なんか教育委員会は、犯罪組織の日蓮教団のパシリで、
日蓮師匠の、完全にあたまがオカシイ変な屁理屈を、
無批判に容認して、さらにソンタクしてほめたたえてるわけで、
これって子供たちを、嘘デタラメな話で洗脳する
犯罪行為の手先を、教育機関のトップがつとめてることでしょ。

さっさと手をひけばいいのに、と思いつつ、
前ふり長すぎるけど、前回市川市の安国論よいしょ文章を
文句たらたらつけて、そのあとでまた気になってきたのが
最後の漢文の部分で、

奥書には「文応元年(1260)太歳庚申勘之 従正嘉始之文応元年勘畢」と記し、
…「文永六年(1269)太歳己巳十二月八日写之」と執筆の年次が明らかに…。
これは日蓮が正面から堂々と幕府を諫めたものなので…。

〇太歳庚申勘之 /1260年に考えた。
〇従正嘉始之文応元年勘畢 /1258年に考え始めて、1260年に考え終わる。
〇写之 /1269年にこれを写本した。

考えた、考え始めて、考え終わる…。

文応元年の立正安国論は書いたのか? 考えただけなら下書きレベルか?
清書したという記述も御書にはまったくなくて、これもナゾ。
奥書にあるのはこれだけで、預けたはずの宿屋入道の名前も
上奏したはずの最明寺殿の名前もここには書かれていない。

よく考えたら、文応元年に提出した記述はいっぱいあるんだけど、
何年何月何日に、オリジナル元原稿の安国論が
清書して書き上がったのか? という記述がどこにも
ないことにも気づく…。

安国論原本が清書された日付は? というまた新たな疑惑が…。