逃げることができる。
これは、キリスト教からのパクリだろう。極楽浄土は天国だし、弥勒はメシアである。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/bukkyokirisuto02.htm
もっとも、「一切衆生」を救うと謳う以上は、信者である必要もなくなるし、覚る必要もなくなるという問題は依然残っている。本来、覚りを目指していた釈迦の教えと乖離している。
つまり、土台である仏教と増改築部分で不整合が生じている。 >>18 岩波文庫が参考書であろうと、無かろうと
釈尊が実地に救済をする現場を見て弟子に成った人が多数。
この人は「真に仏陀であるとの実効と共通認識」を示した。
其れを見聞きし、其れなら俺も人生を賭けてみようと入門する
空手の大山倍達氏の荒業と実力を見、入門するのと同様じゃないですか。
お釈迦様の説く方法を実行してみようと、思わなければ当時の宗教界を
揺り動かすことは在り得ません。
成仏はオカルトですかね? >>19
>しかし、この教義の問題は、現実の民衆の苦しみに対して、大乗の神仏は何もしてくれないというこ
結局、自分を救うのは気づきと自発的実存の発動でしかない。
それへの気づきのヒントを与えるのが大乗仏教。
そのヒントである「月ではウサギが餅をついている」を
レトリック・修辞・たとえ話・方便として理解出来ず
ヒント自体が仏法だと思い込む人が多過ぎる。
だから様々な日本の宗教はスーパーナチュラルでオカルト的教条が形成され
順応主義者にしかなれない、知性の低い大多数によって
別物の大乗仏教が出来てしまう。 >>20
>この人は「真に仏陀であるとの実効と共通認識」を示した
それは、あなたが、そう思っているだけです。
占い師・あなたには優しい奥さんと2人のお子さんと郊外に住んでますね
相談者・いえ、、、わたしには3人の子供がいますけど?
占い師・それは、あなたが、そう思っているだけです。
(わからない人へ・これは托卵ジョークです。さあ誰が托卵仏法を振りまいたのでしょうか?) >>22 貴方が信ずる仏陀の無力さ、その程度の宗教では過酷なインドの風土では
名前が残りませんよ。 大乗仏教を理解する為に、精緻なる哲学が必要。
大乗仏教を大乗仏教という対象を視野に入れず、実質大乗仏教の本質を語った
マルクス・ガブリエルを仏教徒は読む必要がある。「なぜ世界は存在しないのか?」だけでも良い。
皆んなが思い込んでいる事は、「それは、あなたが、そう考えてるだけです」という
個々の事物とそれを認識するこべつの存在者が存在するだけだと精緻な論理でマルクスガブリエルは語る。
まず個々の事物に関して認識が生じるのは「個々の世界」という「場」を論理的に要請しようとする。
これはハイデッカーの言う所の「存在の地平」と同値率を結ぶものとも言える。
東京スカイツリーを見ている人が、そこ(見ている場所)が認識が生ずる「場」なだけであって
東京スカイツリーを、そこから見ているという事実・経験がある事が認識の根拠だ。
また想像上で東京スカイツリーを思い浮かべる人がいたとしても
かつて何か・何処か・で東京スカイツリーを見たという経験があるからこそ
東京スカイツリーを思い浮かべる事が出来るのだ。
また、カントの「純粋理性批判」で説いた先天性悟性概念を備えていなければ
東京スカイツリーは、どこからどう見ても、東京スカイツリーとしての知覚は生じる事は無い。
現在の(2021年の)天才哲学者マルクス・ガブリエル自身も
「私は認識論では無く、認識論以外の認識論なのだと思う」と発言する。
仏教徒や哲学徒が1番驚くのはココだ。
Blow by blow
彼は豊富な例を挙げて新実在論を説いた。そして
その豊富な事例はますます増え続ける。
過去の実存主義とは違い、21世紀の新実存主義は歩みを止めない。
何処かで止まってしまったら、それは「新実在論・新実存主義」では無くなるから。
21世紀の天才哲学者はスタティックな哲学に動きを与えた。(無限軌道)
これほど大乗仏教との親和性の高い哲学があるだろうか?
日本の西田幾多郎がカントやヘーゲルやベルクソンと禅宗との所説を勘案した。
しかし、西田幾多郎には走り続ける精神的体力・胆力は無かった。(続く) (続き)
東京スカイツリーを大乗仏教と置き換えて、マルクスガブリエルと法華経を読んで欲しい。
なぜ法華経の釈尊役の人は方便品で「挫折宣言」から始めなければならなかったのか?
これへの気づきが、大乗仏教への気づきと理解になる。 大乗仏教が日本の主流と云うのは認めるべきだ。
さてその祖師たちが夫々申されることに共通点が見られる。
「私の見出す此の教えは、釈尊と直に繋がって居ます」なのだ。
当然現代の我々は、明治以降の新資料を入手し、祖師方の主張を(日蓮もだよ)
検討する事になる。
彼らの主張が其れで善いのか、これからの未来に於いても在り得るのか、
斯くして俎上に上げられる。
話は少し飛ぶが、考慮すべき実例もある。
チベット仏教の形態である、この仏教は初期の仏教から大乗、金剛乗の歴史経過を
其の儘に最終段階の印度仏教を主流にして今も尚存する。
日本では如何だろうか?インドの歴史発展経過をほゞの様に無視し、インドでは昔に
棄てられた初期大乗仏教が主流になっている。
詰まり歴史から逆戻りし古代の遺跡が今なお利用されていると表現しても
然程誤りでもなかろう。
仏教史に関し、全く無知であろう鎌倉時代の祖師方をどのように扱うべきか。
人文学の今後の発展は不要と申されるなら、仏教の学術論文は無価値。 チベット仏教を一括りにするのは危険。
パドマサンババやツォンカパやドルジェタクなど様々なチベット仏教があり
それぞれが皆違う。 人や教団をベースに仏教をみると混乱する
それはその土地、その時代を知らなさすぎるせい
妙法蓮華経という哲学に触れて人々がどのように感じて
どのような行動をしてどんな社会を作ってきたかに刮目したい。
そして権力や戦争によっていとも簡単に善良なる社会は壊されてしまう。
同じ轍を踏まないためには何をなすべきか
日蓮は法華経の兵法をもちいよといってるね。 >>28
>日蓮は法華経の兵法をもちいよといってるね。
それがもし
日蓮の
意図的なメタファーやレトリックだったらどうする?
それを決定するアンダーライナーって法華経の何処に在るのかな?
人から、こういう風に聞いた。とか
勧められた本に、そう書いてあった。とか
もう、そういう自己欺瞞は止めよう。
自分を信じろ。 システムにちょっとした不都合があって、どうしたら良いか?と
コンピュータに強そうな20代に聞く。彼らは解決策が浮かばない。
それを横で見ていた60代の上司がエディター開いて16進でパッチコードを作る
あっさり解決。
これは何処の会社でも見かける風景だ。
ユニットはフラグメントでは無いし、クラスターもフラグメントでは無い。
人間はいつから、忘れてしまったのか? 仏法も同じく 何も考えがない君より、劣る人は居ない。
しかも条件付きで君は該当しないから心配無用
日蓮は「法華経の兵法」とはいかなるものかを説明してない
この文を見た人たちがそれぞれの立場で思慮深く考え行動する >>30
>それを横で見ていた60代の上司がエディター開いて16進でパッチコードを作る
>あっさり解決。
>これは何処の会社でも見かける風景だ。
今時、そんな事している会社なんか無いぞww
昭和50年代ではあったかもしれんがww >>27 このスレでそこ迄、詳細に
金剛各流派名を上げる必要性がない。
小生はこんな見解を持つが如何か?
チベットに直輸入された金剛派の供養法の成立は、インドの土着信仰である
バラモン僧侶と仏教僧は密接な交流があり、敵対関係ではなく極めて友好的でなければ
あのように煩雑極まる法会式次第は、習得できなかろう。つまりバラモン制作が先に在り
其れを仏教側が理論付けを行う手直しをして導入したとみるのだ。
これは法華経の陀羅尼品にも共通している。 >>31
>何も考えがない君より、劣る人は居ない。
もう、こう考える事が大乗仏教じゃ無いよね?
まるで、宗教団体同士が喧嘩してるみたいじゃ無いか? >>33
なるほど、了解しました。
私にはチベット仏教においての不思議なカウンター・リバースを感じます
ここは法華経のメタフォリカルなキャラクタリゼーションに似ているようで似ていないようで
以下のよう
1・ナーガールジュナとツォンカパで中観の解釈が違うのでは無いのか?
2・何故ダライ・ラマは来世「金髪おてんば娘」に生まれ変わるのか?
パンチェンラマと中国共産党を相手にしているとしても、何故(少なくともゲルク派は)それを受け入れてしまったのか? 平安時代の仏像と鎌倉時代の仏像では、何故あれだけ表情が違うのかな?
と前々から不思議だった。
色々なお寺さんを回って住職さんに、その事を聞いて回った。
誰も答えを持っていなかった。
私はそこに鎌倉新仏教のre・birth 感を感じる アルカイック・スマイルが消えたと言うよりも
何故、日本に入って来た仏達は「笑顔」を携えて来たのだろう?
鎌倉仏教では何故、笑顔を切り捨てたのだろう?
鎌倉以降の仏教にはメメントモリが無くなって無いんじゃ無いか?
どうもここに、今現存する日本の大乗仏教のコアがあるように感じる。 >>38は書き間違え
アルカイック・スマイルが消えたと言うよりも
何故、日本に入って来た仏達は「笑顔」を携えて来たのだろう?
鎌倉仏教では何故、笑顔を切り捨てたのだろう?
鎌倉以降の仏教には「メメントモリが無くなってしまったんじゃ無いか?」
どうもここに、今現存する日本の大乗仏教のコアがあるように感じる。 大乗仏教を考える時、大乗仏教と仏像発祥の地アフガニスタン・パキンスタンに
関して私達は知らな過ぎじゃないだろうか?
大乗仏教大ブームを巻き起こした訳だが、私達の親しみのある大乗仏教では無いのと同時に
それが本物の大乗仏教だった。大乗仏教が始まった地だから。
何故ガンダーラの仏像にはアレグザンダーやエルメスの仏像まであるのか?
何故クシャン人の神様も仏像になっているのか?
それらを全て含めて大乗仏教だと言う。
バーミヤンの洞窟に埋まっていた六波羅蜜(今の所最古の大乗仏典・リチャード・ソロモン)
このミクスチャー自体が、構造化では無く、ゲシュタルトを崩壊させ
消滅させ、空にしているのじゃ無いかな?
空と言うのは何も無いように見えて
何も無いものとして存在する。
どうしてもマルクス・ガブリエルになってしまうな ああ、アレグザンダーじゃ無くてアレキサンダー大王だね
アレグザンダーってNYの百貨店だw >>39
佛と共に微笑む、三毒を離れる人間になる為に空海は曼荼羅を持ち帰る。
嘘だと思うなら金剛界、胎蔵界を見てごらんなさい、憤怒相以外の
佛菩薩は皆さん笑顔をしていらっしゃる、見る此方も笑顔になる。
鎌倉以降は礼拝救済の対象に据えたって事ですよ。 >>6
出鱈目もいいとこ。大乗の発生はそんな単純な話ではない。日蓮の起業動機ならわかるが。
>>8
大乗が神仏を崇拝するとは妄言もいいとこ。逆に神仏が仏を崇拝讃美し守護している。 >>10
これまた出鱈目もいいとこ。オカルトパワーなどに頼ったなど貴殿の脳内にしかない妄想の類だ。
>>19
阿弥陀思想はそんな低俗な発想からはないよ。日蓮や創価の話ならわかるが。 >>26
大乗仏教が釈尊につながっているのは疑問の余地がない。そうでなければ仏教とはいえない。
日蓮教が仏教でないのはこの点からも明らかである。 >>46 そのつながり方を論じる意味は、現代に生きる
人間(貴方も私も皆含めて)幸福実現に仏教は寄与するのか?でしょう。
日蓮の思想はそのまんまで通用が在るべきか❓も当然入ります 四法印の一つに「一切皆苦」とありますが、ブッダはまずその苦についての真理を覚ったのだと言われます。
全ては苦しみであり、その原因は執着を持つこと。だから菩提を得て無執着の心境に達すれば滅諦の実性を悟る事が出来る。
それが四諦説法の核心だと思います。かき乱された心を平安な状態 即ち涅槃に近付けて行くには、まず執着を捨てよと。
欲望に動かされる利己的な志向性を内包する五蘊を
道諦の実践によって (五蘊を超えた)真我=ブッダの智慧が支配権を握り、五蘊を統御可能になった状態
を目指しているとも言い得るかもしれません(でも、あまりそういう表現は聞かれませんね) 初期経典が釈尊の原姿を伝えるものであるにせよ、釈尊の教説が必ずしもそれにとどまると考えることはできない。
しかしそれらを元にしてアビダルマといわれる詳細な教学体系が構築され、部派仏教は僧院における哲学論議に明け暮れる。
なかでも説一切有部の学派はもっとも精緻な理論体系を誇った。
しかしそもそも宗祖の釈尊はどうであったか?閉ざされた僧院にこもって観念的な修行に耽っていたか?そうではない。
入滅にいたるまで弟子たちとともにインド各地を遊行し、在家信者の供養を受けながら彼らのために法を説いたのではなかったか?
だとすれば釈尊の教えを奉ずる修行者は、まずその修行の功徳をあまねく民衆に及ぼすのでなければならないのではないか。
同時に説一切有部の「すべては存在する」という実念論に対し、「すべては空である」との般若思想がこの運動の理論的骨格を為した。
ここに菩薩が主役となる大乗運動が興った。つまり大乗仏教はこの意味で、釈尊の姿に帰り利他を実践せんとする修行者の運動だったのである。 >>49
>初期経典が釈尊の原姿を伝えるものであるにせよ、釈尊の教説が必ずしもそれにとどまると考えるこ
釈尊がどういう人だったのか?モデルは誰だったのか?は決して分からないけど
それを理解した上で、様々な仏典を読んでみなよ
様々なお経同士で必ずリテラル・ロジックの対立が存在するんだよ。
そこを見ようよ。
ここまでリテラシーに時間をかけている所で釈尊の真実の姿は完全にフィルターをかけられた。
誰かさんに教えて貰った釈尊は実はsnowだったりするかも知れない。
それでもお釈迦さんなんだよ。そのお経の中の役者としてのお釈迦さん。
部派仏教も初めから前情報を貰っちゃうから批判的に読む人や読まない人もいるけど
部派仏教のメタファーって強烈だぞw 読み物としては優れた作品だ。
もう、お釈迦さんがどういう人だったか?という話は無理で、学究達からして
様々な文化的、社会的、経済的時代背景を考察しても難解と言われている。
例えばお経の中でも腹抱えて笑うコメディ仏典の「維摩経」
あの維摩爺さんが釈尊の弟子やら菩薩やらを次々に論破して呵々大笑している。
読んでて痛快だ。そういう仏法なのだろうと楽しんで見たけど
これって説一切有部を批判する為のお経だと聞かされる。
ここで初めて、大乗の人の中にもテクスト論的・表層批判的ダメ人間がいて
そいつらも一緒に批判してたと最後に分かる。
こういうリテラシーの妙味を味わうのも、お経の重要な部分だよ。 >>50
貴兄の投稿はいつもやたらに冗長なだけで内容が皆無だ。毒にも薬にもならない。
したがって貴兄にいうことは何もない。 >>51
>貴兄の投稿はいつもやたらに冗長なだけで内容が皆無だ。毒にも薬にもならない。
>したがって貴兄にいうことは何もない。
それは貴方が「こう言って欲しい」と言う貴方自身の価値観と期待ハズレだったから?
ただ貴方は同調が欲しかったから?
修辞と文脈を解読出来ないと、仏典なんて読めませんよ。
ただ、貴方のような人の為に宗教団体が存在する事だけは否定しません。
人間というのは弱い者です。
それで良いのです。
同調・共感出来る仲間と一緒に居るのも決して悪くはありません。 「一切衆生の救済」という目的について大乗の論理は破綻してしまった。この点を整理しておこう。
紛争やコロナで苦しみ、死ぬ民衆がいるにも関わらず、神仏は実質的には放置したままである。
大乗の言い訳@
コロナのワクチンができたのは大乗あるいはその思想のお蔭。
←ワクチンを開発したのは欧米の製薬会社。他者へのいたわりはキリスト教にもあるし、宗教に関係なく道徳的美徳とされている。
慈悲自体、大乗がキリスト教からパクった疑いも強い。
大乗の言い訳A
来世で救済される。
←実証不能なオカルト。論理的回答ではない。
大乗の言い訳B
信者以外は救わない。
←一部の人間しか救わないのでは、「一切衆生」の救済のお題目に反する。慈悲が浅い。
大乗の言い訳C
救いとは病気や死から回避させることではなく、正しい教えを知らせることである。
←これ自体は正しいが、それは伝統仏教の教え。「一切衆生の救済」だの、「大乗」だの、偉そうに言ってたのは何?
以上のように、「慈悲」「一切衆生の救済」をキリスト教からパクって大乗の教義にしたものの、破綻している。
神仏には慈悲の心があるとしたため、神仏には人間を救う義務が生じ、神仏を人間の下僕に貶めることになった。 しかし、神仏は人間のために奉仕してはくれず、現実にはコロナや紛争で多くの民衆が死んでも、神仏は何もしてくれない。
なお、釈迦の教えでは、紛争や病気で死ぬのはこの世の理。
もちろん、戦争なんてする自分勝手な心は批判するし戦争反対。医療の向上だって支持するだろう。
しかし、根本的なところで、人がいずれ死ぬ。
したがって、釈迦の教えでは何の問題も生じない。 大乗仏教を、何か功徳が貰えるオカルト宗教だと思ってる人は多いとおもうぜ
本当のお釈迦さんの教えかどうかは、ともかく
現代人は仏教は、、、何と言うかなあ
「死の舞踏」とか「メメントモリ」とか「バルド」と真逆な方向を向いて
それを仏教と呼んでいるんだよな。
そういう人達はイングマール・ベルイマンの「第七の封印」も見ても観れない人なんだろうな。 印度で、仏教がほゞ消えたにも拘らず、仏陀釈尊とほぼ同時期に
現れた宗教のジャイナ教が存続している理由は何なのだろうか?
この宗教は僧侶、僧院、教典の三部がきちんと保持されている。
何処で大差が付いたか知りたいと思いませんか。
己は大乗仏教と自ら称する、我が国の教界も危うい可能性が無きにしも非ず。
大乗仏教経典とは、世間に出ては消え、出ては消えるを繰り返す流行歌みたいな様相であると
印度の歴史は教えます。 >>55
>現れた宗教のジャイナ教が存続している理由は何なのだろうか?
クシャン王朝時代からマトゥーラ周辺では今で言う創価学会経済圏みたいに
ジャイナ教経済圏が上層1パーセントの人達に支持されていて
カニシカ王の時代からご当地宗教を尊重しないと帝国は作れないって政策なんだから
ジャイナ教も大乗仏教に含まれたんだよ。
ガンダーラやバーミヤンと言った大乗仏教の発祥の地にはガンダーラ美術で
キリスト教・ハリストス教・ゾロアスター教・ギリシャ神話・仏教・ジャイナ教など
様々な宗教をクシャん王朝はミックスした。それが大乗仏教。
だけどこれ、日本の仏教の授業であまり時間かけないですっ飛ばすんだよな。
ここが1番大切なところなのにね。
有名だから知ってるだろうけど、釈尊とヘラクレスが一緒に座ってる仏像もあるぐらいだからw >>55
>大乗仏教経典とは、世間に出ては消え、出ては消えるを繰り返す流行歌みたいな様相であると
埋蔵経ね。
「時代がその仏法を必要とする時に発見される」と言うけどさ
それもレトリックじゃ無いか?
チベットの人達は埋蔵経のバルド・トドル(パドマサンババが書いた事になってる)
をありがたがって毎日ポアの修行をしてるらしいけど
あれをエヴァンス・ベンツがバザールで購入して研究して、どうもパドマサンババ説は否定的だったらしい。
でも作者がパドマサンババじゃ無くても、内容は面白い。
仏法とか仏典ってそういうものじゃ無いかな?
お釈迦さんの本当の言葉は?とか
パドマサンババの本当の言葉は?と考える事自体が、ちょっと本質からズレてると思いません?
仏教徒の前で輪を描いてはいけない。とか、キリスト教徒の前で魚の絵を描いてはいけない。
という時代じゃ無いんですからw 「大日如来(梵:マハーヴァイローチャナ)」は大乗仏教(密教)の尊格。
真言宗の本尊。
大乗仏教が発展していく中で古代インド神話やヴェーダ、漢字圏の陰陽思想を巻き込みつつ成立していった密教(秘密仏教)の最高位の仏である。
我が国には弘法大師により齎されたが、他ならぬ弘法大師自身が結縁灌頂を結んだ仏でもある。
古代の太陽神信仰を源流とするとされる尊格であり、仏法の示す“宇宙”その物であるとされる事から法身仏と呼ばれる。
このため、SF的に云えば太陽神どころか宇宙神と呼べる存在であり、思想的にはそれをも越えた概念であると云える。
華厳経の主であり、根源仏(※智慧の光により釈迦を生み出した仏)として考え出された(毘)盧遮那仏(奈良の大仏として有名)の概念を更に発展させた存在と考えられているが、
大日如来へと繋がる系譜は仏教の黎明期より存在しているとの説もある。 >>58
真言宗ではセックスしている大日如来の秘仏を、どう解釈しているんですか?
これが昔から気になっていました。
秘仏だから直接見た事はありませんけど、美術書で大乗・密教・ヒンドゥー美術として
写真としては見ています。更に女の子に人気のインド雑貨屋さんに行くと
かなり際どいミニチュア像が売ってますよね?(あれ、良いのかな?秘仏なのに)
一般的には大日如来(男性役)は対面座位で観自在菩薩(女性役)とセックスしています。
また他にも後背位や大日さんが観音様の片足を持ち上げた立ちバック対位とか
ガジュラホでは何と大日如来さんが4Pまでしてます。
仏像とはアイコニックな存在ですが、何のメタファーか?何の為のキャラクタリゼーションなのか?
調べてみると、出るわ出るわ、様々な多種多様な解釈が。
・セックスを終えた後の(いわゆる賢者タイム)静寂が仏法に入る入り口説
・セックスで生み出す天地創造説
・見てはいけない仏像を見たのだから功徳がある説(超越性無し)
・見てはいけない仏像を見たのだから祈念を辞めると人生破綻させる説(超越性無し)
・仏のセックスを見て対立二元論的な分別知を粉砕しろ!説(超越性有り)などなど、、、
この「超越性」というのはベンヤミンが言う所の「気散じ」からの私の主観。
それぞれの説に展延性は無いが「既成概念と獲得概念」や「マルチモーダル」を私は感じてしまう。
ブチギレた旦那が息子の首をはね、嫁に怒られて息子の首を探しに行くが見つけられず
代わりに像の顔を持ってきて「この顔で勘弁してくれよぉ」と嫁に謝る所からガネーシャは誕生したと言うが
それが大乗の仏になったり隠れキリシタンのデウス様(大日さま)になったり
衆生の需要予測に答えてくれる優しい汎用型仏なのかも知れない。大日様は。 >>59 私は坊さん身分じゃないですが、宗の方では無関係で終わりじゃないかな。 >>60
>私は坊さん身分じゃないですが、宗の方では無関係で終わりじゃないかな。
面白い話がありましてね。そのお寺さんに迷惑はかけたく無いので詳細は省きますが
地方のお寺さんに秘仏と半秘仏が祀られていて半秘仏は紹介状があれば拝観できるとの事で
行ってみたのですが、大日如来像が幾つかありその中にはガネーシャも大日如来として
二体の仏像が祀られていました。
さて、セックス秘仏なのですが大きな部屋があってクローズド。茶室の様なにじり口が付いています。
これは完全な秘仏で見る事は出来ません。
代々、住職になるまで拝す事は出来ない決まりだそうです。
その住職も、あまりにも恐れ多いので足だけしか見た事がない。と語っていました。
もう、この話自体が「牛の首」です。
そのお寺さんにおいてケツ持ち団体の様な
超常的な力を持つ形而上学的存在が何のメタファーなのか?レトリックなのか?
才人は、誰も射る事の無い的を射る。
天才は、誰にも見えない的を射る。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています