神や仏が我々に現れない原因というのは二元です。
二元とは、主体と客体。
こことあそこ、私とあなた、見る者と見られるもの。

この二元とは、意識が生じさせているものです。
本当は神しかいません、仏しかいません、あなたしかいません。
そこに意識が生じると対象が現れます。
意識しなければ対象はない。

意識とは、自分とは別のものを探しだそうとする目的を持った方向性。
意識が何かを捉えると、それは対象となり、自分とは別のものとしてリアル化されます。

この意識行為の繰り返しとは、自己を個人として認識している人間の通常行動。
この意識行為の絶え間ない繰り返しが、無限に様々な対象を作り出して、自分とそれ以外を分割し続けます。
これが、宇宙や地球という自分と離れた対象世界が登場しているように見える理由です。

世界は自分が作り出しています。
コンピューター画面上にゲームを映し出してプレイしているように。
世界とは主観的対象です。
あなたが意識した対象は事実となり、あなたが意識しないものは対象化されない。
だから、あなたが意識しないものはこの世に存在しないことになります。
あなたが意識したものだけ、この世に存在します。

あなたは世界と呼ばれる場で不思議がります。
何で努力しているのに、世界は変わらないのだ?
何で努力しているのに、世界は平和にならないのだ?
何で努力しているのに、自分は悟らないのだ?