創価アンチは、「創価学会は詐欺」ではなくて「じゃあ、なぜ自分はそのような創価学会の詐欺に素晴らしさを見いだしてしまったのか?」を考えた方が建設的だと思う。

創価学会は、インターネットが発達した今でも新入会者がいるし世界に浸透しつつある。
これは、インターネット上の膨大な創価批判に触れてさえも、それ以上に創価学会に魅力を感じてしまう人が沢山いるから。

世界平和や仏意仏勅や絶対正義など、創価学会は利他の団体として魅力満載。
言い換えれば、創価学会はお節介好きというか、人や周囲に良いことをしたい人が引き付けられる。
これは裏の本音では、人のためになる素晴らしい自分に酔いたかったり、優れた自分を周囲にアピールしたい自己顕示欲や選民意識。

自分は元学会員だけど、選民意識にとり憑かれた。
「自分は一般の愚かな人を救う、日蓮仏法という優れた最高の教えを知っている」と思い込んでいた。
創価をやめたらやめたで今度は「創価学会の誤りを自分は知っている。創価学会という加害者を叩くことが世のためになる」。
何が最高で何が愚かかが変わっただけで、自分の選民意識は無くならないまま。

創価学会がアンチブッディズムなのは、仏教思想に優劣や正義等を持ち込んで信者に選民意識を作り上げるところ。
この選民意識は、「自分は特別」だというプライドをとても高くしてしまう。

このプライドが出来上がると、自分を騙して自分に被害を与えた創価学会を許せず、創価を加害者として叩き続けざるを得なくなる。

選民意識は自分のプライドを元にするゆえに、選民意識が無くならない限り自分のプライドを維持する正義を求め続け、自分のプライドを傷つけるものを悪として攻撃し続ける。

この選民意識の持ち主は誰だ?
創価学会はこの会員の選民意識のお陰で、とても強い推進力を得ている。
加害者や被害者はいない。
創価と信者は共依存で選民意識を作り上げ、共に成長した間柄。