パーリ語仏典は、明治時代になってからやっと日本に伝来したので
江戸時代以前の日本の仏教僧で読んだ者はいないし
中国の天台妙楽らも読んでいない
もちろん日蓮も読んでいない
だから二乗不作仏!小乗!などと見下すことは不可能であり
ナンセンスでしかない
日本人および日本の僧侶は、長い間、ブッダの直説に近いパーリ経典から
遠く隔てられ、読むどころか触れることすらかなわず
無明の闇に閉ざされたまま、延々と妄想教義を展開してながら
ナムアミダブツ、ナンミョウホウレンゲッキョーなどとブツブツ世迷言のように唱えて
自分たちだけは「お釈迦様の教え」に帰依していると信じ込んでいて
探究すらままならぬ状態だったのである