>>854
これは、文献考証学問としての側面も持つ
日蓮仏法なんで、日付の管理は特に重要と思うんだけど、

肝腎要めの奥義の中心のそのまた真理、といっていいくらいの
立正安国論は、書き上げた日付がわからんのかいなw

その一方で幕府提出日は、1260文応元年(庚申)七月十六日(辰時)
を連呼してて、陰陽師気取りの太歳庚申までつけてて、
精密ぶってんですけど、モロに片手落ちな感が…。

そこで、また立正安国論奥書にもどると、
末尾のところが、、、ですよねー(・∀・)

文応元年…之を勘う、正嘉より之を始め文応元年に勘え畢る。

文永六年[太歳己巳]十二月八日之を写す。

※※※ちゃんと写本した日付けが書いてあるじゃん(・∀・)

なんで写本のほうには日付けが書いてあるのに、
むしろ大事なご本家の存在であるはずの文応元年版のほうは、
なんとなく、そのころに考えてました…。

みたいに曖昧な言い方で、日付表記を逃げなきゃいけないの?
「安国論」「文応元年」「正嘉」などキーワード入れ替えても、
安国論の原本が成立した日付は、検索ヒットしませんね。

どーしても正確な日付を書けない事情があるんでしょうか?
安国論の幕府提出は、一大イベントという位置づけなんじゃない?
その準備万端整えるために、長文の安国論を書き上げた日付は、
一生忘れられないぐらいの、記憶に残る日なんじゃないのかなあ…?