「大御本尊はレプリカ、すり替えた」説はあっても全くおかしくない話だな

新たな事実発見、昭和47年の段階では日達は板と言ってる、しかし昭和52年に丸太に変わる、さらにそこで赤澤の名前が出てくる

日達上人全集 二輯五巻434,日興跡條々の事 s47/9/12日正寺 竜口法難会砌、歴代法主全書1-96

「また戒壇の御本尊様は楠の板である。楠の板で大部古くなりほこりが後ろの方にたまり今度御水洗いする事になり洗ったのである。」

正本堂建立の後に

日達上人全集 二輯五巻446,日興跡條々の事 s52/5/26寺族同心会砌、歴代法主全書1-96,大日蓮S52/7

「戒壇の御本尊様は楠の厚木です。表から見るとこういう板です。
ところが此れは大変な板です。ただの板ではないのです。
こういう板になっているのです。だから後ろから見ると丸木です。
丸木を表だけ削ってあるわけです。大変なものです。重たい。
上はただ三寸そこそこの板ですけれども、まわりは丸木です。真ん丸い木です。
その丸い木を前を削って板にしたにすぎません。しかも此れを削ったのは手斧、
鑓手斧(やりちょうな)とも鑓鉋(やりかんな)ともいいますね。それで削った。
それは赤澤朝陽氏がちゃんと言明しております。」

同じ日達の発言でさえ板から丸太に変わるってどういうこと?w 日達は自分で赤澤に作らせたこと示唆してない?