日蓮ってver.47
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前スレ日蓮ってver.46
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1544015815/
「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題はほどほどにして下さい。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。 ここで改めて皆様に聞きたい事があります。ご意見を聞かせてください。
前スレから拝見するに、このスレには仏教を真剣に学んでいらっしゃる方を散見しますが
日蓮に帰依するも、逆に日蓮に批判的な人であっても
あなたの個人的信条としての仏教(仏法)を他者に語るとすれば
どの様に語りたいですか?
それぞれの私見や視座は皆違うのを前提に、皆様の仏教感を教えてください。
他者の意見に価値論題としてお互いが干渉する事なく
皆様、一人一人の仏教の視座を拝見ささせて頂きとう御座います。
もちろん「語る事の無意味」を自覚されている方もいらっしゃるでしょう。
それはそれで、一つの意見として肯います。 >>2
日蓮以外の問題に話題を転じたいなら自分で別のスレを建てればよい。ここは日蓮について語るスレ。 宿屋入道に関しての論文を見つけた。
http://jairo.nii.ac.jp/0572/00001385
『宿屋入道と宿屋光則 (林是幹教授古稀記念号)』
龍ノ口法難の時・・・宿屋入道8歳説
文永8年・・・宿屋入道9歳説
も書かれている。
これだと日蓮が宿屋入道に書状を送っても、無視された理由がわかる。 >>2 日蓮宗系統は、日本国内でも相当な人数と勢力を有する。
表も裏からも、歴史からも検分されるに相応な存在である。
信者、坊さん、彼らは何を信奉し、どの様に社会と関わっているのか知る。
そして個人が正確な情報を得て対処するのは人生において必須事項。
※修善奉行 諸悪莫作 自浄其意 是諸佛教 を行うのが
仏教徒の生活態度である、選挙は無関係で御座るな。
出馬人は黙って上の四項目を噛み締めるのが最も宜しい。 日蓮の御書って施しに対する礼状であり
決して仏法ではない >>5さんと >>7さんの意見が興味深いですね。
後ほど感想を書かせて貰うかもしれません。 安国論御勘由来(真蹟) 文永五年四月五日
文応元年庚申七月十六日辰時屋戸野入道に
付けて古最明寺入道殿に奏進
宿屋入道許御状(真蹟なし) 文永五年八月二十一日
正元二年庚申七月十六日御辺に付け奉りて
故最明寺入道殿へ之れを進覧す
宿屋入道許御状だけは一方通行ではなく
認識はされていたという感じがするけど
後から書いたのに正元に戻ってるのはなぜ?
日蓮ちゃまが書いたの? 公家の書物には日蓮の記録は残ってないと・・
あとは悲劇の安土宗論で世間を騒がせたぐらいだろうか https://egg.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1544015815/997さん
>日蓮教団内の共通認識として日蓮の真書としているものまで偽書と疑ってしまったは、
>このスレで日蓮について語れなくなります。
確かにそうですねw
でも、信者の方々よりも日蓮という人物像に少しは誤解を除くことになろうかと思います。
以前、御書に詳しい山椒島さんが、“わたしは日蓮寄りです”と言ったことが思いだされました。
この言葉は日蓮教団内の共通認識での信者ではないところから発言されたものだったと気付いた次第です。 >>10さん
正元二年=1260年
文応元年=1260年
元号名表記は違っていますがの共に庚申7月16日と同じであって時系列では矛盾はないかと思いますが。
ただ、後から日蓮が書いたはずの8月21日付け宿屋入道許御状が改元されてない表記になっていますね。
この不自然からも、後々の坊主等が写し方には正確に欠けているんじゃないかとも思ってしまいます。
内容云々はともかくとして、書写の姿勢に忠実さ欠けているのではと私も思います。(セコイですがw) 日蓮正宗は特別御供養で、約25億円集めた。
この金は、大石寺内の建物の新築・改築・補修やイベント関連に使われるのだろう。
ところで、この25億円で救える命は、、、
これは創価学会の集金にもいえる。
その金額は日蓮正宗を遥かに凌ぐ金額であろう。
その金額で救える命は、、、 サイコパスとは、シンプルに言うと反社会的人格を持つ人のこと。サイコパス研究の第一人者であるロバート・D・ヘアはサイコパスの特徴として下記をあげています。
・良心が異常に欠如している
・他者に冷淡で共感しない
・慢静適に平然と嘘をつく
・行動に対する責任が全く取れない
・罪悪感が皆無
・自尊心が過大で自己中心的
・口が達者で表面は魅力的
彼らは社会的な地位が高い傾向があり、表面的には好印象であるとも言われています。ちなみにサイコパスと似ているソシオパスという人たちも存在します。
サイコパス: 性格や気質など先天的なもの
ソシオパス: 親の育て方による後天的なもの この問題は前に考えたことがある。週末に長めの連投をする人が日蓮の宿屋入道の表記が一定しないという指摘がきっかけだった。
思うに日蓮は宿屋入道と面識がなかったのではないか。とすれば面識のない人間に著作を託すのは日蓮が信頼していた人間がそう指示したからだ。
その人物は安国論の校訂をした大学三郎こと比企能本だったと思われる。能本にはある意図と計画があったが未遂に終わった。
自分は安国論は日蓮側の自己申告にも関わらず時頼の目に触れることはなかったと推測する。 宿屋入道許御状は日蓮が時頼だけじゃなくて時宗にも
安国論を読ませようとしたと主張するために作ったんだと
思うけどね
全く相手にされていなかったのに そんで、身延には安国論副状という真蹟があったから提出本って
欠けていて日付や花押もなく「正元」二年に提出したと書いてある
安国論副状はホントに真蹟だったの?と 相手にされないと他宗の僧侶らは大聖人の呵責に恐れをなしたと日蓮教徒が脳内転換するのは
世間が創価を悪く言うのは学会員が幸せそうなので嫉妬しているからだと創価信者が脳内転換するのと同じ。 >>19 宗門人は日蓮を仏の座に置いて拝んどるから、
とっても威徳が在ると妄信しとるんです。
所謂、法華の◎チガイと言われるわけ。 創価は選挙選挙新聞新聞財務財務
仏法なんかやらないよ 2月19日火曜日 聖教新聞 4面を読まれた方いらっしゃいますか?
「ロータスラウンジ 法華経への旅」で 「法華経 方便品第2」について解説しています。
皆さん、これどう思います?
法華経を研究している皆様には、頭の上に?マークが三つぐらい浮かんだのでは無いでしょうか?
一番大切な事を飛ばしてません?
タイトルが「第2回 方便品第ニ 上」と書かれています。
「上」と書かれているので、下とか中とか続くのでしょうね。
次回のロータスラウンジ法華経への旅で
この、多くの法華経研究者の疑義を回収するのかも知れませんね。
次回どう伏線を回収するのかどうか?注目してまいりましょう。
ただ、今回の解説で法華経を誤解されている学会員さんは多いと思いますよ。 学会に都合よく編集されたのが聖教新聞
学会員は法華経を知らないよ全くね >>27
>学会員は法華経を知らないよ全くね
だからこそ先月から始まった聖教新聞の法華経解釈を注目していたのですが
今回が途中経過だとしても、方便品第2の初回にこれを記載してしまうとは
法華経を学ぼうとしていた学会員を欺く事にもなりましょうし
創価学会員以外にも、深く法華経を読み込んでいる人や団体はあります。
創価学会は恥を晒す事になります。
また、それによって創価学会員も外部からバカにされる大きな種になります。
アンチブログというのが多数存在します。
それらのブログにおいて、この話題が出てこない状況を見るに
学会員であれ、アンチであれ「知の低下と教養の崩壊」はここまで来たのか?と
仏教を真面目に学ぶ私達にとって失望するしかありません。 アンチといっても聖教新聞なんか読んでるの
学会員か同業者だけじゃないのか 仏法仏法って折伏するけど、実際なんにも知らないからね学会員って。
法華経を読んだことすらなさそう。 折伏とは
学んだ法華経があまりにも素晴らしいので
誰かに使えたくて仕方なくなり、口をついて出てくる状態
法華経を知らない人のやってるのは囲い込みマルチ勧誘
本来の折伏をするのは実はかなり難しいというか勉強が必要 囲い込んで入会申込書に名前を書くまで帰さないなどは
悪質な監禁罪である。これはマルチ勧誘であり折伏ではない
折伏にノルマや人数なんて存在しないのだ
法華経の素晴らしさを誰かに伝えること自体が折伏なのだ >>30
実際、学会員に尋ねても彼らの多くは法華経を読んでいません。
日蓮を研究している方にはお判りでしょうが
日蓮の正しさも
日蓮の過ちも
法華経の熱心な読み込みが先立ちます。
法華経を読んだ人と、読んで無い人とでは日蓮や御書の認識は変わります。 御書の一節に
「そのお供え、仏敵にも与えるのですか?それは敵を生かすことにつながるんじゃないか」
「いずれ法華経に入信することを期待しての事か?あまり期待できそうにない」
などというのがあり、日蓮が他人への優しさを微塵も見せない様子がわかる。 日蓮の人格は別の問題として
法華経を諸経の王と語った日蓮を大聖人と信奉する学会が
法華経を読み込まないのは
創価学会自体が日蓮を穢しているようにしか見えない。
実は創価学会は日蓮を無視しているんじゃないか?とさえ思えてくる。 今なんか、F取りが最も功徳がある と言いまわってるしな
法華経なんかどうでもいい感じだな >>28
>法華経を学ぼうとしていた学会員
「そんなやつおれへんやろ〜」 (大木こだま) カフカの「審判」主人公ヨーゼフ・Kは、ある日逮捕される。
「あなたは逮捕されました。行動に気をつけて下さい」と
理由を聞く。
しかし何も語ってくれない。
その後も、引き続き慣れきった日常生活を送り何も変化は無い。拘束もされない。
逮捕された、という事が冗談か何かのようにさえ思い始める。
ある日、二人の男がやって来て無理矢理、石切場へ連行される。
何の理由も文脈も解らないまま、彼は処刑される。
死ぬ直前。虚ろな意識の中で彼は叫ぶ「まるで犬みたいだ」
仏法は、あくまで分析哲学的実存主義であり
分析哲学的実存主義を超える物である。 つうか創価学会って
選挙票・新聞・財務 これが三種の神器で
仏法の類は税金優遇のためで、学会員のためじゃないしな
それを勧誘の時に絶対言わないから、みんなやめていく みんなやめていくから、新聞配達する人間もいなくなるし、
勧誘・新聞・F取りノルマは人数減っても変わらないので、
ブラック企業顔負けのものになっていく とにかく、このスレでは
仏教、仏法、法華経という観点で
日蓮と創価学会を語っていこう >>32
まさにこう言った状況で出くわしたことあるけど信仰を馬鹿にしてるよな 釣り針の美学なんかは創価としては眼中にないのでは?釣れるか否かの問題。 日蓮の御書を有難がってるのが正宗の在家信者で法華経は話題に出てこない。
たぶん草加の方は御書も出てこないで池田書ともいえる出版物で埋め尽くされてるように思える。
外野から見るとどちらも仏法ではない。お釈迦さまはどこへ行ったw 創価や正宗には所破借文とかっていう必殺技の日寛教学があるから、別に無理して法華経の意味を知らなくてもいいんだと。
末法には釈迦の法華経は役に立たないけど借りているんだとぉ〜!
俺たちよりもすんごい一闡提の集団なんだよね。 >>45
>法華経のどこが素晴らしいのだ?
諸経の王とは思わないが、仏教を研究している人には(大乗仏教としては)
大般涅槃経
維摩経
法華経
は独自性がある
法華経は貴族達の読書会で読まれたり、文学性がある。
カトリックの人もプロテスタントも「ヨブ記」を読むでしょ?
文学性が高いし、後の文芸に多大な影響を与えた作劇、ドラマツルギーがある。
ああいう感じ。 文学性が有ることが、素晴らしいのか?
ならばドストエフスキーとかトルストイとか、川端康成とかの著作も最高の経典になるのか? 新四個の格言
法華大嘘
日蓮天魔
創価思想崩壊
公明戦争 釈迦の経典の殆んどは宗教にありがちな絶対性を説かない。
これは他の宗教と比較すると非常に珍しい。
仏教以外の宗教の経典は絶対性を説くのが当たり前。
「神を信じろ、神以外の偶像は信じるな」
釈迦の経典が絶対性を用いないのは基底に空思想があるから。
なんだけど、法華経はそんな釈迦の経典にあっては珍しく絶対的な観点からの教説が用いられている。
法華経にて釈迦は、自分は実は久遠から悟っていたんだという絶対的な秘密を明かす。
釈迦は、それゆえにこの教えは最も深い真理でありこの教えを弘めなさいと説く。
また釈迦は、法華経は今までの常識をひっくり返す究極の真理であるゆえに、この教えを広めたら迫害に合うよと予言。
このあたりが、釈迦の教えを弘めたくてうずうずしている連中には魅力的。
釈迦の一般経典は空や縁起を元にする思想。
それゆえにこの世の不確実性を明らかにしている思想だから、民衆に広めようとしても中々伝えるのが難しい。
また、空が説かれている思想はこの世の諸行無常を示すからこの世をうつろいゆく儚い世界と見なして強引な布教意欲に結び付かない。
そんな中で、釈迦が自ら究極の真理と明らかにした法華経は強引な布教意欲を掻き立てる。
この教えは絶対なんだというお墨付きが与えられているから。
こういった布教モチベーションは一神教に極めて近い。
この教えは絶対でそれ以外は偶像だから、神を宣揚して神以外は滅ぼせとなる。
法華経は釈迦の教えの全てが含まれている訳ではない。特に空思想が置き去りにされてしまっている。
なので誤読しやすい。
だから、法華経を唯一無二と勘違いする。
なので法華経は、他のお経とセットで理解しないとバランスが悪い。 >>52
>>釈迦の一般経典は空や縁起を元にする思想。
それゆえにこの世の不確実性を明らかにしている思想だから、民衆に広めようとしても中々伝えるのが難しい。
難しくてもそれを一生をかけて布教してきたのが、釈迦。そして大いに広まっていった。その努力こそは称賛に値する。
それを、死の直前にちゃぶ台覆しをして、安易で民衆を騙しやすい大嘘の法華経を説いたとは、釈迦の努力の否定。 AIが人を操るマインドコントロール兵器の危険性
人の行動を完全に操れるマインドコントロール兵器を
起動していると今までの歴史の不祥事
そしてこれからおこる全ての歴史に疑いがかかる
なぜなら安倍首相 プーチン大統領 トランプ大統領 習近平国家主席
韓国の大統領 北の大統領 すべてを操れてしまうわけである
試運転でも画策しているとみなされ各国の政府が黙ってはいない
戦争の引きがねとなる これからの世界は衛星の把握
テクノロジーの発展で必ず起動しているものは察知される
このようなマインドコントロール兵器をおこなっている機関
または関与している機関は即刻即刻やめるべきである
AIが人を操るようなことはあってならない
AI兵器全面禁止 AI兵器全面禁止は池田大作名誉会長様の御威光
拡散希 そんな中で、日蓮さんは法華経を一神教的に絶対化してしまった。
法華経は素晴らしいならまだ分かるが、日蓮は、法華経が唯一無二で他の経典は理解するには及ばない的な扱いをした。
これは形を変えた一神教。
この日蓮の法華経唯一の扱いが何を生んだかは、その後の歴史を見れば明らか。
八紘一宇思想の生みの親である田中智学、満州侵略の石原莞爾、他宗排斥思想により社会問題を引き起こした日蓮正宗、創価、顕正。
これらの日蓮主義者達は、自分達の思想を錦の御旗に見立てて他を侵略したり排斥するのを肯定してしまう。
創価学会は、法華経以外の経典を蔑ろにする。
そして、法華経や日蓮思想を宣揚するために池田のスピーチなどで西洋思想をやたら用いる。
これはとても効果的。
なぜなら、西洋思想ってのは神や真理に近づこうとする思想であり、演繹手法を用いる。
本来は、究極の真理を悟っている東洋思想ならば帰納法を用いるべき。
この演繹法ってのは、言い換えれば「未知なる究極の真理に一歩づつ近づく」という思考方法。
法華経や日蓮という最高峰に一歩でも近づいているように見せかけるには最適な思考方法。
でも本来は、究極の真理は未知でなく既に明かになっているのであれば帰納法を用いないといけない。
帰納法的な思考方法は老荘思想や西田哲学や法華経以外の経典なんだけど、創価学会は絶対に老荘や西田や法華経以外の経典を持ち上げないね。
この理由は、帰納法を用いると法華経の絶対性が崩れるから。
東洋的な帰納先ってのは、空だったり主客未分だったり陰陽の絶え間ない交差。
これは、法華経絶対や一神教の虚妄を暴いてしまう。
これが創価学会が東洋的な帰納法を用いない裏の理由。
創価学会は、絶対性に一歩づつ近づいているように見せかける西洋の演繹方法に基づく西洋思想を用いる。
そして、永遠に到達できない夢想の楽土へを信者に信じさせ、その夢想に労働や金銭を投資させる。 AIが人を操るマインドコントロール兵器の危険性
人の行動を完全に操れるマインドコントロール兵器を
起動していると今までの歴史の不祥事
そしてこれからおこる全ての歴史に疑いがかかる
なぜなら安倍首相 プーチン大統領 トランプ大統領 習近平国家主席
韓国の大統領 北の大統領 すべてを操れてしまうわけである
試運転でも画策しているとみなされ各国の政府が黙ってはいない
戦争の引きがねとなる これからの世界は衛星の把握
テクノロジーの発展で必ず起動しているものは察知される
このようなマインドコントロール兵器をおこなっている機関
または関与している機関は即刻即刻やめるべきである
AIが人を操るようなことはあってならない
AI兵器全面禁止 AI兵器全面禁止は池田大作名誉会長様の御威光
拡散希 AIが人を操るマインドコントロール兵器の危険性
人の行動を完全に操れるマインドコントロール兵器を
起動していると今までの歴史の不祥事
そしてこれからおこる全ての歴史に疑いがかかる
なぜなら安倍首相 プーチン大統領 トランプ大統領 習近平国家主席
韓国の大統領 北の大統領 すべてを操れてしまうわけである
試運転でも画策しているとみなされ各国の政府が黙ってはいない
戦争の引きがねとなる これからの世界は衛星の把握
テクノロジーの発展で必ず起動しているものは察知される
このようなマインドコントロール兵器をおこなっている機関
または関与している機関は即刻即刻やめるべきである
AIが人を操るようなことはあってならない
AI兵器全面禁止 AI兵器全面禁止は池田大作名誉会長様の御威光
拡散希 AIが人を操るマインドコントロール兵器の危険性
人の行動を完全に操れるマインドコントロール兵器を
起動していると今までの歴史の不祥事
そしてこれからおこる全ての歴史に疑いがかかる
なぜなら安倍首相 プーチン大統領 トランプ大統領 習近平国家主席
韓国の大統領 北の大統領 すべてを操れてしまうわけである
試運転でも画策しているとみなされ各国の政府が黙ってはいない
戦争の引きがねとなる これからの世界は衛星の把握
テクノロジーの発展で必ず起動しているものは察知される
このようなマインドコントロール兵器をおこなっている機関
または関与している機関は即刻即刻やめるべきである
AIが人を操るようなことはあってならない
AI兵器全面禁止 AI兵器全面禁止は池田大作名誉会長様の御威光
拡散希 >>52
>法華経は釈迦の教えの全てが含まれている訳ではない。特に空思想が置き去りにされてしまっている。
>なので誤読しやすい。
>だから、法華経を唯一無二と勘違いする。
>なので法華経は、他のお経とセットで理解しないとバランスが悪い
経を読み慣れてな人、幅広い読書の習慣の無い人には確かに誤読しやすい。
確かにそれらの誤謬を回避する為には他のお経とセットで理解する必要がありますね。
誤読の原因の一つに貴方も同じ様に書かれていますが西洋人がシェークスピアから引用する、この引用文化の弊害がありますね。
これと似た様な現象が誤読を惹起させるのだと思います。
ただNY派の作家などは、その危険性を知り、それを逆手にとってマクベス第五幕第五場の引用を盛んに用います。
才能あるNY派作家は、その引用を上手に再構成して自分の作品に同化させます。
それはシャークスピアの言葉ではもはや無く、その作家の言葉に生まれ変わっているのです。
自分の作品としての真性を確立しシェークスピアとの無関係性を告白しています。
聖教新聞であれ慧妙であれ顕正新聞であれ
つまみ食い的な法華経からの引用は、何らかの意図ありきの引用であって
その何らかの意図とは、決して法華経理解の意図では無いのです。
上記の理由から。
つまみ食い的な法華経解釈・法華経引用は丁寧に信者達の宗教的信条を穢します。 >>52
>釈迦の一般経典は空や縁起を元にする思想。
>それゆえにこの世の不確実性を明らかにしている思想だから、民衆に広>めようとしても中々伝えるのが難しい。
>また、空が説かれている思想はこの世の諸行無常を示すからこの世をう>つろいゆく儚い世界と見なして強引な布教意欲に結び付かない。
ここなんです。今回の
聖教新聞 ロータス・ラウンジ 法華経方便品第2(上)
には、この一番最初に一番大切な事に言及しなければならなかったのです。
人間は最初に与えられた情報によって価値判断を誤ってしまうという
危険性(アンカリング効果)を持っているのです。
この大切な事は方便品第2の前半でゴータマがシャーリープトラへ
徹底的に解りにくい日常性から遠い言葉で語っています。
法華経は先ず、ゴータマのこの宣言から始まるお経なのです。
実は方便品第二において法華経の謎解きは終了しているのです。
そして多くの人達は法華経を読み進めていきます。
嘱累品第二十二において、読者の頭は???で埋め尽くされます。
法華経の偉大な所は、最初に語った方便品第二が伏線回収になっている所です。
終わりが始まりであり、始まりが終わりなのです。
ここを何故聖教新聞は解説出来なかったのか?
暗示やレトリックとしてでも、そこは書くべきだったのではないでしょうか? >>55
>でも本来は、究極の真理は未知でなく既に明かになっているのであれば>帰納法を用いないといけない。
(中略)
>この理由は、帰納法を用いると法華経の絶対性が崩れるから。
>東洋的な帰納先ってのは、空だったり主客未分だったり陰陽の絶え間な>い交差。
>これは、法華経絶対や一神教の虚妄を暴いてしまう。
正にそれです。
空と縁起を体得したればこその主客未分ですね。
そこから、無常・無我・空・縁起を理解するしか無い(優れたる者以外は)と
ゴータマはシャーリー・プトラに語っています。
その為に何を為すべきか(正確には法華経ファイナルカット・チームのコンセプト)
を方便品第二で、例えメタファーであってもレトリックであっても語っています。
それが読めるか読めないかは、読み手の知性と教養に委ねられます。
というのも多くの人間は安易な共感ゲームへのコミットメントという
「知の低下と教養の崩壊」に、あまりにも慣れさせられているので
「読み手の知性と教養に委ねられます」と言わざるを得ないのです。 >>55
>東洋的な帰納先ってのは、空だったり主客未分だったり陰陽の絶え間ない交差。
>これは、法華経絶対や一神教の虚妄を暴いてしまう。
蛭子能収さんや、故・山田花子さんという漫画家は、オチの無い漫画を作りました。
ラーメンズというお笑い芸人(正確にはパフォーミング・アーティスト)はオチの無いコントや演劇を作りました。
無理矢理何かに収束、無理矢理何かにこじつける事はしません。
それは観客の自由意志との化学反応で共鳴し生成される作品だからです。
スーパーで白菜を買います。それを鍋に使っても漬物にしてもキムチを作っても購入者の自由です。
しかし一度その料理が食卓に置かれれば、それは空性と縁起によって具象化した物ではあるが受け入れやすい形でのメタファーになっているのです。
そのメタファーによって逆に空と縁起を得るという事もある訳です。
絶え間無い交差は上位概念だけで無くオッカムの剃刀で切り捨てられる下位概念にまで及びます。
しかし、その事を(仏法を)語ってしまうと、整合性がとれない所にまで来てしまった人や団体が存在します。彼らは取り繕う為に作為を働かせ、それによって益々矛盾とアンビバレントな醜態を晒します。
SNSで話題になったSOKA NETの「金吾におまかせ 縁起とは」(youtube)を一度見て下さい。
前半は仏教的に間違いの無い形で縁起を説明していきますが
しかし、後半以降まったく仏教ではなくなっているのです。
後半は道徳律であり、共同体としての正義について語っています。
それは断じて仏教の「縁起」ではありません。
道徳や正義は否定する物ではありません。
しかし仏教の「縁起」はもっともっと深い所で観なければなりません。
道徳は道徳の時間に任せ、共同体としての正義はマイケルサンデル教授に任せる問題であり。仏教とは全く違う話なのです。
「ビタミンCと数寄屋橋次郎とでは、どっちが凄いの?」と言うぐらい関係ない話です。話として成り立ちません。 ギリシャには既に唯物論的な宇宙観は存在した。
キリスト教が普及するにつれ神というイコンによる1000年の暗闇が訪れる。
神(インテリジェント・デザイン説)に還元してしまった。
そして、コペルニクスやガリレオが登場し、なんとか世界は人々の手に戻り始めた。
グーテンベルク聖書が発刊された。多くの人は戸惑った。
神はサイコロを振るのか?
神はサイコロを振ら無いのか?
私達は様々な情報にアクセス出来る立場に存在する。
にも関わらず安易な還元主義、みんな一緒主義というグロテスクなイデオロギーにコミットする。
自分と違う意見を持つ人に対して脊髄反射のように敵視する人がいる。
逆に、あの人と自分の意見が違うのは、どうしてなんだろう?と考える人もいる。
後者のような人達が「教養のある人」と呼ばれる。 >>62
詳しいレスをわざわざありがとうございます。
こっからはスレの主旨に外れますが、いろんな私の雑感。
釈迦や禅は主客未分化に安易に立ち入りません。
主客未分化とは仰る通り、縁起以前というか、縁起が生じる前の状態。
この状態はインドではブラフマンに相当します。
でも、釈迦はブラフマンの存在には言及しません。
釈迦は自分のバックグラウンドであったはずのブラフマン思想を意図的に無視しているように思います。
その理由は当然で、インド人達はブラフマンを絶対神のようにとらえる傾向にあったからです。
実際はブラフマンはそのようなものではなく、空と同義に近いのですが。
だから釈迦は、ブラフマンに人間が付与する偶像の傾向性を見越したことに代表されるように、あらゆるものの実体化に徹底的に抗う。
縁起や空思想とは、人間が意識や言語を使ったあらゆるものの概念化する性質、つまり価値化や偶像化を暴露し、破壊する試みです。
ブラフマンの神化も、人間の意識や言語による偶像化です。
主客未分とは、意識が生じる前のことです。意識が生じる前とは、人間による対象の概念化が起こる前の状態。
それは、なにもない。
なにもないが、あらゆることがひとりでにあるがまま起こるのを知っている状態。
そして、そのあるがままは幻想の戯れであり、それでいて自分自身であることを理解して観照している状態です。
そして、その観照は生じては起こる絶え間ない恒久性であり、それでいて実際はなにも起こっていない。
ひとりでに幻想が空から現れ、空に収束する。
空即是色であり、色即是空であり、12縁起です。
この生命の不可思議は、拈華微笑としか例えようがない。
しかしここを理解していないと、法華経絶対とか南無妙法蓮華経が宇宙の法則だとか、自分の意識や言語が生じさせる概念化の世界の中に閉じ込められてしまう。
なにかを実体化するという、自己をその実体という幻想に投影して物象化する誤りです。 卑劣で邪悪な集団ストーカー精神暴力殺人テロ組織、池田邪心教のみなさんこんにちは。卑劣で邪悪な集団ストーカー精神暴力殺人テロリストの池田が死刑になって地獄に堕ちて業火に焼きつくされますように、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経 釈迦はブラフマンに言及しません。
しかし、創価はこの釈迦の知見を理解できずに、インド人が犯したようなブラフマンの神加化と同じ愚を繰り返します。
創価はタゴールやホイットマンなどの偉大な詩人を繰り返し取り上げます。
確かにタゴールの詩はブラフマン賛美であったり、ホイットマンも同様の見えざる偉大な生命を讃えます。
しかし、それをブラフマンとか南無妙法蓮華経とかなにかにくくり直そうとするとちょっと違う。
創価学会がやりたがるのは、タゴールやホイットマンが称えようとしたのは実は南無妙法蓮華経だとか、ニーチェが晩年に仏教思想に傾いたのは自分の超人思想を仏教に見出だしたからで、その超人思想の本質は南無妙法蓮華経だとか。
これらは全て、客観世界という意識による縁起現象により作り上げた空想上に起こっている現実という幻想です。
カルトは意識以前の状態を知らない、縁起以前の状態を知らないゆえに、本来は存在しない概念でしかない縁起に実体を与えようとする。
それが、ブラフマンの神化であり、一神教の誕生であり、あらゆるものを南無妙法蓮華経という法則に還元させようとする態度です。 >>64
貴方のように語れる人が
このスレに
一人でも居る事が確認出来て
何よりも嬉しいです。
創価悪口大会が仏教だと思い込む人が多い中。
誠に清々しい。 日蓮とは、この意識の概念現象に取り込まれるという、仏教僧にあるまじき空の本質理解を取りこぼす愚を犯した仏教を理解できていない僧の代表格です。
日蓮が参考にした天台智も同様です。
超越と実存「無常」をめぐる仏教史
南 直哉氏
から引用します。
智の解釈における最大の難点は、通常我々が「ものがある」と認識する時の、言語の決定的な役割(『中論』で言う「相待の仮説」)についての問題意識が欠落していることである。
この引用文にも、「仮」である現象世界がどう成立するかについては言及がない。それを成立させる言語の構造的作用を考察することもない。
中略
換言すれば、すべての存在と現象は「一体」によって裏付けられ、「真理」「空」と相即し同一なのだということである。これを智は「円融」と称する。「空」思想の核心的問題が言語であることを考慮しない、この「円融」の縁起観が、「空」を実体化して語らせるのである。 最後は日蓮や天台智批判になってしまいました。
私も実際は創価学会批判者と同レベルです。
法華経という素晴らしい教えが、特定の団体のみを正義と見なしたり絶対正義と立証するための道具として利用されることの愚かしさに、気がつく人が増えんことを。 人は自由を得ようと行動する。
幸福を得ようと頑張る。
しかし、えてして手に入るのは本質的に「不自由」だ
本物の「幸福」では無い、「幸福のように思える幻影」を与える為に
その「不自由」に、どんなに知性の低い人でも納得しやすい理由をつける。
彼らは「たとえ嘘ではあっても、本人が幸せならばそれで良いでは無いか?」と弁明する。
これが末法の世の仏法と言うのか?
偽物の「承認と共感と居場所とアイデンティティ」を頂けるからと
心が疲れた人達はお金と時間を費やし資本主義社会の中で理由無きラットレースを続ける。
人並みに幸せになりたいのに戦略が無く
短絡的な行動に出る者は
戦略を行使する者に一生搾取され続ける。
仏教が、これらの社会病理の片棒を担ぐ事を危惧する。
これは宗教的問題だけでは無い
政治から自己啓発セミナーに至るまで。 774名無しさん@京都板じゃないよ2019/02/18(月) 12:47:40.62ID:rwMGM3SYr>>775
>>772
当時、天台宗の僧侶が高野山で修行できたのでしょうか?
伝説の類ではなく、信憑性ある史料に残っているものはあるのでしょうか?
775名無しさん@京都板じゃないよ2019/02/18(月) 17:50:15.21ID:DLW2wa64d
>>774
高野山金剛峯寺の正式構成員である「学侶」になるためには具足戒を受けなければならないので、最澄の円頓戒しか受けていない天台僧は無理。
但し、当時もその後も高野山内には、正式構成員でない聖などが棲み着いた「別処」や金剛峯寺構成員ではない寺(坊)もたくさん存在したので、そういった者たちの居場所はあった。
聖の清浄心院や栄西が関わった金剛三昧院、日蓮がらみの五坊寂静院などはそうした非正式構成員が現在に残った例。 「ヴェーダの極みに達し、ブラフマンへの行が成就しておれば、そのバラモンは、ダンマによってブラフマンの言葉を語るであろう」
このブッダがバラモンに語った言葉により、ブッダがブラフマンを擬人化していたのがわかる。 >>71
高野山より比叡山のほうが周囲にそのような群落が多かったようだ。私度僧、祈祷師、旅芸人、行商人、お尋ね者などが起居していた。日蓮もそのなかで自営カルト業の手習いをしたのだろう。 比叡山や機内各地で修業したとか、民衆救済とか、辻説法とか
博多で蒙古を追い払っただとか、日蓮本人ですら書いていない。
ただ、安国論の提出は本人も供述してるので証拠を探してるのだが
見つからない。 二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国国・寺寺あらあら習い回り
妙法比丘尼御返事(真蹟なし) 高野山にも石碑が建ってるのかよw
http://www.myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index81.htm
日蓮聖人が遊学されたのは、金剛峰寺の手前にある高野山の一心院谷といいます。
大正の末期に発見された五坊寂静院には、「日蓮聖人遊学の遺跡」と書かれた
石碑があります。日蓮聖人はここで弘法大師空海が唐から伝来した、経巻などを
読破したといい、ここに一年ほど滞在して、「真言密教」を学んだといいます。
しかし、ここで誰に従い修学したかは不明です。 日蓮業者は大聖人は諸寺を遊学したなどと大風呂敷を拡げているが、日蓮が師事した高僧らの記述がなく、諸寺に日蓮が修学したという痕跡もない。
そして何より日蓮の他宗批判が的外れで知識不足が露骨に現れている。学歴詐称は明らか。 そもそも常識的に考えて貴族や地方豪族でもないのに遊学なんて結構な身分であったはずがない。 高野山にも南無妙法蓮華経の石碑が建っていて
横には日蓮聖人遊学之旧蹟と刻まれているって
どうせ明治か大正に業者が建てたんだろうけど
そのうち史実になるのかな 織田信長
「大体、兵達は軍役を日々勤めて苦労しているのに、僧職の者達は寺庵を結構に造り、贅沢な暮らしをしている。
それにも関わらず、学問もせず『妙』の一字にも答えられなかったのは誠に許し難い。
ただし日蓮宗は口が達者である。 後日、宗論に負けたとは多分言うまい。
宗門を変更して浄土宗の弟子になるか、さもなくば、この度 宗論に負けた以上は今後は他宗を誹謗しない、との誓約書を出すがよい 」
と申し渡した。
ただし日蓮宗は口が達者である。
後日、宗論に負けたとは多分言うまい。
ただし日蓮宗は口が達者である。
後日、宗論に負けたとは多分言うまい。 >>81
信長は日蓮業者の往生際の悪さをよく知っていたかのようだ。 日蓮は真言密教事相と作法の欠片も理解せずに批判を投げつけた。
その様に私は理解する。
そうで無ければ、日蓮創案の髭曼荼羅に記入する
不動明王の種字を誤字のまま信者に渡せるはずが無い。
カーンと音で読む梵字を書いているらしいが、形体が全くの誤字。
髭曼荼羅について云うなら、真言密教の曼荼羅で種字曼荼羅という図式を
空海が唐より将来したが、是を日蓮が目にしたのか?それは不明だが
髭曼荼羅は文字を書き連ねた本尊であるから、何らかのヒントは得たのだろうと
専門家は指摘する。 >>77
“経巻などを読破して真言密教を学んだ”
密教って師からの対面伝授が重視されていて、
経典を読んだだけでは理解出来ないのでは?
空海もそれで命懸けで海を渡って求法したんでしょ。日蓮には空海のような法に対する熱意が感じられないよね。 >>84 正しくその通りなんですね、真言の坊さんが学ぶ十巻抄とよばれる
空海の著作が在りますが、先に作法を教えられていなければ全く理解不能な
ので在ります。
是を教授する師匠は、『この箇所は不読段』と申し送りし筆にせず面授、口伝のみ
で弟子に伝えて来ました。
空海の孫弟子時代の成立と言われる、秘蔵記を手に取る機会が在ったら目を通して
ご覧あれ、殆ど全く理解できない事を請け負います。 空海の教えの根底にあるもの、それは「四恩」。
六大の遍くところ、五智の含むところ、排虚・沈地・流水・遊林、惣てこれ我が四恩なり。同じく共に一覚に入らむ。
命あるもの全てに感謝し、共に覚悟りに入る。これが空海の教えの根底にあるものだと私は思う。
空海は日蓮の言うような卑劣に人ではない。
大陸から投げた三鈷杵が日本に届いたなどという後世の作り話で空海を批判した日蓮って、、、
この話で空海を批判するのなら、大陸から八舌の鑰を日本に投げ入れた天台大師のことも誑惑人と批判しなくてはならなくなる。まったく日蓮って、、、
>>84
それなんだよね。越三昧耶の罪になる。だからこそ空海は般若理趣釈経の借覧を求めた最澄を諭した。
曰く、もし仏教に従わば、必ず三昧耶を慎むべし。三昧耶を越えれば伝者も受者も共に益なかるべし。
それ秘蔵の興廃は唯汝と我となり。汝、もし非法にして受け、我、もし非法にして伝えば、将来求法の人、何によってか求道の意を知ること得ん。
非法の伝授せる、これを盗法と名づく。すなわちこれ仏を欺くなり。 空海は法華経についても必ず経典にある儀軌に従って供養しなければならない、いい加減なやり方では重罪を被るだろうと戒めている。 根拠らしきものが一切ない日蓮の謎履歴の中で
高野山・五坊寂静院だけは寺伝によると根拠があるのだが
1233年(天福元年)清澄寺の道善房に入門。
1238年(暦仁元年)出家し「是生房蓮長」の名を与えられた(是聖房とも)。
1245年(寛元3年)比叡山・定光院に住し、俊範法印に就学した。
1246年(寛元4年)三井寺へ遊学。
1248年(宝治2年)薬師寺、仁和寺へ遊学。
1248年(宝治2年)高野山・五坊寂静院へ遊学[注釈 5]。
1250年(建長2年)天王寺、東寺へ遊学。
1253年(建長5年)清澄寺に帰山。 >>87
【日蓮の四恩】
一切衆生 父母 国主 三宝
【空海の四恩】
「排虚」・・・虚空を飛ぶ生き物
「沈地」・・・地中に潜る生き物
「流水」・・・水に浮かんだり水中を泳ぐ生き物
「遊林」・・・林の中で遊ぶかのように暮らしている生き物。遊林の範疇には、人類を含む哺乳動物の全てが、したがって空海自身も、あなた自身も含まれる。
なお、空海の「四恩」概念は『心地観経』とは無関係。
〇空海の四恩の説明は、竹内信夫著『空海の思想』による。
空海の「四恩」には国主が無いのが注目される。日蓮は国主を『心地観経』に依って一切衆生とは別に立てたが、空海は国主も「遊林」に含ませている。
また日蓮の「一切衆生」は『四恩抄』によると「人」だけだが、空海は「一切の生き物」である。
空海の思想で興味深い箇所。
秘密曼荼羅十住心論の発展段階が道徳発生以前の人間の原始部族的社会から
最終段階の秘密曼荼羅心までを、十段階に刻んで説く。
是の構成そのものがインドで経過した、仏教史お経でいうお経の出現史とほゞ矛盾なく重なるそうだ。
空海の重要なる師匠の一人は、般若三蔵師はインド人僧侶である。
今言う所の十住心発展の消息を空海は筆にしていないが、三蔵直伝と私は思って居る。
日蓮さんが空海を批判するとはねぇ、こりゃ全く役者が違うのだ。 空海を銀河系あるいはアンドロメダ星雲に例えるとすれば、日蓮はねずみ花火くらいなものだな。 94>>大師空海のトルネード大竜巻に比するならば、日蓮はキンチョー渦巻蚊取り線香。 空海
【九顕十密】・・・全ての経は密教である。
【九顕一密】・・・真言だけが密教である。
日蓮は、法華経最勝!!。他の経はみんな法華経から開かれたもの。 >>90
その寺伝がどこの寺伝で何時、誰によって書かれた物かが重要だよ。
もし清澄寺の寺伝なら例によって日蓮教の自己申告にすぎず客観性は皆無。 先週の安国論が「勘文」だと日蓮教で言い張ってる
話のつづきだけど、勘文であるか? 陰陽師であるか?
という話のそれ以前に、陰陽師とはなにか?
というのがあまり語られてなくて、
この橋本京明せんせ見てもらったらわかると思うけど、
現代の陰陽師 橋本京明1
https://www.youtube.com/watch?v=qJzC2yizukQ
恩は石に刻め、恨みは川に流せ…。
現代の陰陽師 橋本京明2
https://www.youtube.com/watch?v=__zGT58z-gY
まあ早いはなしが、占いの小部屋でしょ…。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています