>>327
>どうも残念ながら、日蓮に限っては物事の恣意性や無意味性に全く気づいていないというか、仏教徒

ここから後がダメだと言ってるんですよ。
この1センテンス以前のあなたの書き込みは素晴らしい事を言っているのに。
恣意的解釈と意図的解釈において乖離が生じるのが信者さん達なのです。
今まで日蓮系の信者さんを見ていてわかったでしょ?
日蓮系の信者さんのリージョンに入っちゃダメですよ。何を語っても
あなたがおっしゃるようなチェリーピッキング、正常性バイアス、確証バイアスを持って
法華経のアナロジーなんて理解出来ない、というか理解したく無い人達ばかりなんですから。

それから法華経の理解と言うのは、普遍性を持つものを見出すという意味ではありませんよ。
去年マリエンバートで、や、ゴドーを待ちながら、や、ライフオブパイ、や
JOKER、や、パラサイト半地下の家族、の様に作品の構成から、それらの要素である
フラグメントまで、どの様な縁起で生じて滅するのか?という意味の「理解」で
法華経という作品のフィクションとメタフィクションとパラフィクションの
全てを「理解」という語に包摂させて使いました。
一般的に言う「理解」では無く、小林秀樹、蓮實重彦、宮台真司が言うような意味での「理解」です
だがしかし、ここで「理解」という定義について多言は不必要として流して書きました。
1番大切なのは、あなたがシッカリと法華経を読んでいる、という事ですから。
アフガニスタン料理のシャカタブーレを今、生まれて初めて食べようとしている人に対して
シャカタブーレの味を説明しなくても良いでしょ?
今食べて、教えてもらわなくても、自分でその味がわかるのですから