正宗系は教義の正しさ云々かんぬんではなくて、自分達の態度を見なくてはいけない。
同じ本尊や教義を信じていながら、顕正会、創価、正信会、妙観といった分派や派閥が生じて、それぞれ殺し合いに近い潰し合いをやっている。

その潰し合いの理由は、自分達と異なる教義は正法を歪める敵であり、正法を守るためには敵を滅しなければいけないという考え方。
これは、まんまイスラム原理主義と同じ考え方。

仏教は暴力否定だからイスラムのように肉体に危害を与えることはしないが、正宗系は日蓮の真似をするから言葉を使った攻撃が凄まじい。
言葉の暴力を使った敵への精神面での圧力の点では、イスラム過激派と正宗系は殆ど変わらない。
このような相手を軽んじる態度をやめられない正宗や創価は、仏教を名乗ってはいけない。

イスラム過激派や正宗信者の原理思考の原因は、多面的な物の見方が欠如しているせい。
物事の解釈は様々。
神や仏の解釈も様々。
特に神や仏の解釈が様々になってしまう理由は、それだけ神や仏が無限の可能性を秘めている証。
神や仏の多種多様な解釈というのは、神や仏に内在する膨大な可能性の湧現であり賛美でもある。

正宗や創価は、宗教の学術的な側面では宗教排他主義に該当する。
この正宗や創価やイスラムの宗教排他主義の偏狭性を乗り越える新たなパラダイムとして、ジョン・ヒックの宗教多元主義が挙げられる。