日蓮の「立像釈迦仏」一考

【 日蓮遺文での釈迦仏本尊 】
伊豆期以降、日蓮は立像釈迦仏を随身したのだが、直ちにそのものかどうかを意味するのかは別としても、釈迦像を奉安し本尊としたことは真蹟遺文に窺える。

「神国王御書」(文永12年2月または建治3年8月21日 真蹟断片)
其の外小庵には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし其の室を刎ねこぼちて、仏像・経巻を諸人にふまするのみならず、糞泥にふみ入れ、日蓮が懐中に法華経を入れまいらせて候ひしをとりいだして頭をさんざんに打ちさいなむ。
此の事如何なる宿意もなし、当座の科もなし、たゞ法華経を弘通する計りの大科なり。(定P892)

文永8年9月12日、鎌倉の草庵に平左衛門尉一行が日蓮逮捕に訪れた際の状況の記述により、草庵では「釈尊を本尊とし一切経を安置」していたことが確認できる。

尚、「木絵二像開眼之事(法華骨目肝心)」(文永10年或は文永元年 真蹟曽存)には、
木画の二像の仏の前に経を置けば、三十二相具足するなり。但し心なければ、三十二相を具すれども必ずしも仏にあらず。
〜中略〜
三十一相の仏の前に法華経を置きたてまつれば必ず純円の仏なり云云。
〜中略〜
法華経の文字は、仏の梵音声の不可見無対色を、可見有対色のかたち(形)とあら(顕)はしぬれば、顕・形(ぎょう)の二色となれるなり。滅せる梵音声、かへ(還)て形をあらはして、文字と成りて衆生を利益するなり。
〜中略〜
法華経を心法とさだめて、三十一相の木絵の像に印すれば、木絵二像の全体生身の仏なり。草木成仏といへるは是なり。(定P791〜)
とあるが、釈迦像を法華経によって開眼供養する、即ち「木画の二像の仏の前に経を置けば、三十二相具足するなり」という教示による奉安形式であったことだろう。