なんかアレだね。
とりとめもなく創価を日々のルーティンのように批判してるアンチというのも
結局ポジションが変わっただけでやってることは、少しオツムと配慮が足りない創価脳と大して変わらないじゃん、と最近思う。

結局こういう人達って他人と無駄話がしたいだけなんじゃないかな?
アンチ活動やるのは構わないんだけど、話の中身にまるで進歩がないこと
それゆえに建設的じゃない、そして何の生産性もないこと、が創価脳とやってることが大して変わらないという点で大きな問題だと個人的に思う。

なぜ創価脳時代の自分に後悔しているかといえば(あくまで私は)、自分を殆ど客観視できていなかった
自分に酔っていた、冷静さを欠いていたこと、に起因するのだと思っているのだけど
アンチでも創価の活動や題目を辞めただけで、上記の状態にまだ当てはまったままの人達が意外に多いことに危機感を覚える。

今度はアンチである自分に酔っている、創価憎しで冷静さを欠いている、自分を殆ど客観視できていない、又は客観視できていたとしても止められない止まらない状態。

やはり理論や理性を感情が上回った時点で人はダメになることが多いのでしょうね。
感情的な井戸端会議とでも言えばいいのでしょうか?
生産性0でまったく有意義じゃありませんよね。それどころか自分で自分にどんどん油を注いでしまっている

笑えない