【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと87
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>>609
それは裏を返せば創価から正宗に必ず行く層があるということ
創価側の視点で考えればそれは絶対に阻止したい
あらゆる方法で阻止せねばならないということ
創価がこんな場末のスレまできてあらゆる方法で
正宗をディスる工作する十分な理由があるということ >>607
さあ、あなたの出番だ。
ID:ePHqD/5dは、あなたが「日蓮正宗に成り済ました創価学会員」だと主張している相手だよ。
直接聞いてみるんだね。 >>607
どうしたの、早く聞きなよ。
「彼は細かい設定がいろいろおかしい」
といちゃもんつけてるのはあなたなんだから、まずは本人とそこをはっきりさせるべき。 >>611
ま、自分はカルトサーフィンを肯定、勧める立場ではないが
この板で正宗も気違い隔離徐として有用(意訳)と云うレスを見た記憶があるが
針金宗君並の創価信徒もそこそこ遭遇するからねw
昨今は一理あるかもとすら思うよwwwww >>611
ま、そりゃ日蓮本仏カルト同士、強烈なカルトMCでその日蓮本仏カルトをグルグルしてるから
正宗、創価、顕正の猛省願うの湘南さんなんかが
カルトサーフィンに言及 してんでしょw >>607
どうしたの、ID:lSoE+KLX ID:ePHqD/5dは
正宗になりました創価で、人格攻撃キャラで正宗を貶めたいといい始めたのはあなたなんだから、そこを本人に確認して証明してよ。
怖じ気づいたの? >>607
聞けないんだった私が変わりに聞くから、
「彼は細かい設定がいろいろおかしい」
ここをもっと具体的に例示してくれ。
そうでないと質問にならない。 >>618
すぐに論点をすり替えるな、韓国みたい
あなたが彼が正宗だと証明されていると証拠もなしに断言したことが問題なんだよ
そこを曖昧にしたままで今まで答えずにあなたは他人に難癖付けている
ついさっきまで証拠がどうたらこうたらと他人を臭いレスを繰り返していたあなたが
証拠もなしに証明されていると断言するなんて今までの勿体ぶったレスは何だったのか?
ということだよ >>617
俺がID:lSoE+KLXだけど、その人(ID:ePHqD/5d)は別人
あと、その人は知らんけど、俺は本当に法華講員
人格攻撃と言うが、まともに論破されても同じ話を何度でも持ち出してくるバカは、アスペ・発達障害としか言いようがないだろ
あと、奴は健康診断に精神科の診断が無いことを知らなかったから、就労経験が無いニートくん
仮に就労経験があってもアルバイトのみ
こんなとこで油売ってる場合じゃないだろw ああ、ごめん
ID:ePHqD/5dも俺だわ
でも、法華講員だというのは本当 >>610
どちらの教会に属されてますか?
西方教会、東方正教会、聖公会の信徒ではありませんよね?
貴方の書き込みを見るに。 >>619
何度も言うけど、本人が正宗の立場でいるのに本人の確認をとらずに創価と勝手に決めつけてたのがあんただろ。
これが分からないんだったら世の中では精神病と診断されるぞ。
それから、ID:ePHqD/5dさんが自分は法華講と名乗ってくれてるんだから、あんたの主張する「彼の細かい設定のおかしさ」を本人の前で証明するんだね。 ■■ 真の戦犯 日蓮主義者 ■■
■■ 戦前、【 国賊 仏敵朝敵 の 日蓮主義者 】達が行ったコト
▼1928年6月 ◆【 関東軍 】が、張作霖を爆殺。
▼1931年3月 ◆【三月事件】
▼1931年9月 ◆◆【 関東軍 】が、国際法違反 及び 日本政府と大本営、昭和天皇の統帥権、をも無視した ◆◆【 柳条湖事件〜 満洲事変( 満洲クーデター ) 】 を起こしたが、軍律違反なのに処罰されず。
▼1931年10月 ◆【十月事件】
▼1932年2月〜3月 ◆◆【血盟団事件】 政財界の要人多数を狙い、貴族院議員 井上準之助と三井財閥総帥 団琢磨を暗殺。
▼1932年5月 ◆◆【5.15テロ】 内閣総理大臣 犬養毅を殺害。
▼1935年8月 ◆◆ 統制派の中心人物とされた 永田鉄山を殺害。
▼1936年2月 ◆◆【2.26クーデター】 高橋是清大蔵大臣、斎藤実内大臣、渡辺錠太郎教育総監、松尾伝蔵内閣総理大臣秘書官、を殺害。 鈴木貫太郎侍従長は重傷。 警察官5名殺害 1名重傷。
▼1940年9月 ◆◆ 昭和天皇の反対を拒否、海軍首脳の反対には暗殺恫喝して ⇒ ◆◆【三国同盟締結】。
▼1941年11月 ◆◆ 【 最後通牒の【ハルノート( 期限なし満州撤退 ) を握り潰し】。
▼1941年12月 日米開戦。
▼1945年8月 日本敗戦 無条件降伏。
↓
◆◆ 張本人の【 関東軍 】は、ソ連軍侵攻を察知すると現地の日本人居留民を置き去りにしたまま一目散に逃走。 (笑)
満州事変( クーデター )首謀者 石原莞爾は、戦後 病気の振りをして逃げた卑怯者。 (笑)
■関東軍 掲揚してるのは日章旗でなく ゲキョゲキョ垂れ幕
http://i.Imgur.com/b9duYYo.jpg
■日蓮主義 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%93%AE%E4%B8%BB%E7%BE%A9 >>580
昨日引用したブログ記事をもう一度引用しておこう
会員が創価学会から離れる理由
http://hasu-no-rakuin.hatenablog.com/entry/2018/05/12/002333
6. 教義・信仰に疑問を感じた
Twitterでも指摘しましたが、教義問題はボディーブローです。
派手なスキャンダルの様に会員を揺さぶることはありませんが、名刀が少しずつ刃こぼれするように、真面目で熱意のある会員からフェードアウトさせていきます。
前述した1~5の様々な要因から創価学会や池田名誉会長に疑問を感じたとします。
「それでも信仰・御書は正しい」「師弟は絶対」と何とか踏みとどまろうと思った方が、教義上の不備や遺文の真偽、富士の濁流、自語相違を知った時……一気に離れますね。
信仰は保っても創価学会からは離れます。 >>623
オレがそう思う意見を言うのも自由だろ
幾つかの可能性の中で根拠あることを言ってるんだから
しかしあなたみたいに自分の意見を証明されているとは言わないよ
ここが知性の差だとはおもわないかね? 罵詈雑言誹謗中傷なんて、正宗系カルトのお家芸
教義問題に言及して発狂する様な儲は創価、正宗、顕正
いずれも罵詈雑言、誹謗中傷の嵐だけどなwwwwwwww いや、俺のどこが法華講員(日蓮正宗信徒)らしくないのか、俺にはよくわからないんだがw
口汚いことかな?
まともに議論できる相手には、こんな口の利き方はしないよ
奴みたいに、自分にとって有利な条件で戦うことを議論の相手に要求する甘ったれたクソガキとか、一度論破された主張を何度でも持ち出してくる発達障害は別だが >>627
いいからテメ―は頭の病院に行くことと職探しを優先しろ
親のすねかじり >>626
まずはあなたの思い込みが誤りでした。
創価と正宗を反対に見なすということは相手に対して非常に失礼。
その誤った根拠とやらを、二度と同じ誤りを繰り返さないようにここで説明するんだね。
それであなたの洞察力がどの程度のものかわかるから。
それからここがあなたのネジ曲がったところだけど、正宗と名乗ってる人に対して、この人は正宗だと言うことに何の証明がいるの?
ここが全く理解できない。
日本人と名乗ってる人に対して、「この人は日本人」と紹介することのどこがおかしいの? >>630
あなたの明確な負けなんだからもういい加減気づけ
論理的な教義の話を繰り返してた癖に
安易に証明なんて言葉使うことがおかしいんだよ
これだけであなたの話の信憑性が疑われるんだよ
そういうことに気づけよ 「俺に有利な条件で戦ってくださぁい!」と対戦相手に堂々と要求するバカには初めて会った
そんな甘ったれ根性だから、テメ―はいつまで経ってもアルバイトがせいぜいのニートなんだよ
ID:VcoNgkje >>630
もう少し賢いと思ったけど
あなたのこのレスでわかった気がする
あなたは論理的に考えることにそれほど向いていないのではないか? >>631
壊れたか
ここで語ってることは教義の問題じゃない。
正宗のスタンスでものを語り、正宗と名乗っている人に対して「正宗のふりをした創価学会員」と反対のことを言い出したのはあなた。
そして私は正宗教義を語り正宗を名乗っている人は正宗として、「創価学会員ではない」と主張。
あなたは正宗を名乗る人の「細かい設定がおかしい」と言うわりに、その設定のおかしさを具体的になにも出せない。
そして本人が現れたから、そんなに疑っているなら「本人に正宗か創価か聞くように」と私が促しても自分からは聞けない。
結局本人が法華講と名乗った。
しかし、あなたは自分の誤りを謝罪したり、誤りの原因をなにも述べられない。
なにも難しいことはありはしない。
あなたは正宗信徒を勝手に創価と疑って、私はその疑いは誤りだと指摘した。
そして疑われた当人は、元々正宗信徒として発言していた通りに正宗信徒だった。
ただそれだけ。
疑っていた人が、自分の疑いの誤りを認めたくなくてゴチャゴチャ言ってるだけ。 >>634
なんか自分の思うようにしか理解できない韓国みたい
あなたは根拠にならない根拠を挙げて
証明されているとのたまいましたが
こちらがそれでは証明されていることの証拠にはになりませんよ明確に答えて下さい
と催促しても未だに明確な証拠の提示はありません >>634
証明されていると断言しても証拠の提示もできない人が
教義論争なんてできるわけないでしょう? 地下鉄サリン事件の日、創価本部職員数に臨時休業の指示があったというネット情報は本当ですか?
時々この板に参加してる職員の方々に聞いてみたいです。
自分はガセネタだと思ってますが、
創価がオウムと繋がっていて、サリン事件を事前に知っていたと信じているアンチがいるようです。 >>574 ID:NMwmlkpx
人格攻撃なんて正宗系カルトはどれも変わらんと思うんだが、正宗になんか幻想抱いてないか?
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50883764.html
常識者であれば、このような文章は書けない。
斯かる憎悪と他者蔑視に充ち満ちた文章を読んで、なるほど、大石寺の信仰に嵌っていくと、このような人格になっていくという意味でいい見本のサイトであると思った。
大石寺では「本門戒壇の大御本尊」と呼ぶ彫刻を「御戒壇様」とも呼ぶ。
この筆者もそう屡々記す。
この「御戒壇様」信仰は、人権侵害の最後の砦であるらしい。
どんな言葉を使っているか拾ってみよう。
・創賊
・低劣な痴論
・犀角独歩なる妄乱
・狂人
・ノータリン
・日蓮宗の悩乱教授のヤスベンの堕作
・犀角独歩なる邪妄
・狂った邪徒の狂乱
・バカマルダシ 因みに気楽非活の人も正宗系カルト儲から独歩氏と同様
誹謗中傷罵詈雑言のメールが行ってるそうだね
そもそも、このスレ、この板にいるなら正宗系カルト儲の言動、実態なんて良く知ってる筈だと思うんだがな >>638
無職ニートのテメ―も、犀角独歩も、論破されても素直に自分の誤りを認められない糞野郎だろうが
他人の人格をどうこう言える資格なんかねぇよ 無職ニートのテメ―や犀角独歩の言動を見て、なるほど、大石寺の信仰に逆らっていくと、このような糞人格になっていくという意味でいい見本であると思ったわ ■■ 真の戦犯 日蓮主義者 ■■
■■ 戦前、【 国賊 仏敵朝敵 の 日蓮主義者 】達が行ったコト
▼1928年6月 ◆【 関東軍 】が、張作霖を爆殺。
▼1931年3月 ◆【三月事件】
▼1931年9月 ◆◆【 関東軍 】が、国際法違反 及び 日本政府と大本営、昭和天皇の統帥権、をも無視した ◆◆【 柳条湖事件〜 満洲事変( 満洲クーデター ) 】 を起こしたが、軍律違反なのに処罰されず。
▼1931年10月 ◆【十月事件】
▼1932年2月〜3月 ◆◆【血盟団事件】 政財界の要人多数を狙い、貴族院議員 井上準之助と三井財閥総帥 団琢磨を暗殺。
▼1932年5月 ◆◆【5.15テロ】 内閣総理大臣 犬養毅を殺害。
▼1935年8月 ◆◆ 統制派の中心人物とされた 永田鉄山を殺害。
▼1936年2月 ◆◆【2.26クーデター】 高橋是清大蔵大臣、斎藤実内大臣、渡辺錠太郎教育総監、松尾伝蔵内閣総理大臣秘書官、を殺害。 鈴木貫太郎侍従長は重傷。 警察官5名殺害 1名重傷。
▼1940年9月 ◆◆ 昭和天皇の反対を拒否、海軍首脳の反対には暗殺恫喝して ⇒ ◆◆【三国同盟締結】。
▼1941年11月 ◆◆ 【 最後通牒の【ハルノート( 期限なし満州撤退 ) を握り潰し】。
▼1941年12月 日米開戦。
▼1945年8月 日本敗戦 無条件降伏。
↓
◆◆ 張本人の【 関東軍 】は、ソ連軍侵攻を察知すると現地の日本人居留民を置き去りにしたまま一目散に逃走。 (笑)
満州事変( クーデター )首謀者 石原莞爾は、戦後 病気の振りをして逃げた卑怯者。 (笑)
■関東軍 掲揚してるのは日章旗でなく ゲキョゲキョ垂れ幕
http://i.Imgur.com/b9duYYo.jpg
■日蓮主義 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%93%AE%E4%B8%BB%E7%BE%A9 国賊 仏敵 朝敵 人類の敵
日蓮主義
🌏 【 大東亜戦争 張本人の関東軍 】 の 本部
掲揚されているのは 日章旗でなく ゲキョゲキョ垂れ幕
http://i.Imgur.com/Y7JroFs.jpg >>611
正直なところ、退会して正宗に行くような人は、ここで学会が暴れても防げないし
醒めて退会するつもりの人も、教学論争に巻き込んでマインドコントロールを掛け直して
引き留めるような事は出来ないし、学会側も考えが甘いよね 創価学会の内部スレに日蓮正宗なるものが
出入りすること自体が害悪である
内部の批判に便乗して迷惑千万
仏法を議論する場に盲信者の出番はない もう散々だよ
日蓮は妄想カルト教義のクソ坊主
牧口、戸田、池田は日蓮と性質がそっくりのカルト教祖
こんな簡単なカルトの構造に数十年も気づかなかったなんて
それは幼児の頃からプロパガンダ映画「聖教ニュース」を見せられて育ち
池田センセーを救世のヒーローだと信じ込んでいたから
あのプロパガンダ映画に出てた当時の学会員たちが
池田をあまりにも崇拝してたから
幼心に池田先生はヒーローなんだと信じ込んじゃったんだよ
数十年前にタイムスリップして、幼児の自分に伝えたいよ
「そいつは悪者だ!信じちゃダメだ!」と >>635
統合失調症という診断を受けたことはありませんか?
日蓮正宗信徒を創価学会員と妄想し、それが誤りだと指摘されても自分の思い込みを述べるだけ。
最終的に創価学会員というのは妄想でしたよね。
それでもまだ自分の誤りを認められずに、検討違いのことを述べてはぐらかそうとしている。
創価学会員という妄想は妄想でした。
自分の妄想を妄想と認められれば健常者。
自分の妄想を認められずに、他者に妄想の誤りの証明を求めるのは統合失調症の症状。 >>645
独歩氏や気楽非活の人は元創価だけど
RSD氏や猛省願うの湘南さんは日蓮系じゃないし
湘南さんは無宗教
教義問題扱う奴は創価って事にしたいんだろうけど、三世のブログ記事>>625に有るように
創価にとって利点が有るようには思えんし、実際にここでも偽書根本出鱈目教義を知って一家揃って辞めるとレスしてた人もいるね
ま、何れにせよ創価だろうが、正宗だろうが、教義関連で突っ込みくらって困るのは正宗系カルトだけだし しかし、独歩氏という人も左翼だな。創価止めた人の9割くらいが左側に流れる。
国があってこそ人権は守られるし、国力が無いと邪悪な国に支配される。国力とは経済と軍事が基本。
国力と国力のバランスがとれていれば戦争には至らない。
そういった現実をありのままに見れない創価妄想脳は止めても変わる事は無く、今度は左翼として妄想を続けるんだな。 >>649
テメ―はさっさと仕事を探せよ無職野郎
あるいは一般社会での就労経験が無い身延の坊主
な〜にが偽書根本よw
そういうことにしたいんだろうが、俺がおまえを完全論破したように、偽書の疑いがあるとされる御書を用いなくても、いわゆる日蓮本仏論は論証可能
ほんとくどいわ、身延かぶれは 身延の日蓮宗が間違っているというわかりやすい根拠
@日蓮大聖人の重要な御著作の1つ『本尊問答抄』に「仏像を拝むな。法華経の題目を本尊として拝め」(趣意)と書かれている
A天台宗に「応化非真仏」(インドに現れた釈迦は真の仏ではない)という言葉があり、日蓮大聖人はそれを引用して「三十二相八十種好の仏よりも、法華経の文字こそ真の仏」と仰せになられている(御衣布幷御単衣御書。御直筆が現存)
B単純に、釈迦の仏像に対して「南無妙法蓮華経」と唱えるのは身口意の三業が一致しない
→口では「妙法蓮華経に帰依します」と言いながら、身体は釈迦に対して礼拝していることになる
→例えば浄土(真)宗のように、阿弥陀仏の像に向かって「南無阿弥陀仏」と唱えて礼拝するのが、仏教の正しい礼拝
→釈迦の仏像に対して礼拝するなら、「南無釈迦牟尼仏」と唱えなければならない
→仏教の礼拝の基本も外れている身延に日蓮大聖人の正統を名乗る資格なし 身延の日蓮宗が間違っているというわかりやすい根拠
@日蓮大聖人の重要な御著作の1つ『本尊問答抄』に「仏像を拝むな。法華経の題目を本尊として拝め」(趣意)と書かれている
A天台宗に「応化非真仏」(インドに現れた釈迦は真の仏ではない)という言葉があり、日蓮大聖人はそれを引用して「三十二相八十種好の仏よりも、法華経の文字こそ真の仏」と仰せになられている(御衣布並御単衣御書。御直筆が現存)
B単純に、釈迦の仏像に対して「南無妙法蓮華経」と唱えるのは身口意の三業が一致しない
→口では「妙法蓮華経に帰依します」と言いながら、身体は釈迦に対して礼拝していることになる
→例えば浄土(真)宗のように、阿弥陀仏の像に向かって「南無阿弥陀仏」と唱えて礼拝するのが、仏教の正しい礼拝
→釈迦の仏像に対して礼拝するなら、「南無釈迦牟尼仏」と唱えなければならない
→仏教の礼拝の基本も外れている身延に日蓮大聖人の正統を名乗る資格なし 右、左、法華経、無宗教、妄想、信じたいものを信じればいいけど、宗教の究極っていうのは抽象性。
仏教の説く根本は「何も無い」ということ。
世界はないし、個人はいない。
だから何も問題は起こっていないし、何も起こり得ない。
あらゆるものはエネルギーと例えられるものであり、また、エネルギーの波やエネルギーの密度と例えられるもの。
エネルギーは形を持たないが、認識主体の感覚機関を通してエネルギーを知覚すると形として見える。
認識主体の感覚機関を通ると、エネルギーはものや匂いや音や色などに変換される。
それゆえに人間は、エネルギーの波や密度を個別やこべつが集まった多様性として知覚する。
人間という認識主体の感覚機関に依存すればするほど、エネルギーは知覚上に物象化として現れる。
そしてさも現実と見える。
認識主体の感覚機関の依存を弱めれば弱めるほど、エネルギーはエネルギーという本来の遊動性や無価値性として現れる。
それゆえに、緒事象は実体を持たない無常と見える。
そして、現実とみえていたものは無実体であったことを見抜ける。
緒事象に個別性や具体性を見るなら、それは感覚機関や脳が作り上げている物や匂いや音や色という幻想。
感覚機関や脳の機能が弱まれば、人間が行っているエネルギーの物象化変換も弱まり、ものがエネルギーという本来の抽象性として認識される。
この抽象認識が神秘体験や至高体験と呼ばれる状態。
あらゆるものが繋がって感じられる。
主体と客体という分離が消えて一体感のみになる。
以心伝心が可能になる。
色即是空空即是色の状態。
感覚機関や脳の機能を停止させる訓練が、瞑想や呼吸法や座禅。
それゆえに、あらゆるものとの合一を目指す宗教はこれらの方法を取り入れてきた。
一方で、世の中に差異や優劣や正邪を作り出す宗教は真逆。
神や南無妙法蓮華経などの統一原理を目指す宗教は、真理という絶対性を求めて、人間の感覚機能を弱めるのではなく強くする。
脳や体を通して具体的な利益を祈ることにより、エネルギーを功徳や勝利に変換する。
この強められた具体性は、人間が自分を肉体と同化させる弱肉強食傾向を強めてしまう。 結果、この世に現実と見えていたものは、エネルギーを具体性としてして知覚していたことによる幻想の現れであることに気づかなくさせる。
抽象化が高い宗教は涅槃を促し、具体化が強い宗教は煩悩を強めると理解しておこう。 個人的には抽象化は好きでは無いな。具体的が良い。だから宗教には馴染めない。
物事はありのまま、あるがままを認識したい。その評価は様々だとしても。
なにかが起こるにはその原因と時代背景、それを扱う人間達の特性や文化等々も絡みあっている。
例えば、今生きている我々の時代から過去を総括するにはその時代を知らないと分からないし過去から現代の変遷を知らなければ未來の予測も難しい。
一つ一つのリアルをまずは学ぶ姿勢が大切だと思うし、そこから実現可能な理想や育まれるのだと思う。 創価学会が誕生した時代背景についてはこれまで何度も語られているがそれと、やはり戸田から池田という特異な指導者の影響が大きい。
国であれ、イデオロギーであれ、カルトであれその集団が過激で反社会的な集団に変遷する時には必ず邪悪な指導者の存在がある。
ビン・ラーディンやバグダーディもそうだが麻原や文鮮明もしかり。
宗教の教義そのものがカルトというより人格障害のような指導者が現れ、その時代の人々のもつ欲望とマッチしてしまったことが残念な結果になるのだろう。 この世は夢。
空に舞う星々。
人々は星の流れに、星座という物語を作り出す。
厳密には星座の物語は存在しない。
星の栄枯盛衰しか存在しない。
星座という形態や物語は民族や個人が主観的に作り出し、内容は文化に応じて様変わり。
人間は星々の流れに、脳が作り出す観念を投影して様々な星座物語を具体化する。
この星座物語は実際は星の栄枯盛衰上に描かれた人間の主観体型。
そうと知った上で楽しむならそれは全く問題ない。
人間は日常生活の世界に、自分や民族の思想の物語を投影する。
この各自の物語の投影という共同主観の関係性が、生活基盤上に社会や一般常識や文化となって現れる。
そして、この共同主観の物語の連鎖が歴史となって記録される。
これらは人間が自ら作りだした物語の投影。つまり夢。
夢を夢と分からずに具体性を楽しもうとすると悲惨なことになる。
夢をリアル化すると、自分が作り出した正義や悪を具体的な現実だと思い込んでしまう。
この思い込みから、対象に対して正義や悪の認定ごっこか始まる。
正義や悪、敵や味方の認定ごっこから信念の派閥が生じる。
こうして派閥間の争いが始まる。
人間の行っている歴史とはこれ。
夢を現実と見ることによる、派閥、分離の創出。
争いの歴史から逃れるには、夢を夢としてこの世の背景を知ること。
この世という夢は現実ではなく、自分が自ら作り出している物語であることを自覚すること。
これらの仕組みはどの宗教も明らかにしていたはずだが、宗教の権威化とともに捨て去られていった。
この、宗教の本質に位置するこの世の非現実性を再び明らかにする試みは、権威化した現代の宗教にはもはや不可能。
この宗教の本質の取り戻しの試みは、権威宗教とは一線を画するノンデュアリティというムーブメントが世俗の立場から復活させつつある。 野蛮で弱肉強食だった時代は生存するためにはまず血族、民族の結束が必要だった。
それには価値観の統一が必然だったしそのための掟も必要だった。
モーゼの立法、そして神との契約。
良くも悪くも人々の間で共通のルールが作られた。
日本のように外敵に襲撃されない島国で肥沃な土地に単一民族で住んでいる国柄と旧訳聖書の時代の価値観とはまったく違う。
夢を見たり星座やおとぎ話は文化として今も存在しているが、それと生存するための手法は別の話。
拘らない事、囚われない事、達観することは心の訓練としてとても大切な事ではあるが、これも一分野。
それで全てが解決するものでは無い。
なのでやはり一つ一つのリアルを紐解く作業をいとわない姿勢が大切かなと思う。 日蓮正宗系の致命的な欠陥は覚者がいないこと。
この世は空だって話は、理念上ではどうしても現実離れした観念に思われてしまう。
そんな仏教の話は空論で、現実の生活や子育てには成果や功徳が必要だって感じで。
この世の苦しみは生老病死から生じる。
どんな現実上の努力も、生老病死からは逃れられない。
だから、人間は生老病死から逃れられない限りは苦しみから逃れられない。
覚者は現実上の処世術にはあまりこだわりを持たない。
なぜなら、それらは苦しみの根本解決ではないから。
苦しみの根本解決とは、生老病死から離れること。
生老病死とは肉体が生み出す。
その肉体とは、我々が現実という具体的な楽しみを味わうための乗り物。
本来は形を持たない普遍意識の人間生命が、肉体という乗り物に乗って個人や現実という体験をしたいと思うと、肉体を生じさせるこの世への転生を試みる。
三次元に縛られた地球というステージへの転生は危険を伴う。
なぜなら、三次元ステージとは普遍生命を肉体という制限に閉じ込めて、それがリアル化してしまうから。
三次元生活においては、魂の一時的な物語を現実と信じる人間生活がカルマを作り出す。
そして、カルマを解消するために温めて生まれ直さねばならなくなる。
業という動力が消えない限りは、新たな転生が続き続けて輪廻の回転は止まらなくなる。
権威化した宗教は、業という動力を消したり転換するのに功徳や福運が必要と指導する。
これは嘘っぱち。
功徳や福運を得る努力とは生への執着であり、肉体へのこだわりを更に強める。
覚者は具体的なアドバイスをするのに、この世の霊的背景の見地から教える。
覚者は具体的なアドバイスをするのに、無分別の愛の立場から教える。
これらは、生老病死や正義や真実という現実的見地への執着を取っ払った状態。
生老病死という苦しみのゲームを続けたいならば、現実生活への執着は大いに結構。
これは今の人類や宗教が継続してやっていること。
生老病死という苦しみのゲームに本当に飽き飽きして、真剣に本当に終わらせたいと願ったとき、生老病死からの離脱、つまり輪廻からの解脱を説く覚者や知識に導かれる。 しかし、具体的な結果で得られる幸福や人間関係や絶対性や正義などの理想を追い求め続けている限り、そこに導かれることはない。 >>653
いくらここで他の日蓮宗派コケにした所で、学術的に正宗系カルトの偽書根本教義が統一教祖がキリストの生まれかわりと云うのと同等の異端教義教義としか扱われないけどwwwww
学術調査でその贋作板曼荼羅や偽書を公開でもしてみれば?wwwww >>650
独歩氏の政治、経済に関する主張は知らんが
そこまで断定出来るほどの政治ネタの記事でもあるのか? 完成度の高いカルト教義が無ければ
どんなにサイコパスカリスマ教祖がいても
強力なカルト教団を持続的に維持できない
教祖のカリスマ性の背景には
宗教的な権威とその正当性を保証するかに
見せかけるためのカルト教義が必要だからだ
信者を思考の無限ループに閉じ込め
実質的に思考停止状態にし
同じことばかり考え、感じ、発言し、
信者が進んで「互いに洗脳し合う状態」を
作り出さねばならない
そのためには閉鎖的で適度な複雑性をもつ
「もっともらしい」カルト教義が不可欠
日蓮教義こそは世界に恥ずべき最強のカルト教義である ID:rgKIi7hIの言動を見て、なるほど、大石寺の信仰を深めてていくと、このような糞人格になっていくという意味でいい見本であると思ったわ >>665
確かに日蓮さんは過激思想みたいだからカルトには使い勝手が良いのでしょうね。
でもオウムは自称チベット仏教。
しかしハルマゲドンなんてキリスト教の終末論をくっ付けたし。
なんでもありなんだろなぁと思う。 そう、生きる者全ては生老病死からは逃れられない。
しかし、人は幼少期から成年、老いていく過程で思想も変わっていく。
「年を経るということは少しずつ諦めることでもある」とある精神科医が語っていた。
キリスト教では人間は死んだら土に返るそうな。天国や地獄、輪廻を説く人もいるが。
昔、「千の風になって」という唄が流行ったね。あれは日本人のこころにフィットしたんだろう。
愛する人、大切な人は死んでなんかいない。風になって私の回りで私に寄り添い私を見てくれていると。
たしかに生老病死は逃れられないけど、たがらといって私達はそんなに苦しいだけなのだろうか?
哀しみも苦しむも喜びも楽しさも味わっているのではないかな?
そして大切な人々と巡りあって愛を知った。
それだけで充分なんだと自分は思う。
この世や大事な人との別れはつらいものだから、それに対してどんな物語を作ろうともそれはその人の自由。
口には出さなくても人それぞれ、天国にいるとか生まれ変わるとかお盆に帰ってくるとか、土に戻って養分となってやはり地球の一部になった。などなどその人の夢物語があるんだろう。
その多様性がありのまま、あるがままだと思うよ。 御衣並単衣御書 971ページ
「法華経にまいらせ給いぬれば法華経の文字は六万九千三百八十四字・
一字は一仏なり、此の仏は再生敗種を心符とし顕本遠寿を
其の寿とし常住仏性を咽喉とし一乗妙行を眼目とせる仏なり
応化非真仏と申して三十二相八十種好の仏よりも
法華経の文字こそ真の仏にてはわたらせ給いて
仏在世に仏を信ぜし人は仏にならざる人もあり、
仏の滅後に法華経を信ずる人は無一不成仏如来の金言なり」
六万九千三百八十四字の法華経を是非にでも拝したいものですね
日蓮が手にした法華経と学会発行の法華経と見比べたいものです
そのくらい創価の信用が落ちてるということですねw 地区座
ほかの家でやって欲しい
加齢臭でたまらん
便所も汚されるし何も良い事ない 二世信者のきみたちへ・・・創価学会を離れる方法は?新・幸福の科学誕生!?
https://youtu.be/PAYrgHCxyq8 釈迦は王族として、あらゆる贅沢の限りを味わった。
それでも満足できない。
不足不満の感情からどうしても逃れられない。
生きることへの疑問は消えない。
人間はエゴの満足やエゴの幸福を求め、輪廻転生を繰り返す。
その結果、行き着く最終地点はどうしても釈迦が味わった解決できない生の苦しみと同じ心境。
人間は肉体と同一化した状態では、一時的な満足以外を、つまり恒久的な満足を得られない。
このもがきつくした最終段階の絶望の苦しみと、その苦しみからどうしても逃れたい希求とは、自分の故郷へ帰りたいという帰巣本能のようなもの。
人間は輪を求める、平和を求める、安楽を求める。
人間はその状態を知っている。
それは生まれる前の状態。
肉体の束縛を離れた、大いなる生命に抱かれた状態。
制限の無い一体不可分の状態。
カルマという禍根は、刈り取らねばいけないものとして残り続ける。
それゆえにカルマの精算という形で再びカルマの保有者を地球に向かわせる。
これは、天や神や仏と称されるような自分の故郷からの分離や追放に似ている。
苦しみが少なければ宗教や何かへの依存は必要ない。それが人間の普通の人生。
しかし、真摯に生きれば生きるほど、満足を求めれば求めるほど、仏陀のように避けられない苦しみの蓄積と絶望に至らざるを得ない。
その時、自分が本当に故郷へ帰るためのカルマ精算手段を追い求めざるを得ない。
その過程はあなたの内面が知っている。
実は過程の答えを知っている。
人間は生まれると、生まれる前の愛に包まれた本然の記憶を消去する。
その理由は、人生において転生の意味や答えを予め知っていたら、それは自分で方程式を解く努力が出来なくなる。
人生の答えを知らずに生きる努力の過程こそが、カルマ精算に必要な経験、つまり方程式の解に必要な段階を踏ませる。
本当に苦しんでどうしようもなくなったときに、外側に答えを探し尽くして何も得られないと分かったときに、あなた方は絶望する。
絶望が探求というエゴの足掻きや心の雑音を一瞬止めてくれる。
エゴの足掻きや心の雑音が消えたとき、自分の内面の声やメッセージがあなたに感じられるようになる。 自分の内面はあなたにやっと発見され、肉体上の自分自身とコミュニケーションがとれるようになったことに大いに喜ぶ。
そして、カルマ精算の円滑化という、故郷に帰る過程の大いなる導き役となる。 昔の潮、Dr池田のキング博士の回のん観た
違和感があった
脱キリスト、脱聖書、脱キリスト教会、脱牧師と言う職業、キング博士の職業、生い立ち等プロフィール欄も無し
公民権運動の行動の男扱い。ノーベルの時期だったよね ID:S5SWlQXW
ポエムを書きたいならチラシの裏でどうぞ
詩人さんw 今後、偽書根本、偽書根本とうるさい奴は、身延の坊主と断定して話を進める
断定した根拠は3つ
@健康診断では精神科の診断が無いことを知らなかった
つまり、一般社会での就労経験が無い
A自分は無宗教と言いながら、毎日毎日一生懸命書き込んで、正宗系を叩いている
B身延の教義はやたら持ち上げてかばう
もうバレバレなんだよ糞坊主 身延の日蓮宗が間違っているというわかりやすい根拠
@日蓮大聖人の重要な御著作の1つ『本尊問答抄』に「仏像を拝むな。法華経の題目を本尊として拝め」(趣意)と書かれている
A天台宗に「応化非真仏」(インドに現れた釈迦は真の仏ではない)という言葉があり、日蓮大聖人はそれを引用して「三十二相八十種好の仏よりも、法華経の文字こそ真の仏」と仰せになられている(御衣布並御単衣御書。御直筆が現存)
B単純に、釈迦の仏像に対して「南無妙法蓮華経」と唱えるのは身口意の三業が一致しない
→口では「妙法蓮華経に帰依します」と言いながら、身体は釈迦に対して礼拝していることになる
→例えば浄土(真)宗のように、阿弥陀仏の像に向かって「南無阿弥陀仏」と唱えて礼拝するのが、仏教の正しい礼拝
→釈迦の仏像に対して礼拝するなら、「南無釈迦牟尼仏」と唱えなければならない
→仏教の礼拝の基本も外れている身延に日蓮大聖人の正統を名乗る資格なし
ほれ、反論してみれ
身延の糞坊主 いいか、身延の糞坊主
インド仏教でも、東南アジアに伝わった小乗仏教でも、中国・朝鮮・日本に伝わった大乗仏教でも
天台宗でも、禅宗でも、真言宗でも、浄土(真)宗でも
仏像や仏画に向かって合掌礼拝する時には「南無(仏の名前)」と唱えるんだよ
釈迦如来の仏像に向かって合掌礼拝するなら「南無釈迦牟尼仏」
阿弥陀仏の仏像に向かって合掌礼拝するなら「南無阿弥陀仏」
観世音菩薩の像に向かって合掌礼拝するなら「南無観世音菩薩」
それが仏教の常識だ
釈迦の仏像に向かって「南無妙法蓮華経」と唱える三業不相応の異常な宗派は、仏教史上、日本の身延の日蓮宗だけw
ほれ、なんとか言い訳してみれw >>672
youtubeの動画主も、もう少しマシなの引っ張ってこれないのかね
島田裕巳-wiki
1991年9月『週刊朝日』
『週刊朝日』1991年10月11日号に「平成の『宗論』を読む」を寄稿[5]。
「オウム真理教は仏典の研究や修行に打ち込み、仏教の伝統を正しく受け継いでいる真摯な教団である。
オウムは必ず、仏典に立ち返って、自分たちの教えを説いている。
オウムは最初はヨーガから始まったが、その後は、仏教の本来のスタイルに近づいている。日本の仏教は世俗化しているためにオウムが特異な集団に見えるが、むしろ仏教の伝統を正しく受け継いでいる。
パーリ語の仏典を訳したりして、勉強している点も、それを裏づけている」とオウム真理教を評価した。
1991年気象大学校の文化祭講師
島田は1991年の気象大学校の文化祭に講師として招かれた際、わざわざ麻原を呼んで対談する企画に変更し「私なりに納得できるところがあったんですね」などと発言、
この対談はオウム出版発行の本に収められ、教学と布教に利用された[6]
著書『いま宗教に何が起こっているのか』
講談社から出した著書『いま宗教に何が起こっているのか』で「私たちは、オウム真理教の奇妙な行動にふれるたびに、その裏になにかが隠されていると考えてしまいがちだが、かれらの行動や主張はむしろ文字通りに受け取るべきではないだろうか」と擁護した[6]。
このような姿勢について江川紹子が自宅を訪ねてインタビューしたところ、第一声は「オウムに興味ないもん」であった[6]。
江川紹子は「自分の発言の重みをどう考えているのか」と書いている[6]。 身延の日蓮宗では、仏教史上、他に例が無い珍妙な礼拝行をする
口で唱える言葉は「南無妙法蓮華経」(=「妙法蓮華経」に帰依します)
しかし合掌礼拝する身体の姿は「南無釈迦牟尼仏」(=釈迦牟尼仏に帰依します)
身口意の三業のうち、口業と身業が完全に不一致
果たして意業(心)は「南無妙法蓮華経」と「南無釈迦牟尼仏」のどちらに合わせたらいいのか?
説明してくれる?
身延の糞坊主くんw >>681 続き
また「教団とは信頼関係はないが、麻原との個人的関係はある。
僕も悪い奴だとは思っていない。
彼は夢想家。それにすがる人が出てきたので拡大した。(問題とされる点はあるが)麻原は関与してないと思う。
彼の考えている通りに信者がやっているかというと、それは違う」と語った[6]。
これに対し江川は「問題があっても、悪いのは教祖の考えを反映できない下々の信者の責任であるというのでは、信者の発想と一緒」
「宗教学者としての島田氏の致命傷」「教団の隅から隅までを把握し、自分の意思を反映させなければ気が済まない麻原教祖の性格、教団の最も重要な特徴を見誤っている」と書いている[6]。
「オウムは半分僕を利用している」と分かっていながらオウム擁護の意図については「別にそういうことはない」「彼らはそう言っている、彼らはそう考えている、と書いているだけ」と主張した[6]。
江川は「これではオウムのPRに利用されるだけ」と書いている[6]。
1995年3月22日東京新聞
地下鉄サリン事件が発生し強制捜査で同施設にサリン製造プラントの存在が明らかになった直後の1995年3月22日、東京新聞に「(第七サティアンについて)私が見た限りでは宗教施設だった。カモフラージュしていれば別だが、そんな感じではなかった」とコメントした。
(中略)その閉鎖性については「麻原さんがいればオープンだが、いまの幹部では決断力が劣る」。そして「修行は外部の人には理解できない。
土地トラブルなどお布施には利害が絡むので、社会とあつれきを生むのは必然的だ。
しかし、教団はゆっくり発展していく」とみる。
一連のサリン事件については「オウム側か、国家権力による謀略か分らないが(教団と)何らかの関係はあるようだ」。
ただ、強制捜査については「法的にいろいろ問題がある。情報がないのに、怪しい事実があるというだけで捜査したのではないか」と疑問視した。
『宝島30』1995年6月号
『「罪深き」私にとってのオウム』を発表。オウム真理教がなぜサリンを製造し、それを使用しなければならなかったのか、その動機についてはまだ見いだせない、としてサリン事件をオウム真理教の仕業であると決め付けてはいけないとの見解を示した。 因みに針金宗君の元ネタ
宗教学者-島田裕巳先生の勧めにより御真筆のみで日蓮大聖人が御本仏である事を証明した。
http://nammyohorengekyo.blog.jp/archives/1033972150.html
そして針金君は贋作板曼荼羅を信仰してる筈だが、こんな記事を書いてるんだが、意味が解らんわw
日蓮大聖人を御本仏と仰ぐ皆様へ、御本尊差別の信心は、無間地獄への道である!!
http://nammyohorengekyo.blog.jp/archives/1033972154.html
大石寺信者達よ!
御本仏-日蓮大聖人の金言を素直に拝すれば拝する程に、大石寺の教えは、大聖人の教えに反逆する事だらけだと判る!
大石寺の教えを信じる限り、絶対に成仏はあり得ず、逆に自他共に無間地獄への道を全力疾走している事に早く気づくのだ!!! >>684
ほれ、さっさと答えろ
仏教史上他に例が無い珍妙な礼拝行をする身延の日蓮宗の糞坊主くん
釈迦の仏像に向かって合掌礼拝して「南無妙法蓮華経」と唱える時
心は「南無釈迦牟尼仏」する身と「南無妙法蓮華経」する口のどちらに合わせたらいいのかね?w いいか、身延の糞坊主
インド仏教でも、東南アジアに伝わった小乗仏教でも、中国・朝鮮・日本に伝わった大乗仏教でも
天台宗でも、禅宗でも、真言宗でも、浄土(真)宗でも
仏像や仏画に向かって合掌礼拝する時には「南無(仏の名前)」と唱えるんだよ
釈迦如来の仏像に向かって合掌礼拝するなら「南無釈迦牟尼仏」
阿弥陀仏の仏像に向かって合掌礼拝するなら「南無阿弥陀仏」
観世音菩薩の像に向かって合掌礼拝するなら「南無観世音菩薩」
それが仏教の常識だ
釈迦の仏像に向かって「南無妙法蓮華経」と唱える三業不相応の異常な宗派は、仏教史上、日本の身延の日蓮宗だけw
ほれ、なんとか言い訳してみれw どこの国の仏教に、仏像に向かって合掌礼拝しながら「南無(経典の名前)」と唱えるバカ宗派があるんだよ?
唯一、日本の身延山にあるけどな!
「日蓮宗」という名前のバカ宗派www スレチの正宗信徒
お前はスレタイすら読めないアホなのか?
別のスレッドでやれ、カス >>682
>「南無妙法蓮華経」(=「妙法蓮華経」に帰依します)
>しかし合掌礼拝する身体の姿は「南無釈迦牟尼仏」(=釈迦牟尼仏に帰依します)
宗教なんてそんな物だよw
創価だって、「この本尊こそ絶対!」「いやいや、その本尊は偽物!、「創価学会仏」こそ本物!」とその時に応じて本尊をコロコロ変えるんだからww >>689
ID変えても無駄だ、身延の坊主
おまえが身延の日蓮宗の見解に立った主張を持ち出すたびに
身延の日蓮宗の珍妙な唱題行についての説明を求めるからな?
ほれ、さっさと答えれw >>689
「宗教なんてそんな物だよw」って、それは他の宗派に失礼だろ
インドでも、東南アジアでも、中国・朝鮮・日本でも
仏像に合掌礼拝する時は「南無(仏の名前)」と唱えるのが常識なんだから
どこぞの糞坊主が所属する身延山では違うらしいけどなwww 日蓮の「立像釈迦仏」一考
【 日蓮遺文での釈迦仏本尊 】
伊豆期以降、日蓮は立像釈迦仏を随身したのだが、直ちにそのものかどうかを意味するのかは別としても、釈迦像を奉安し本尊としたことは真蹟遺文に窺える。
「神国王御書」(文永12年2月または建治3年8月21日 真蹟断片)
其の外小庵には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし其の室を刎ねこぼちて、仏像・経巻を諸人にふまするのみならず、糞泥にふみ入れ、日蓮が懐中に法華経を入れまいらせて候ひしをとりいだして頭をさんざんに打ちさいなむ。
此の事如何なる宿意もなし、当座の科もなし、たゞ法華経を弘通する計りの大科なり。(定P892)
文永8年9月12日、鎌倉の草庵に平左衛門尉一行が日蓮逮捕に訪れた際の状況の記述により、草庵では「釈尊を本尊とし一切経を安置」していたことが確認できる。
尚、「木絵二像開眼之事(法華骨目肝心)」(文永10年或は文永元年 真蹟曽存)には、
木画の二像の仏の前に経を置けば、三十二相具足するなり。但し心なければ、三十二相を具すれども必ずしも仏にあらず。
〜中略〜
三十一相の仏の前に法華経を置きたてまつれば必ず純円の仏なり云云。
〜中略〜
法華経の文字は、仏の梵音声の不可見無対色を、可見有対色のかたち(形)とあら(顕)はしぬれば、顕・形(ぎょう)の二色となれるなり。滅せる梵音声、かへ(還)て形をあらはして、文字と成りて衆生を利益するなり。
〜中略〜
法華経を心法とさだめて、三十一相の木絵の像に印すれば、木絵二像の全体生身の仏なり。草木成仏といへるは是なり。(定P791〜)
とあるが、釈迦像を法華経によって開眼供養する、即ち「木画の二像の仏の前に経を置けば、三十二相具足するなり」という教示による奉安形式であったことだろう。 >>693 続き
「忘持経事」(建治2年3月 真蹟)」
然る後深洞(しんどう)に尋ね入りて一菴室(あんしつ)を見るに、法華読誦の音(こえ)青天に響き、一乗談義の言山中に聞こゆ。
案内を触れて室に入り、教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝するに歓喜身に余り、心の苦しみ忽ちに息(や)む。(定P1151)
「教主釈尊の御宝前」とあり、身延の草庵で釈迦像を奉安していたことが窺える。また、建治2年3月であれば曼荼羅も奉掲されていたことも考えられるし、法華経も安置されていたことであろう。
それら「曼荼羅」「法華経」「釈迦像」を総称して、「教主釈尊の御宝前」と呼称したものであろうか。 富士山・本門寺の久成釈迦仏。
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2018/05/03/000000
冒頭の画像は『日蓮正宗歴代法主全書』第1巻(日蓮正宗、昭和47年)43ページに載る『三時弘経次第』の部分です。
これを見ると日興は比叡山を「迹門寺」としてその本仏を「始成釈迦仏」としていますが、それに対して富士山を「本門寺」としてその本仏をきちんと「久成釈迦仏」と書いています。
本師を釈迦如来とする日興。
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2018/07/30/000000
日興は仏像本尊を認めている。
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/09/22/000000
日興の『原殿御返事』から引用してみましょう。
なお『原殿御返事』は創価学会版の通常の御書にはなぜか収録されておらず、編年体のものにだけ収録されています。
〜中略〜
簡単に概要を述べますと、
「日朗が日蓮の滅後に一体仏の像を安置したのを見て、波木井の原氏もまた釈迦像を造立しようとした。」
「日興はこれに対し、一体仏の造立は始成の釈迦仏ゆえに不可とし、四菩薩を伴った仏像の造立ができるまでは、日蓮御筆の紙幅の曼荼羅を以って仏像の代わりにしてもなんら問題はないとした。」
つまりここでの日興の思想は仏像本尊を否定していないことがわかるかと思います。
むしろそれが始成の仏でなく四菩薩の脇士を伴う久成仏なのであれば、それは曼荼羅の代わりとできるということが、ここでの日興の趣旨であると思います。 >>693
身延の日蓮宗の合掌礼拝が三業不相応であるという事実は変わらんぞ
結局そこらへんの問題に気づいたから
日蓮大聖人も釈迦像への礼拝を強く勧めなかったんだろ >>692
立花隆氏が言ってたけど、宗教指導者なんてのは誇大妄想狂だよw 仏像を安置することは本尊の図の如し。
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2018/04/22/000000
また日興の弟子たちも実質的に本門戒壇建立時に仏像を安置することを認めています。
例えば以下のような発言です。
「広宣流布せば本門の戒壇其れ豈立たざらんや、仏像を安置することは本尊の図の如し」
(三位日順『本門心底抄』富士宗学要集2-34ページ)
「仏像造立の事、本門寺建立の時なり、未だ勅裁無し、国主御帰依之時、三ケ大事一度に成就せしめ給うべき之由御本意なり、御本尊図は其れが為なり」
(日代『宰相阿闍梨御返事』日蓮宗宗学全書2-234ページ)
このように日興の弟子たちに本門戒壇建立時の本尊が仏像になることはきちんと伝えられています。
〜中略〜
加えて『富士一跡門徒存知事』で仏像本尊が否定されていますが、実はこれはよく読むと五老僧が「釈尊一体仏」や「普賢文殊」を脇士としたことに対する論駁であり、ちゃんと日興は同書の追加8箇条の中で「一尊四菩薩像」を本尊と認めています。
少し引用してみましょう。
「一、伊予阿闍梨の下総国真間の堂は一躰仏なり、而るに去る年月・日興が義を盗み取つて四脇士を副う彼の菩薩の像は宝冠形なり。
一、民部阿闍梨も同じく四脇士を造り副う、彼の菩薩像は比丘形にして納衣を著す、又近年以来諸神に詣ずる事を留むるの由聞くなり」
(『富士一跡門徒存知事』創価学会版御書1609ページ)
さらに『五人所破抄』にも以下のような記述があります。
「執する者尚強いて帰依を致さんと欲せば須らく四菩薩を加うべし敢て一仏を用ゆること勿れ云云」
(三位日順『五人所破抄』同1614ページ)
上述の引用から想像される日興の思想は決して仏像本尊否定論者ではありません。日興は釈尊一体仏や四菩薩を脇士としない権迹門の釈迦像を否定したのであって、実は日興にあっては「本門の釈尊像」は肯定されているのです。
三位日順が『本門心底抄』で「仏像を安置することは本尊の図の如し」と述べているように、曼荼羅は仏像本尊を本門戒壇に建立するまでの図であるということです。 >>696
唱法華題目抄・観心本尊抄・本尊問答抄を100回くらい読み直せw 日興の「本門寺」構想
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/11/30/000000
富士宗学要集に収められている日興の『三時弘経次第』では、日興自身の図が文章に置き換えられていますので、日興自身の真意がなかなか伝わりにくくなっているように思います。
そこで実際の形に近い図を挙げてみます。記事冒頭画像はその図形です。
この図から考えると、日興の思想がよく見えると思います。
日興は「久成の釈迦仏」を根本とし、その付属の弟子を「上行菩薩日蓮」と位置付けています。
南部実長の仏像造立に対する日興の書状。
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2018/07/14/000000
曼荼羅本尊と仏像本尊は同義
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/09/28/000000 ______
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/ U \:::::::\ / ノ ( \ 立候補もタヒ亡発表もしないのか?
| 法華講破門 彡:::::::::| / ゲーカ ⌒ \
ミ| |:::::::::| / |
ミ| _-=≡彡 ミ≡==- 、 |:;;;;;;;;/ / _ /_ |
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| ヽ__/ \__/ >∂/ (__) |(___ ) | |
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\ |  ̄ ̄U // / | (  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ) | /
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. !j/`ー‐′ ヽ_」 }:::l
. ト-'^ `ヽ __ノ::::l ♪両眼滝のぉキンマンコォォォ
V__丿 } , ‐ァー〈__
!‐' ノ / / / \
. `ー‐rr''´ / /
jハ/ / おまえみたいに釈迦像への礼拝に執着している身延の坊主どもは
釈迦仏像を黒く塗って
それが『観心本尊抄』に説かれる「無始の古仏」だと主張しているらしいがな
極めて薄っぺらい解釈でマジ笑えるわw >>702
うん、じゃあ聞くけど
「始成正覚の釈尊」の仏像と
「久遠実成の釈尊」の仏像は
具体的にどこが違うの?
色を黒く塗って古い感じにしたから
「久遠実成の釈尊」なの?w >>700
もっと前からそれを言うべき
何で今まで黙ってた?
正宗系連呼バカにこそ言うべきなのに >>697
針金君が身延をコケにして、正宗系のカルト儲にしか通用しない捏造教義解釈した所で
偽書根本の出鱈目教義の正宗が学術的に相手にされんと云ってるだろうw
しかも君の云う身延の教義とか信仰しとか知らんし、大乗仏教自体がオカルトとしか思ってないと前から云ってるけどね
学術的に信頼出来る説に依るだけだからw
当然、そこには偽書根本の正宗系カルト教義、門底解釈とか血脈とか微塵も含まれないからねwwwww
日有の教学思想の諸問題(5)
http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/paper4-5.html
日蓮本仏論が文献学的には(=学者の間では)支持者がいない、日蓮本仏論は仏教の歴史の中では異端と判断される(文鮮明を第二のイエスとする統一神霊協会がキリスト教とはみなされないように) >>706
いや、そこまで言わないと身延の坊主は黙らないのかな?w
答えは全部書かれてあるよね
唱法華題目抄・観心本尊抄・本尊問答抄あたりにw 正宗系連呼の荒らしはいい加減やめれ
創価を普通に批判したい人の邪魔にしかなってない
仏教であることすらやめている創価を利することにしかなってないし
まあ創価工作員なんだろうけどね >>707
学術的学術的うるせーなw
おまえの好きな身延の坊主が主導している学界の説が
宗祖の重要な御著作よりも上なのか?w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています