>>197
吾妻鑑の貞応3年6月28日条の原文は
「相州武州為軍営御後見可執行武家事之旨有被仰云々」
"相州武州、軍営御後見ヲ為シ"と読み下すのが自然。
”相模守(時房)と武蔵守(泰時)に、軍営(将軍)を後見し武家の事を執行するよう仰せられた”

これだけだと政子は時房と泰時を同時に執権に任じたように読める。
ただし1960年代の上横手雅敬さんの「連署制の成立」という論文以来、
時房の地位や出仕開始時期について疑問が出ており、未だ確定していない。
(辞書によっては時房の「連署」就任を政子死後の嘉禄元年7月とする)