>>962
色々な推測があると思うけど、私的には創価は組織活動に法華信仰を実用面で中心に据えることはないような気がする。
建前教義としては、法華信仰を中心に据え続けると思うけど。

その理由は、法華信仰を実用面でメインにしても会員は動かない。
自分は、創価学会が会員を動かす原動力としているのは自我に基づく弱肉強食原理だと思ってる。
勝負とか破邪とか罰とか功徳とか団結とか利益とか、人間の本能に近い欲動。
創価学会は、この人間の本能に近い欲動を「人間主義」と名付けて綺麗事に祭り上げている。
「人間主義」という綺麗事で祭り上げられているのは、本来戒めるべき現世利益願望などの人間の原始的な煩悩。
創価学会はこれらの煩悩を法華信仰解釈を使って肯定を試みる。
そういう意味でのみ法華信仰は求められると思う。
そうして創価学会は、法華信仰により肯定された功徳という飴、罰という鞭で会員をコントロールする。

じゃあ、法華経に肯定された功徳や罰を、会員をよりコントロールしやすくするために創価学会は具体的にどうようにアレンジを施すのか?
そのアレンジに使うのが創価学会の価値創造。
創価は状況に合わせて、功徳や罰を様々な形態に変化させる。
コロナの状況に合わせるならば、コロナという難は罰。
コロナという大難という罰が起こるならば

大難という挑戦に対して創価家族の団結という応戦により

大勝利という大善が来たる。