日蓮は悟りを「目に見えるもの」として扱った時点で出発点から非仏教的であった
日蓮は「目に見えるもの」だと信じ込んでいたので、「南無妙法蓮華経」という題名が法体であり、それを「目に見えるように」表したのが「文字曼荼羅」であると妄想教義を構えた
だが、ブッダの悟りとは「言葉には表し得ないもの」であり、「目には見えないもの」なのである
日蓮は、比叡山で読みかじった天台教学などの「目に見えるもの」を追いかけまわすばかりだった
現証だの予言の実現だのといい、他宗の僧侶や信者の重病や頓死をあげつらい仏罰とレッテルを貼り回り、蒙古の使者が来たから予言的中!的中!などと愚かしく騒ぎ立ててばかりいた
日蓮の狭く歪んだ目には法華経や他の経典は末法の「予言書」にしか見えなかったのだ
ゥ経典の文面に隠された「見えざる仏性」への「覚りの階梯」を読み取るための洞察力など、微塵も持たなかったのである
よって、妄想カルト教義を作り上げ、愚者たちを惑わせて手下に引き込み、家畜として飼い慣らしカルト教団を作って悦に入るのが関の山だったのである