日蓮ってver.46
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前スレ日蓮ってver.45
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「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題はほどほどにして下さい。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。 釈迦や日蓮も理論的な解答はちゃんと持ってるはずなんだけど
そう易々と教えてはくれないと 仏は人類を生じさせるが、仏と人類はお互い分離したものではない、
仏と人類は同じもの。
仏が自分を分化させて、人類や宇宙を創造したというのがより正確。
しかし人類は、輪廻転生を繰り返すと自分が仏であったことを肉体に繰り返し馴染むことにより忘れてしまう。
人類は、借り物の肉体に同化して、自分は人間という個人だと思い込む。
人間や個人の原則とは、分離や競争。
なぜなら、そうしないと肉体は地上では生き残れないから。
この、人間という肉体同一現象のサガである分離や競争を宗教に当てはめたのが日蓮の釈迦解釈。
釈迦の教えを分離や競争に当てはめて、真理を導き出そうとしたのが日蓮の五重の相対。
でも、悟りって五重の相対のような優劣区分と正反対なんだよね。
悟りってのは、あらゆるものに包括性を見出だすこと。
あらゆるものに共通の自分と同じ命を見ること。
つまり、あらゆるものは仏の分化であって自分もそうだし、自分でないものはなにもなく、仏でないものはなにもない。
ただ、お互い異なるという、多様性の演技をしていただけ。
宇宙とは、永遠に続く仏の自作自演。
仏が個人などのあらゆる物の振りをし、そして個人が自分が仏でであることを忘れた振りをし、その個人が自分が仏であることを忘れた振りが長引くと、振りではなく本当に自分は人間という個人だと勘違いする。
この自己忘却の結果が生きる苦しみ。
そして生きる苦しみから生じる真理探求が、自分が仏であることを思い出すための呼び声。つまり悟りへの希求。
この悟りへの希求の過程で、個人という肉体への束縛が強い人は、自分やあらゆるものは仏であることに思い至らず、仏を思い出すにも、宗教に地上の優劣や正義といった個人競争特有の観念を誤って投影してしまう。 >>631
釈迦は当然だが、日蓮に理論的な解答の持ち合せなど無い。日蓮だけは有りようがなく、あるはずも無い。 >>616
>>選ばれし者しか読み解け無い世界でもあるしな。
で、その読み解いた人しか救われないとでも言うのか?選民思想丸出しの差別主義者よ。
「選ばれし者しか読み解け無い」と言いながら、万人が菩薩であり、万人が成仏できる教えだとか言う、全くの自己矛盾。
法華経では、人々が愚かだったから小乗を説いて来たなどと言うが、では今法華経を説くのは人々のレベルが上がったと判断してのことだろう?違うのか?
しかし、選ばれし者しか読み解けないなどと言い張るエリート意識丸出しのバラモン並みの俗物野郎。全く支離滅裂。
法華経も、それをひねくり回して美化しようとする輩も、支離滅裂。 日蓮や創価は、宗教に地上の人間生活における肉体間の競争心原理を誤って取り入れてしまった事例。
だから、釈迦の教えに唯一や絶対という金科玉条を追い求め、南無妙法蓮華経や本尊に真理を還元した。
いわゆる偶像崇拝。
悟りとは、このような還元志向や特定の物への崇拝からの解放。
悟りとは、人間とか肉体とか地上への執着からの解放。
仏から分化した人間は、人間という個人として冒険を試み、地球上において肉体とし輪廻転生を繰り返す。
輪廻転生の繰り返しは、自分の仏としての本性を忘れさせ、生きる苦しみを味わうようになる。
悟りとは、苦しみの終焉。
悟りとは、故郷への帰還。
悟りとは、自分自身に戻ること。
宗教を求める私たちが現在行っているのは、悟りを求めるもがき苦しみや足掻きの過程。
仏から分化したものは、必ず再び仏と合一する。
仏から分離したままというのはあり得ない。
神は迷った子羊を一匹残らず回収する。
羊が神を優劣付けするという誤りは、羊の元々の自分が神仏であった記憶を歪めててしまう。
羊は元々神仏であった。
自分は羊でなく神仏であったことを思い出すためには、あらゆるものに平等を見ること。
キリストが説いた赦しとは、相手を上から目線で許すことではなく、自分と他者との間に築いた優劣や差違や不平等の誤りの壁を取り除く意思のことである。 >>626
修正
×レスターヒックス→○ジョンヒック 山崎弁栄『人生の帰趣』より。
如来は一切万物を産出する御親にしてまた一切衆生の最終の帰趣する処である。如来より生産せられたる万物は尽くその子でありて如来の本国に帰着せざれば竟に三界六道に迷沒流転する許りである。
一切衆生と共にこの世界の一切国土も如来より発生せられし物にてあれば竟には如来の本源に帰着すべきである。
この光明は我等衆生の心霊を復活し霊に活かす処のミオヤの霊力にて恰も太陽の光に依って我等が肉体の生命の活かさるる如く光明とは衆生の信仰に対するミオヤの恩寵にて一大霊力とも不可思議功徳とも名づけらる。
山崎弁栄は、阿弥陀如来は創造主であり万物は阿弥陀如来により創造されたと言っている。
そして阿弥陀如来(創造主)と合一することが大事だと。
光明とは阿弥陀如来(創造主)の一大霊力です。 ラーマ・クリシュナの「普遍宗教」との考えは、スワミ・ヴィヴェカーナンダの講演集である『普遍宗教への階梯』に詳しいですね。
ラーマ・クリシュナの晩年の言葉を記録した『不滅の言葉 コタムリト』にもラーマ・クリシュナの「ブラフマンもヤハウェもアッラーもブッダも同じ神で、宗派ごとに呼び名が違うだけ」だと言葉があります。
ラーマ・クリシュナも神との合一を説いています。
神だけが真実在で、この世はマーヤーであり、識別と離欲が大事だとも言っています。 >>638
東洋哲学(広義)に造詣の深い方とお見受けします。
ラーマ・クリシュナに関しての
バグワン・シュリ・ラジニーシ(正式な名前はOsho)の見解をどう読みます
ラーマ・クリシュナの思想の素晴らしさは否定出来ない。
しかし、Osho(ラジニーシ)は人々の心を救うには、人々の生活の中に入り込まねばならず
さすれば、人々は恐れる。
その「相手が恐れる」事を強く自覚する勇気の必要性を説いていますが
ラーマ・クリシュナには、創価学会で言う広宣流布のリスク
つまり下手な修辞や言語論理を迂闊に使う事の危険性について何か言質文言はありますか?
私は東洋哲学・仏教・西洋哲学などを精査する形で語る
Osho(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の理論武装というか理念に共感しますが
Oshoが一番強調しているのは、上から教えてもらうという哲学的宗教的信条というものは
人々を救わないという事です。
Oshoは禅や維摩経や実存主義哲学について熱心に語っています。
それは一方通行の教えでは無く、双方向通信としての思惟だからだと語っていますが
どうですか?
OshoはジョンレノンやJFKと同じ様に合衆国から危険人物視されて
さまざまな国策捜査で国外追放となりましたが
Oshoのあまりに大きな平和主義にアメリカ資本主義経済原理に悪影響を与えると
合衆国政府から睨まれました。
ここまで出来る思想家は、もはや本物だと思えませんか? それからクリシュナムルティに関しても
本質的には原始仏教の教理哲学と同じ事を主張していますが。
もちろん、それだけでも思想家としては素晴らしいのですが
クリシュナムルティもスタティックな(静的な)態度を貫いていますよね?
もし、何らかのお考えがあれば聞かせて頂きとうございます。 空海どころか栄西の足元にもお呼ばない 日蓮の頭脳
日本から1度も出たことがない 日蓮
wwwwwww 梵語は全く読めず、漢文さえ覚束ないくせに「一代聖教内典外典にわたって残りなく見定め」とか日蓮のホラには呆れるほかない。 サンスクリット語のアプリを試したけど覚えるの大変だったわ(笑) ちょっとこれを見てくれw 仏教愛好家の人達よ
https://youtube.com/watch?v=3QTA4gPztSY
これはSOKA net が配信しているyoutube動画の一つのだが
コンセプトは仏教用語を学会員に教育する為の役二分程度の動画だが
ここでは「縁起」について解説している
皆さん、これを見てどうお感じですか?
仏教を勉強してる人なら怒りますよね?
仏教の根本哲学は無常・無我・空・縁起だけです
その縁起を、こんな風に解釈しているとは SOKAnetの教学用語検索では
説一切有部の記載あり、また説一切有部を批判もしていない。
六祖慧能の記載あり、また禅宗を批判もしていない。
ただ四箇の格言には禅天魔の記載あり。
広い目で仏教を見られるようになった創価学会は評価するが
昭和時代からのバリ活学会員に、これらを公布出来るのだろうか?
是非とも頑張って欲しい。
しかしあの動画の縁起と
教学用語検索の縁起には乖離と言うか飛躍があるな 諸法実相の思想
下地獄より上仏界までの十界の依正の当体、悉く一法も残さず妙法蓮華経の姿なり
この感覚が好き >>646
あなた臨済宗の方ですね?
室内の天機を漏らすと仏罰が当たるので何も言いませんが
仏罰と言っても禅宗の仏罰はただ眉毛が薄くなるだけなんですけど
禅宗は優しさと厳しさが一つになっていますねw 646と647の組合わせは面白すぎるwww
マジレスか、諧謔か、よく分からんが、後者ならスチールカン氏並みのセンス。 やっとのことで創価カルトを脱会したのに
すぐに正宗カルトにのめり込み抜けられず
やっと正宗カルトを脱講できたのに
まだ日蓮カルト教義の洗脳からは逃れられず
もう人生もすでに晩年となり
日蓮、正宗、創価、全てがブッダの仏教へ向かわせまいとする「妨げ」「障壁」だったということに、いつ気づくのか
いまだに、「日蓮は法華経の巻物に何と唱えていたのか」などという
日蓮カルト教義内で妄想し続けていて
ついに死ぬまで
ブッダが実践していたヨーガや瞑想法の探求には着手できない
まだ心のどこかで、ブッダは仮の仏
日蓮が本仏という妄想に呪縛されている
創価を脱会しても、正宗を脱講しても
日蓮妄想カルト教義内に呪縛され閉じ込められている爺は
そのまま堕地獄するしか道はないのである 創価が他宗派を受け入れるとかどこに書いてんの???
相変わらず排他的ですよ 仏陀は六道輪廻の教えなのに
菩薩とか仏界とか
最初に言い出したのは誰なのかしら?
わたしのメモリアル >>649
私が日蓮教からの束縛から逃れるきっかけになったのは、『前世を記憶する子供たち』を読んで、「あれ?。無間地獄って無いの?」と思ったことです。
そして、臨死体験についての本を読み、「地獄なんてない」と思い、日蓮教特有の堕地獄の脅迫観念から自由になりました。
堕地獄の脅迫観念から自由になれば、今まで読めなかった初期仏教の本やキリスト教・ヒンドゥー教の本、また精神世界の本なども自由に読むことができ、今では日蓮教の脅迫観念・教義の束縛から解放されています。 堕地獄の恐怖心で精神の強固な囲いを作り上げ
信者を精神牢獄に閉じ込めて洗脳を繰り返す
日蓮カルト教義以外の文書には極悪謗法のレッテルを貼り付け、読ませない、触れさせない、近づけない、のが日蓮および日蓮系カルト教団の手口である マインドコントロール兵器の危険性
人の行動を完全に操れるマインドコントロール兵器を
起動していると今までの歴史
そしてこれからおこる全ての歴史に疑いがかかる
なぜなら安倍首相 プーチン大統領 トランプ大統領 習近平国家主席
韓国の大統領 北の大統領 すべてを操れてしまうわけである
試運転でも画策しているとみなされ各国の政府が黙ってはいない
戦争の引きがねとなる これからの世界は衛星の把握
テクノロジーの発展で必ず起動しているものは察知される
このようなマインドコントロール兵器をおこなっている機関
または関与している機関は即刻即刻やめるべきである
AIが人を操るようなことはあってはならない
AI兵器全面禁止 AI兵器全面禁止は池田大作名誉会長様の御威光
拡散希望 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f70dfdc711a7c6ae6accccb939f27fbf) 戸田会長時代から言ってたことが正反対になっても信者は排他的なのは変わりない
信者増やせれば何でもいいんだろ >>644 >>645は最高の燃料投下なのに
SOKANetに言及する人はいないな
このスレも学会員しかいないの? HPとか会則とか公的な文書では創価の本質は分からんよ。当たり障りのないことしか載せない。
悪質なプロパガンダは組織内の口コミで広めるのが昔からの創価の手口。 >>644
笑ったというか、初心者向けにはこのように説明するしかないかなという感じ。
一般的な縁起の理解の基本は、原因と結果という連関づけだと思います。
ただ、一般の仏教学者はどういうか分かりませんが、私はこの世を現出せしめるているように見える原因と結果の結びつけの表現である縁起さえ存在しないという立場。
この世は関係性です。
どういった関係性かというと、あらゆる事物のエネルギーの交差かもしれないし、人間の感情の交換かもしれないし、お金のやり取りかもしれない、低気圧と高気圧など自然現象の交じり合いかもしれない。
これらは全て、一見原因と結果により生じているように見える。
でも、原因と結果なんてものは人間の意味付けであって、それはいかようにも解釈が可能。
風が吹けば桶屋が儲かるなんてのも縁起に当てはまるが、人間が原因と結果に勝手に利益の観点から意味を与えて一喜一憂しているだけ。
この世は縁起もなく、関係性もなく、あらゆるものはあるがままの空。
人間は生活において、様々な関係性を築きます。
人間はその関係性に人間視点において意味を与える。
先輩後輩、上下、南北、悲しい嬉しい、激しい穏やか。
人間が関係性を勝手に見出だして、関係性に勝手に意味を与えている。
これは廣松渉が事的世界観と呼んでいる状態。
基本は、あらゆるものは無意味。
縁起とは元から普遍的に存在する法則ではない。
人間は、無意味な空的世界に勝手に関係性を作り出し、その関係性に人間が勝手に原因と結果という連関を主観的に見出だす。
この、人間が空に主観的に事象を見出だし、この主観事象を現実と勝手に決めつけ、更に勝手に原因と結果を主観的に見出だす。
これが縁起と呼ばれるもの。
創価は縁起を感謝と表現しますがナンセンス。
あらゆるものは、縁起に関わらずあるがままに生じているだけ。
そのあるがままに原因と結果を見出だすのは人間の勝手で、そこに感謝を見出だすのは人間の勝手。
これは主観や倫理であって、普遍化されるような法則ではない。
あらゆるものは無価値。
それが空性。
それに感謝しろというのは価値を創造する創価らしいが、偉そうに宣伝する南無妙法蓮華経とか宇宙の法則とかではなく単なるイデオロギー。 >>645
学会員で慧能を知ってる人は1000人に一人くらいではないでしょうか。
学会員にとっては慧能がどのような人物かというよりも、学会員にとっては創価学会が取り上げるなら実際の人物は全く知らなくともきっと素晴らしい人だということになると思います。
最近は色々ありますね。
ヨーロッパの東哲研究員の松戸行雄さんは著作で、チャクラやクンダリーニや臨死体験やスピリチュアルなどを学問として認めて許容しています。
そして、日蓮教学の正しさを証明する為の教養としてチャクラやクンダリーニや臨死体験やスピリチュアルを活用しています。
これは、ほんの10年前には考えられなかったことです。
チャクラやクンダリーニといったらオウム真理教の主要教義だし、スピリチュアルは第三文明が批判キャンペーンを行っていました。
創価学会員なら、本来はチャクラやクンダリーニやスピリチュアルは邪教として攻撃しなければいけない立場です、
しかし、松戸行雄氏のAmazonレビューを読むと学会員らしき読者が大絶賛しています。
霊能者の江原たかゆきを絶賛しているのとほとんど変わらないのにね。
時代は変わるというか、随方毘尼というか、厚顔無恥というか、今まで批判していたコンテンツを自分達の素晴らしさをアピールするために急に採用し始める。
これは会員が無知だからなせる技です。
会員が学問に少しでも関心があるならば、今まで批判していた学術分野を急に絶賛し始める事は白々しさを感じて恥じるはずです。
学会員は法華経でさえ読まない人たちだからこそ出来る離れ技。
一部の創価学会ライター(松岡幹夫など)は、日蓮を排他主義ではなく包括主義だったとアクロバット解釈を始めています。
近い将来、創価学会が大日如来や阿弥陀信仰を許容しても全く驚きません。
実際に松岡は、「日蓮は大日如来や阿弥陀仏を決して否定していたわけではない」と、これまでの創価の解釈を裏返す内容を著作でアピールし始めています。 随方毘尼といえば
月水御書で日蓮と弟子で意見の食い違いがみられますなー >>635
>>羊は元々神仏であった。
羊(人間)が元々神仏であったかはわからない。
人間も弱肉強食の中で生き残ってきたものである。全自動殺戮システムで、毎年何億と言う「経済動物」を屠殺解体し、弱い動物を日々食して生きている。
温暖化で多くの生物を絶滅させている。プラスチック汚染も、放射能汚染も同じ。
国家主義、民族主義が叫ばれ、宗教対立も至るところで起きて、世界中で戦争の途絶えることはない。
キリスト教では、「神は自らに似せて人間を作った」と説かれるが、現実はむしろ「悪魔が自らに似せて人間を作った」かのようでもある。
地球史、動物史、人類史の無数の縁起の中でこの様な状態になっているのである。あらかじめ決まっているわけではない。
このような状態を少しでも変えていけるのも人間の能力であろう。
そのためには、先ずは、欲望を全面開花し欲望を原理とする資本主義、ひいては帝国主義、民族主義、国家主義を克服していかなくてはならない。
これらを克服して行く過程が、人間を全的なものへ変革していく過程でもある。
従業員を過労死させてでも儲けるような人間を抜擢して国会議員にさせるような自民党の軍国主義全面開花のような連中と連立を組んでいる創価公明など、どう美辞麗句をもてあそび、装っても、しょせん悪魔の仲間。
もろもろの俗物宗教も同じ。 >>660
相も変わらず蒙昧主義炸裂だな。廣松渉が泣いているよ。
他の人たちにも見透かされている恥ずかしいシッタカを少し自制する気になれんか。 国際主義と混合経済を求めない宗教など、弱肉強食の野獣の教えである。
「万国の労働者団結せよ!」は、
良い教えである。帝国主義者どもの資源・市場・領土略奪戦争には、自国内で、断固反対するのは、当然。
それを利用して特権を得ようとするもの(スターリニスト官僚とか)は、古い体制の残存物でしかないが、それを説得させたり改心させたり、打倒したりするのも、人民の力。
それくらい言わなくては、神仏の末裔面はできないだろう。 >>663
仏教をどのように捉えていますか?
人間をさも絶対的な主体として扱うと、それはイデオロギーに陥ると思います。
人間はこうすべき、ああすべき、善をしなければいけない、悪をしてはいけない。
創価学会の人間主義も同様です。
人間は悪で、人間は振る舞いを改善しなければいけない。
三悪道から仏界を目指さなければならない。
こう考えるのは結構ですが、これは新たなる様々なイデオロギーを生みます。
そしてその様々なイデオロギーがお互い摩擦を生じさせます。
創価なら、教えの優劣の創作と、優劣間の絶えざる争い。
仏教ってのは、本来こういった教えの優劣を乗り越えるはずの物です。
それは、仏教があらゆるものの無価値性の発見をしたり、無常という物のはかなさを見出だした点。
そして、無や無常の根底にあるにあるのは、仏や空といった無限の可能性を発生させる大海のような源。
あらゆるものや人間は、大海から生じる泡みたいなもんです。
仏は大海のようなもので、その大海から大海と同じ性質を持った泡が生じる。
泡が自分が大海(仏)であることを忘れると、他の泡と分離した個と自分を見なします。
本来は仏でありながら、この自分を個人と勘違いしたのが人間です。
だから人間は争う。
自分は泡のような儚いものだから、他を蹴落とさないと他の泡から消されて生きていけないと思っている。
だから人間は争いをやめられずに醜くくなる。勝負をやめられない創価学会員も同様。
でも本当は人間は仏。自分が本当は泡ではなく、大海であることを思い出しさえすればいい。
その為には、泡という幻想を見抜くこと。泡を破ること。
でも、人間は勇気がなくてそれが出来ない。
人間は、自分が無くなるのが怖くて、泡をとにかく大きくしようとする。
この泡を大きくする試みが利益願望や征服願望や巨大化願望や名誉願望です。
創価学会とそっくりですね。
人間の本性は個人ではありません。
人間が自分の仏の本性を思い出す鍵は、創価学会が邪教と呼んで排除してきた仏教の教えの中にゴロゴロ転がっています。 >>664
じゃあ、あなたの縁起観や廣松渉の解釈を教えて。 宇宙人のような精神レベルに達することか
宇宙の神と真理を元に科学を扱っていくこと >>666
>>仏教をどのように捉えていますか?
人間をさも絶対的な主体として扱うと、それはイデオロギーに陥ると思います。
私は少しも人間を絶対的な主体として扱っていませんが。
そう見なすのはあなたの間違った偏見ですね。
むしろ貴方の方が人間を絶対的な主体として扱っているのではないですか。
>>泡が自分が大海(仏)であることを忘れると、他の泡と分離した個と自分を見なします。
>>本来は仏でありながら、この自分を個人と勘違いしたのが人間です。
などと、もともと人間を仏であるかのように絶対的な存在としているわけです。それを認めない人を、優劣で判断しているのは貴方でしょう。
>>でも本当は人間は仏。自分が本当は泡ではなく、大海であることを思い出しさえすればいい。
そういうことを言う人はいくらでもいますが、そういう行いをしている人は見たことがありません。
>>人間は、自分が無くなるのが怖くて、泡をとにかく大きくしようとする。
>>この泡を大きくする試みが利益願望や征服願望や巨大化願望や名誉願望です。
何もできないと自認しているなら、そのような思想に何の価値があるのか疑問ですね。実践的に何も方針が出ない。
>>創価学会とそっくりですね。
全然違いますね。私は自然の発展の中から生まれてきた人間と言う考え。自然主義。
どう考えるかは個人の自由でとやかく言うつもりは有りませんが、あなたの考えは、「生命の大海」と言うような宇宙の根源を認める梵思想のひとつであり、バラモンの教えでしょう。それを高等なものと錯覚している。
梵を認めると、梵と一体になることを尊いと思い込み、クンダリーニを上げるだ、チャクラをひらくだと言った議論となり、それを成し遂げたと言う麻原彰晃のような人間が現れる。大我妄執は仏教では無いでしょう。 >>662さん
創価学会公式サイトを覗いてみました。
〔随方毘尼〕
仏法の根本の法理に違わないかぎり、各国・各地域の風俗や習慣、時代ごとの風習を尊重し、
随うべきであるとした教え。随方随時毘尼ともいう。
毘尼はサンスクリットのヴィナヤの音写で、律(教団の規範・規則)の意。
仏法では、正法という根本基準を立てた上で、成仏・不成仏という仏法の根本原理
に関する事柄でなければ、世間一般の風俗・規範を尊重し用いていく。
〔折伏〕
相手の邪義・邪法を破折して正法に伏させる化導法のこと。
仏法弘通に用いられる化導法の一つ。
結局はどっちなんでしょうね? >>667
縁起とは生起する現象にはそれ以前の契機という原因があるということだ。諸々の現象は個々の事物のでたらめな寄せ集めなのではない。
廣松は事物の本性は関係性としての現象なのであって実在論的な実体ではないと明らかにした。
あんたが言うように 「人間が関係性を勝手に見出だして、関係性に勝手に意味を与えている。これは廣松渉が事的世界観と呼んでいる状態。」などは的はずれも甚だしい。
あんたの言い分は単なる古色蒼然とした蒙昧主義的不可知論にすぎない。
自覚的唯物論者にして生粋の弁証法論者の廣松渉とはまさに対極をなすものだ。 >>666
マルクスがドイツ・イデオロギーの冒頭で例にあげた「重力の幻想と戦って否定すれば水におぼれなくなると主張する単純な男」そっくりだ。 『前世を記憶する子供たち 』『前世を記憶する子供2』
『リターン・トゥ・ライフ 前世を記憶する子供たちの驚くべき事例』
を読むと人の生まれ変わりは有ると信じられる。
魂が転生している。
この魂の転生に悪因悪果/善因善果などに束縛されることない。
今、起きていることを有りの侭に見つめ、有りの侭に受け入れ、どのように判断し、どのような行動をしたかが大事になる。 【ギャグ係の学歴詐称の歴史】
・卒業したとやら大学名を依然として不明にしたまま創価大学の偏差値を罵る。
・しかし、余りにもギャグ係の知性がそれにそぐわないため、複数から叩かれる。
・かなり重度の統合失調症のギャグ係は平然と嘘を貫き通す。
・更に嘘を嘘で塗り固めるために「大学進学率百パーの高校を卒業した」とありもしない妄想を書き込み、
しばらく年月が経ってからそれはカルトの捏造だと言い張ってしまう(老人性痴呆症+作り話と判明)
・都立西高の虚偽のデータを提示して更には自らの虚偽の高校時代の自慢話をして致命的なボロを出してしまう。
・自分は小五からヤンキーながら県内一の高校を卒業して同級生は全員大学に進学して専門学校進学はゼロと果てしない嘘を吐く。
・更には浦和高校の大学進学実績を載せただけのHPを持ち出し、専門学校進学はゼロとまで言い出し、知能に障害が有ることも自ら暴露。
・それらの統合失調症の嘘や妄想の羅列により、ギャグ係は高校生活すら送って居ない事が判明。
・ギャグ係自らの失言により、長年続いた学歴詐称は「クロ」と言うことで決着はついた。
(最終学歴はまだ不明)
・他にも年齢を40近く詐称、職歴詐称、宗教詐称(実は創価学会員)
・安酒、煙草、更には各種薬物の影響が有るとしか思えないほど精神や知性は破綻している。
・重度の統合失調症のギャグ係は今後も嘘を貫き通し、必ず地獄へ辿り着くだろう。 孔子は日常の理を説く
釈迦仏は宇宙の真理を説く
キリストは神を語る 仏教てえのは現れては消え、また現れては消えるという現象の中に縁起と空性を観察する事だと
原始仏教時代から言われてるけど、その仏教の存在自体が同じ様に
現れては消え、また現れては消える。
だから仏教が組織化、団体化すると、本来感じないはずの抑圧や苦しみの種を蒔くんじゃ無いかな?
一生懸命やってるつもりなのに苦しいよ、って人が出てくるだろう。
「功徳の為に」とか「信心が足りない」なんて言葉が自分の生活圏に充満したら
人間の自由意志は感情の充填を伴った原理主義と全体主義に抑圧されてしまうよ。
その論証でき得ぬナンチャッテ原理主義の言葉は人の心を殺す狂気。
自分の居場所を探すには、やりたい事を探す、以上に
やりたく無い事を、探すのも重要なんだよ。 間違い
ナンチャッテ原理主義の言葉は人の心を殺す狂
訂正
ナンチャッテ原理主義の言葉は人の心を殺す凶器 今までにね、本部職員でその事への気づきを持った人はいたんだよ。私の知り合いにね。
真剣に仏教を学び始めていた。しかし組織内では我見だの信心不足などと恫喝され
更に抗弁したと聖教新聞社の閑職へ左遷され自殺した人達を知っている。(急性心不全)
奥さんも子供もいた。彼の自殺念慮も分かる。ただ家族を残して死を決断するのは承服出来無い。
自殺が彼のアイデンティティの告白だとしても、彼には気づいて欲しかった。
人間は誰しも、綴った直後に
人生を上書き出来る存在なのだ。
何ものにもとらわれず、選択の失敗さえも自分の愛おしい人生なのだと
自分の中にいる仏に出会って欲しかった。 >>679
創価学会信者として自ら命を絶つっていうのは、
因も縁も果も一貫に等しい結末だったのではなかったのかね。
貴方のようにアンチと交流を持つ縁があったとしても、根っから弱い人間にはそれなりの仏にしか会わないでしょうに。
死んでしまった人間よりも、オマエの方が心配だわ。
>>674
またその話か。
このスレで話す事じゃないでしょう。
日蓮の話や法華経の話からの生まれ変わりだとか転生だとかを肯定すればいいだけよ。
>>676
御冗談だとは思いますが、
釈迦仏は宇宙の真理を説いたの?
そんなら太陽を中心とし地球がその周りを回っていること位は知ってたってことだよね。
「諸法の実相を仏は知っていた!」という法華経での話を、後々の頭の良い振りした坊主等が勝ってに解釈したものでしょう。 日蓮が、読みたがった書物があったそうで此を彼は手にしたものか?御存知の方は居ますか?
院政紀、真言宗の名僧 覚鑁著作 五輪九字秘釈
日蓮よりすこし前の人です。
日蓮は、読むべき資料が不足した時代に出て気の毒、と言う見方をわたくしはします。
現代からすると研究対比すべき文献が余りに貧弱です。
お暇な方のお応えお待ちします。 日蓮像にこんなイメージが湧くんだが・・
信者たちは命にかえてもおれや法華経を信じろ
ただしそれで命おとすことがあってもおれは責任とらんけどなってとこあるよな
性悪な性格を受け継ぎそうだ >>681
日蓮は「内典外典にわたり残りなく見定め」たと本人が自己申告しているし、
日蓮業者や日蓮信者もそれを真に受けて崇拝してるんだから、
部外者が日蓮の虚言癖や無教養を批判するならまだしも、日蓮の教材不足を勝手に斟酌して同情する必要はないのでは? 他宗の教えを知りたいのは、自分の教えに自信がなかった証拠。
しかも「真言亡国」と侮辱していた相手の本とは。 >>682
要はそれに尽きるのでは?
他の薬は実際は全く効果がありませんが、本品だけは万病に特効があります。しかしそれを保証するものではありません。店主敬白。 >貴方のようにアンチと交流を持つ縁があったとしても、根っから弱い人間にはそれなりの仏にしか会わないでしょうに。
じゃあ人間の中にある仏性の中にある仏性という事で。
人間が何度も上書き出来るのと同じ様に、仏性も何度も上書きされると考えたら?
ミシェル・フーコーはポスト構造主義の哲学者だけど
自身の哲学を繰り返し否定し何度も上書きして、彼自身の哲学は完成されてる。
ゴータマの面白いエピソード。マハーパリニッバーナで異教の人達から死の直前
苦を滅する為に出家したと聞くが、、、、
これにゴータマは答える
苦を滅する為じゃ無い。楽を得たかったのだ。
と語った。
一箇所にとどまる考え方は、どうも仏教では無いらしい。 桃水は他宗派の人から折伏された。桃水は嫌な顔もせず話をただ喜んで聞いていた。
なんと桃水は如来像のお画像をいただいてしまった。
桃水はお画像を壁に掛け、消し炭でお画像に書き込んだ。
狭くとも宿を貸すぞよ阿弥陀どの、後生たのむと思ひたまふな
見事な上書き。
桃水は阿弥陀如来に、狭くて汚い庵に「宿を貸す」と、、、
仏のその先、仏の更に奥に存在する仏を
桃水は見ていた。
一無位の、、、、境涯 >>680
日蓮の転生話・因果話は間違っているということです。
法華経を誹謗しても地獄に堕ちません。
日蓮を謗っても罰は当たりません。
善因善果・悪因悪果など有りません。
日蓮の教示は、私は間違っているということを書いたのです。
その旨を書かなかったのは私の誤りです。 >>684 カクバン上人なかりせば、現在の真言宗勢力は、十分の一と言う専門学者の
人も居ます。大師空海に匹敵する程の極めて優秀な僧侶の文献を日蓮は探し求めました。
多分入手できず仕舞いでしょう。
阿弥陀と大日の接点を説いた書物で阿弥陀は大日の一分なりです。 『興教大師覚鍍の一期大要秘密集について』 松崎恵水
密厳浄土は大日の宮位であつて極楽の総体であり、極楽は弥陀の心地であつて密厳の別徳であるとし、弥陀は大日の智用であり、
大日は弥陀の理体であると説き、真言行者の観念坐禅の房がそのまま極楽であつて、このように観ずる時娑婆を起たずして忽ちに極楽に生じ、我が身弥陀に入り弥陀を替えずして即ち大日と成ると論じ、
現世主義的浄土観と曼茶羅的弥陀観を宣明されている。 >>690
このように興教大師は、日蓮の弥陀は釈迦の分身説とは違う立場。 マインドコントロール兵器の危険性
人の行動を完全に操れるマインドコントロール兵器を
起動していると今までの歴史
そしてこれからおこる全ての歴史に疑いがかかる
なぜなら安倍首相 プーチン大統領 トランプ大統領 習近平国家主席
韓国の大統領 北の大統領 すべてを操れてしまうわけである
試運転でも画策しているとみなされ各国の政府が黙ってはいない
戦争の引きがねとなる これからの世界は衛星の把握
テクノロジーの発展で必ず起動しているものは察知される
このようなマインドコントロール兵器をおこなっている機関
または関与している機関は即刻即刻やめるべきである
AIが人を操るようなことはあってはならない
AI兵器全面禁止 AI兵器全面禁止は池田大作名誉会長様の御威光
拡散希望 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f70dfdc711a7c6ae6accccb939f27fbf) 宮坂宥勝の『興教大師の浄土観』も大日の弥陀の関係を知る助けとなる。 日蓮教徒の場合、日蓮の欠陥や悪質性から目をそらすためなら話題は何でもいいという姿勢だけは鮮明だね。 日蓮氏は、曼荼羅を書き頒布したのだが、梵字は誤字でしたね。
覚鑁さんの書物を見りゃ違っただろうと思います。 普通、知らなきゃ製造販売しないと思うのだが、信者を見てバレる気づかいはないと思ったんだろうな。
真偽はどうあれ、バレなければ無問題という体質は後の日蓮業者全般に等しく通じるものがある。 こんなの見てるわ…。
【5金スペシャル・Part1】矢作直樹氏:霊魂と肉体:
あの世とこの世を分かつもの
https://www.youtube.com/watch?v=Wnidhk337AA
東大病院ER救急ドクター部長の矢作医師が、
あの世について語り出すという、
肩書もなんだかスゴイんだけど、
矢作医師って、話がもろにヒーラーやん。
ヒーラーって、ホントに存在すんのかね?
ゲストの宮台真司は、お墓参りに行くと、
見えない?声が聞こえるとか、完全に霊感体質を
カミングアウトしてて、おもしろいですね…。
それで不思議体験に興味を持って、
あれこれ本を読んでると、やっぱりユングに行き着くそうで、
不思議体験は、不思議現象の存在を証明するものではない。
という記述を見つけたそうですが、でもこれは逆に
科学的な体験も、科学的事実を証明するものではない、
みたいなことを言ってて、
いろんな主張はじつは、本人の定義にすぎないのに、
それが世界の真実であると思い込んでしまうという、
そんなことをビミョーに示唆していて、
なかなか冴えてる感じがしますが…。 >>697
宮台真司も法華経の本出してるよな
以前M2(宮台真司と宮崎哲弥)でも語っていたけど
宮台教授が法華経を本格的に研究し出したのは、誰も法華経を読めてないからだ!
という理由らしいが、この宮台と宮哲の二人は凄くリベラルで
宮崎哲弥自身バックボーンは「左翼冒険主義」だと語る。
だから、この二人の結論は
他人に仏教を語る時は、例えば
「法華経の解釈」も「死後の世界」についても
あなたが、そう思っている、という形以外での形として存在はするよ!
と言ってあげるのが上位概念の包摂として、社会の中で大きな機能を発揮するという
考え方で、宮台真司も宮崎哲弥も仏教を相当読み込んだ上で語っているな。
ただ二人が偶然にも好きな本は
日本聖書協会から出ている、文語訳聖書だそうだ。
今まで読んだ本の中でメタファーとしての言葉の力が強いから好きなのだと。
宮崎哲弥と宮台真司の法華経の読み込みも
シニフィエでは無くシニフィアンを重視して読んでるみたいだ。
何れにしても二人はエピキュリアンでディレッタントでエクリヴァンだと告白する。
もしかしたら、それが仏教に対する正しい接し方かもな。 >>684
足りないところがあると自覚すれば他から教えを乞い求めるのは正しいことだ。
現に最澄は密教理解が不足していると自覚したら、弟子の礼を取って空海に潅頂を受けた。
自分のほうが7歳も年長であり、しかも当時は社会的地位も高かったにも拘らずだ。
日蓮の場合、求法のために挺身するそういう真摯さがまるでない。怠け者らしい横着さ、姑息さ、厚かましさしか見受けられない。
だから所々を転々としながら何処も長続きした試しがなかった。
端から学ぶ気などはなく、ただカルト稼業の足しにするパクリのタネが欲しがっただけだろう。 因果具事を思い出した。
創価学会の論、蓮の実を割って見ると葉っぱ、茎根っこ等が
具わって居る事を知るでしょう。
五字の題目がそれと同じく佛の当体を備えると解く。
此れが危ない思想に転じて創価学会の基調方針となる。つまり
此を信じれば佛に直談判するに等しい、信心さえ在れば
何でも叶う迄の狂信に行きつくのだろう。
因果具事という存在が世の中に在る、それに最も近いのは拳銃
かもしれない、誰が見ても形態と目的が一致する。 文語訳新約聖書(岩波文庫)
イエス群衆を見て、山にのぼり、座し給へば、弟子たち御許にきたる。イエス口をひらき、教へて言ひたまふ、
幸福なるかな、心の貧しき者。天国はそのひとのものなり。
幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。
幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん。
幸福なるかな、義に飢ゑ渇く者。その人は飽くことを得ん。
幸福なるかな、憐愍ある者。その人は憐愍を得ん。
幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん。
幸福なるかな、平和ならしむ者。その人は神の子と称へられん。
幸福なるかな、義のために責められたる者。天国はその人のものなり。
我がために人、なんぢらを罵り、また責め、詐りて各様の悪しきことを言ふときは、汝ら幸福なり。喜び喜べ、天にて汝らの報は大なり。汝等より前にありし預言者をも、斯く責めたりき。
日蓮の文章と違って美しいですね。
イエスは、因果を説いていないと日蓮教では言いますが、イエスも因果を説いています。 日本聖書協会版の文庫訳聖書はネットで読めます。
wikisourceで無料で読めます。
ここには、仏教・神道・道教・哲学等々の経典があります。 https://genshu.nichiren.or.jp/publications/post-1028/page/2/
現代宗教研究第42号 2008年03月 発行
『正しさ』の不可能性と現代宗教—現代における宗教の存在意義と宗教者の役割—
宮台真司の講演が日蓮宗の『現代宗教研究42巻』に掲載されている。 臨済和尚の、『かんしけつ乾屎※(木へんに厥)』は、
糞かきべらじゃないでしょ。
乾屎は「乾いたうんこ」でいいんだけど、
けつ※(木へんに厥)の漢字は、
密教で使う呪術の道具で、
地面の四隅に打ち込んで結界を作る金具の飾り杭。
金剛杭ってなんて読むんですか?いろいろ調べ…
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1386323198
でね、もとの話を読んでないみたいで、これは
毒舌家の三聖慧然が編纂した臨済録のなかの
上堂という章にある、ちょー有名な一節で、
赤肉団上の、一無位の真人、
(刀で斬られて、切り口から赤い肉がパックリ見えてる、
そんな死体の上に浮かぶ、人の意識の本体…)
という臨済和尚の説法を聞いて、進み出た僧が、
一無位の真人とはどんなものなのでしょうか?
と質問するんだけど、臨済はつかつかとその僧に近づき、
その胸ぐらを手でつかんで「さあ、言え言え!」と迫ると、
僧はなにも答えられなくて、棒立ちになってしまう。
すると臨済は、その僧を手で突き放してこう言います、
「乾いた一本糞が地面に突き立っているようだな」
そう言い捨てて、自分の部屋に帰ってしまいました。
※棒立ちの僧と、地面に突き立つ一本糞をひっかけた
ギャグ表現で、その茫然自失が仏(一無位の真人)だと言ってんのよ…。 縁起は、日本の仏教系にある解説は、
因縁という言葉に縛られて、
因=原因、という解釈に重点がおかれてる感じするけど…、
インド原語は英訳の辞書でひいてみると、
日本とはまた切り口が違ってて、
まあ、単語が違えば意味もびみょーにズレてくるわけで、
プラティートゥヤ・サムパーダ prat_itya-samutpa_da
The principle that everything is interdependent,
that all things arise in dependence upon
multiple causes and conditions.
どんなものにもある原理は、
相互依存することであり、
すべてのものは、多くの原因や状態に影響されて
生じるのです。
※英語圏は因果にズバリ相当する言葉が無いのかな?
interdependent 相互依存、という言葉があるんだね、
持ちつ持たれつ、みたいな。
どうもその関係性、みたいなとこを
重要なものとして、注視してるような感じですが。 >>681
日蓮書写とされる『五輪九字明秘密義釈』が中山にあったはず。
日蓮教徒が日蓮が密教を学んだ証拠としてよくこれを出してたな。 あのさー、千葉県野田市の教育委員会が、
虐待で殺された10才の少女の、暴力を受けているから、
助けて!という守秘義務があるはずのアンケートを、
暴力をふるってる当事者の父親に渡してしまった、
というニュース。
皆さんはどう思いましたか?
個人的には、教育委員会の人間の屑のバカどもは
いい加減にしろよ!と、怒り心頭なんですが…。
そこで市川市教育委員会が、立正安国論をよいしょして、
嘘八百でほめたたえ、特定宗教に肩入れしてる記述になるわけで…、
※※
法華経寺が所蔵する二つの国宝のうちの一つです。
日蓮48歳の時…北条時頼に建白した(時頼なんてどこにも書いてないぞ!)
『立正安国論』の控えの真筆←←(真筆原本はこの世のどこにも存在してません)
原文は…国に災いが続くのは念仏の流行に原因がある。(市川市って全員バカなの?)
もし、これを禁じないでおけば、さらに内乱外寇が必ず起こるであろう
と経文をあげて予言し←←(智慧おくれ坊主の言いがかりの屁理屈を懸命に擁護してる)、
これを防ぐため法華唱題を広めるよりほかになく、(ハッキリ言って無間の馬鹿でしょ?)
またこれを用いない為政者は早死にするということを、(早死にが関係あると思ってるアホかよ)
主人と旅人の問答形式で書いています(キチガイの妄想を役所の権威を利用して正当化する…)。
奥書には「文応元年(1260)太歳庚申勘之 従正嘉始之文応元年勘畢」と記し、
…「文永六年(1269)太歳己巳十二月八日写之」と執筆の年次が明らかに…。
これは日蓮が正面から堂々と幕府を諫めたものなので(提出の証拠はゼロですよ…)、
字体も略字を用いず楷書で書き、厳しい調子が全体にあふれてい(デタラメな妄想ですが)。
以後日蓮は次々と迫害を受けることになるのです(迫害ではなくただの犯罪者ですね…)。 >>705
『臨済録』(岩波文庫/入矢義高訳注)
乾屎厥について、「無位真人を絶対化することへの拒否」と訳注している。
無位真人について、「いかなる枠にもはまらず、一切の範疇を超えた自由人。臨済宗の代名詞となっている」と訳注している。 書き忘れ
『臨済録』(岩波文庫/入矢義高訳注)
赤肉團上について、「生身の身体」と訳注している。
赤肉團上有一無位眞人云々を、「この肉体には無位の眞人がいて、常にお前たちの顔から出たり入ったりしている・・・」としている。 >>706
「縁起」
時代は視座を変えた。
SNSによって世界中の仏教哲学徒(当然ディレッタントも含む)が対話を重ねている。
そんな仏教勉強会に参加させてもらっているが
彼らの多くはinterdependentよりもrelationshipの方が適切だと語る。
また十二支それぞれがMatrixであり、そのrelationshipが生成される場がembryoだと
考察する人もいて中々楽しい。
全ての事象はplug-inした事によるmatrix modulationだと語る。
西洋文化圏の人達は何故なのだろう?胡蝶の夢が好きな様だ。
仏教を語る上で大なり小なりTAOが絡んでいる様にも見える。
何れにせよ文語訳聖書のメタファーの強さを再確認するのと同じ様に
SNSで外国人が語る仏教にも、仏教の再確認を強いる強さはある。
その語りは言語であれ非言語的言語であれ。 臨済は言う。
仏もなければ衆生もなく、古人もなければ今人もない。(岩波文庫/入矢義高訳注)
そして、
この説法を聴いている無依独立の君たち道人こそが諸仏の母なのだ。だから、仏はその無依から生まれる。もしこの無依に達したならば、仏そのものも無存在なのである。こう会得したならば、それが正しい見地というものである。(岩波文庫/入矢義高訳注)
と。
そう言えば、華厳経に「心は工なる画師の如く種種の五陰を画く。一切世間の中に法として造らざること無し」とあった。
事象は己の心が造れるものであるから、自分を見つめ自分を知ることが大事ということか? >>707 五輪九字秘釈には梵字の解説が相当在ります。
大日如来の五輪『あばらかきゃ』と阿弥陀の『おんあみりたていぜいからうん』
是が基本であり解説を理解するにはこの梵字をきちんと書けねば成りません。
日蓮が梵字の形を誤って書写しているならある程度まで頷けます。
特定すると、訶字の箇所で曼荼羅の不動の梵字はこの字が元です。
中山法華の所蔵文書を見ていないので推定で言いますが、日蓮自筆ではないでしょう。 禅宗とくに臨済宗は
確かにオルタナティブなコミュニタリアニズムに恣意的に現れる境界線は無いな。
というか他宗を批判する事なくスタスタ歩いて行く実存しか無いな。
臨済宗の一つ良い所は(日蓮主義の持つ下位概念としての功徳というステージにおいて)
特殊利害と共同利害の二律背反から生じる「抑圧」が無い所だな。
多くの人が驚くのは「臨済宗の最終目的は悟りなの?」の質問に答えて
最終目的は入門し出家し修行をし僧籍を持ち、後進と語り、還俗する事だ!(十牛図など)
との人によっては訳の分からない仏教感。
何で無宗教になる為に、一回出家得度までしなきゃいけないの?と皆驚く。
そのまま無宗教のままでいいじゃ無い?何その生まれなかった方が良い理論は?
毎日、浜辺で釣りをして、ほとんで一日中歌ったり酒を飲んで寝て暮らしている男がいた。
そこへアメリカからやって来た資本家が彼にアドバイスをする
ーーーー 略 ーーーー
浜辺の男「私は今それをしているのです」
資本家「、、、、」 get cross the 110st
カンボジアの里子達が我が家に来た。先進国のランドスケープに驚く。
しかし彼等が最もカルチャーショックを受けたがケロッグのシリアル。
こんな美味しい物が存在してたなんて信じられないと下手クソな英語で喜ぶ。
彼等はカンボジアの学校(孤児院)へ帰った。
私は学校へケロッグのシリアルを届ける様に支配した。
うちの娘は週一で出されるシリアルとオレンジジュースに「また手抜き?」と不満をこぼす。
こんな話をハイデッカー好きな新入女子社員に語った。彼女は言った。
「何かの象徴性を言ってるのかも知れませんけど、それは例え話にもなりはしませんよw」
私は依頼したケロッグの半分も孤児院に届かなかった事を白状した。
それを聞いた彼女は
「例え話にならなくても、神話にはなりますね」
こういう人との出会いが、まだあるかも知れないので、まだ死ぬ訳にはいかない。(妙法蓮華経) >>715
一箱のケロッグでも、その分の命を継ぐことができる。 >>716
私は命の為にケロッグを贈ったのでは無く
彼等の喜びの為にケロッグを贈った
そして、その私の行動は
私自身の独善的な自己愛に基づいている事を
私は自覚している。 >>717
独善的な愛でも、贈られたケロッグによって喜びを得た人がいる。
ケロッグを贈らなければ、その人はケロッグを貰った喜びを得ることは出来ない。
貴方に、聖母マリアからの贈り物がありますように。 どちらにしてもケロッグを販売した小売店は売り上げになって喜び、ケロッグを送った者も、貰った者も、ケロッグに含まれるアクリルアミドの発ガン性については何も知らない。 >>719
週間新潮の記事ですか?。
その物質を取った人と、取らなかった人との発ガンする割合はどのくらいの違いなのですか?。
発ガン性物質が無い食品だけを摂取した場合、食費は割り増しになりませんか?。 >>719
アクリルアミドの健康影響:農林水産省
http://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/acryl_amide/a_syosai/about/eikyo.html
その結果、発がん以外の影響については極めてリスクは低いと判断する一方、発がんのリスクについては、ヒトにおける健康影響は明確でないが、動物実験の結果及び日本人の推定摂取量に基づき、公衆衛生上の観点から懸念がないとは言えないと判断しました。
また、ALARA(As Low As Reasonably Achievable)の原則に則り、引き続き合理的に達成可能な範囲で、できる限りアクリルアミドの低減に努める必要があるとしています。
☆摂取量に注意すれば問題はないようです。 このように日蓮批判以外なら餌がキリストであれ臨済宗であれケロッグであれ何であれダボハゼのように食いつくのが日蓮教徒の現在の習性なのである。 >>687
読みが中学生以下。上書きしたのは図像の上に文句を書いたという文字通りの話にすぎない。
思想的には上書きどころか首尾一貫しているではないか。どこに目をつけている? >>724
ある。特に創価。聖教の拡販、公明党の集票、それに財務だの何だのと信者に負荷をかけすぎだろう。
おまけに創価信者という事実が社会的適応の妨げになる。
これらは全て信者にとってのストレスになり免疫系の働きを弱める。 >>706
その通り。縁起を相互依存性と言い換えてもよい。因果というと時系列的な原因→結果という位相でのみとらえられがちだが、
それだけでなく、同時的、相互的な位相も含むのが縁起だ。
ただ分かりにくいのは、相互依存と言っても仏教の説くのは実体的な存在でなく、諸々のダルマ(法、原理)の相互依存性ということ。
日本はいちおう仏教国なので仏教用語が多く日常語になっているため、通俗用法に引きづられてしまいがちなのは仕方がない。 縁起は空性を知らなければ見えないし
逆に縁起が空性を教える。
というオルタナティブなダーマの観察が必要なのだが
元々インチュイションを持つ人以外は修行や読み込みと視察という
「うん・どん・こん」で言うところの「つめたい部分」を通過せずには
ココへアプローチ出来ない。
仏教で問題なのは何らかの仏教セクトでは
思考を停止させてしまう教育や
思考を停止するべきだと信者に誤解を与えてしまう仏法教育者がいる事だ。
カイザーソゼはすごい奴だ
奴は神話を作った。そして
消えた、、、、、 >>725
桃水に阿弥陀如来画像をあげた方は?
いわゆる折伏だろ?その人は二項対立的な原理主義者だよ。
それさえも桃水は別のフェーズとして肯ってはいるんだよ。
つまり掛け軸に消し炭で書き込む前に、桃水は書き込んでいたんだよ。
その行動原理はスタティックで分厚い壁の様な死体の様な思想じゃ無い。
「自灯明」 「活溌溌地」の境涯から生まれたんだよ。
仏教は日常との連続性を分断しない限り、その本質的な仏法理解は困難になりがちである。
貴方が理解できない、または誤読されるのも無理は無い。
これは仏教を学ぶ全ての人達の問題でもある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています