>>78
反知性の学会員が口にする「魔」には意味がありません。それは言葉としての力が全く無いからです。
もともと創価学会が喧伝する「魔」とは外に対する物では無く、学会員ひとりひとりの内に向ける
フォールスアンドコンセンサス理論を用いた心の安寧の為に使われ始めた語で
「愛少女ポリアンナ物語」(パレアナ物語)から名をつけられた
「どんなに辛くても良い面だけを見ていこう。毎日小さな幸せ探しをしよう」というポリアンナ症候群
という、自助努力を否定し無気力を肯定するディクテーター・シップなのです。
外部に対して熱く語る一部の残念な学会員も少数いますが、多くは自分自身で自己暗示をかける機能でしかありません。
この「魔」という記号はとても便利です。自分がどれだけ惨めで寂しくても、また
外部の知性的な人達が言う言葉が理解出来なくても
この「魔」という記号に全てを丸投げすれば、見たく無い物を見ないで済む訳です。

創価学会における「魔」の語義・定義を考察する事ほど無意味な事はありません。
例えて言えば
もしも、象が卵から生まれるとするならば、その卵の殻の厚さは何センチだろうか?
と、国際学術学会で世界中の学究・研究者が議論をする様なコメディにしかなりません。