>>596
横レスごめん。このスレ住民には詳細は不要だろうが、数多くある経典の中で
法華経は特徴時な構成力と修辞を持つ。今まで私達が何十何百と読んできたお経の中で
ラストシーンにドンデン返しと伏線回収を見事に行ったお経は、この法華経と維摩経だけだと思う。
私の主観に入る。
この技法、作劇、ドラマツルギーはスリップストリームを利用したマジックリアリズム文学
とも受け入れられる。
実はこの方法論は修辞としてのドンデン返しでありながら
この方法論自体が仏法の再構成という広宣流布の為の修辞であると主張している様にも見える。

円環のミノタウロスを倒すだけでも大変だが
アリアドネーの糸を頼りに円環から脱出するのは、それ以上に大変である。
それはアリアドネーの糸がミノタウロス討伐の記憶をたどる事と同時に
実は、過去の客観的事実という記憶を再構成するクリエイティブな知を要求するからだ。

再構成された法華経を読了後、私達読者は「振り出し」に戻された以上(ドンデン返しで)
そこから再構成の旅を始めなければならない。
何とも禅宗的な構造分析が必要な所が法華経の魅力だし
法華経が一番語りたい事はここなのだと思う。
全て私の主観。

参考・中村先生、植木先生、バグワンラジニーシ先生、宮台真司先生・鈴木大拙先生