なにわ男子とTravisJapan先にデビューするのは
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88 ユーは名無しネ [sage] 2021/03/24(水) 21:30:26.80 ID:
タキツバのデビュー発表8月1日
トラジャデビュー発表期待してます ユーは名無しネ [sage] 2020/10/27(火) 01:54:23.64 ID:
一幕はシリアスだった頃の滝沢歌舞伎でニ幕はプレゾンな雰囲気だった
つまり滝翼 >>87
661 ユーは名無しネ [sage] 2020/11/03(火) 03:58:32.56 ID:
このトラアンチ自分以外が全部虎者おばさんに見えてるよね
663 ユーは名無しネ [sage] 2020/11/03(火) 03:59:13.23 ID:
わいも虎者おばさんて誰のことかわからない
鏝じゃないでしょ?
668 ユーは名無しネ [sage] 2020/11/03(火) 04:00:43.29 ID:
鏝無しはいくらでもナリ自演できるしな
669 ユーは名無しネ [sage] 2020/11/03(火) 04:01:28.24 ID:
虎者おばさんガーって言ってる人が病気さんですよね
672 ユーは名無しネ [sage] 2020/11/03(火) 04:03:05.75 ID:
虎者おばさんよりもリストおばさんのほうが長いしいらん
673 ユーは名無しネ [sage] 2020/11/03(火) 04:04:51.79 ID:
虎者おばさんのレスが気に食わなくてそれにキレてそれをコピペして貼りまくってる人がトラアンチでしょ
少なくても周りにはそう見えるよ
674 ユーは名無しネ [sage] 2020/11/03(火) 04:05:31.34 ID:
それかツイで見つけたむかつくトラ担レスを自ら貼ってそれを叩きながらコピペ
676 ユーは名無しネ [sage] 2020/11/03(火) 04:06:57.65 ID:
だいたいトラ担にはリスト貼るメリットないし
貼ったのはトラが気にくわないトラアンチしかありえない
678 ユーは名無しネ [sage] 2020/11/03(火) 04:23:50.78 ID:
この前虎者の話しただけで虎者おばさん認定されてお茶ふきそうになった
679 ユーは名無しネ [sage] 2020/11/03(火) 04:34:41.16 ID:
というか虎者おばさんキターツッコミの人が自分でレス貼って自演やってるんじゃなければ虎者おばさんがーの人は一日5chにいることにならないか
虎者おばさんに対するツッコミ即レスだよね
680 ユーは名無しネ [sage] 2020/11/03(火) 04:38:17.54 ID:
自分で気にいらないレスやツイ内容拾ってきて貼って叩いてんでしょバレバレ 読む気をなくすのが目的じゃないの
最早スレタイの意味なくしてるでしょ 262 ユーは名無しネ [sage] 2021/02/11(木) 18:52:29.36 ID:
プラベ目撃からして中村松田が2大タキニ
新おろかインパクの目撃って聞かない トラちゃんのデビュー話出た頃からずっとトラなにわ揉めさせたい人いるから該当担はうかつにのらないように気をつけて >>87
スノアンチスレにずっと滝とヒロムの親密ネタコピペを貼ってた滝担やな 今まで、たくさんのJr.たちとさまざまな時間を過ごしてきましたが、SnowManとの出逢いはある意味特別でした。
最初は、
“この子たち大丈夫かなぁ?”
とか、
“気持ちが伝わるかなぁ?”
とか、
“手がかかるなぁ”
とか、
頭を抱えるときも正直ありました。
これは、もちろん俺の経験と先輩としての意見だけど、今でもまだまだ頼れない部分は散々あると、あえて今は言いたいと思う。
それは、もっともっとSnowManとして大きくなってもらいたいからです。
この間、SnowManのあるメンバーがステージ上でこんなことを言っていました。
『俺たちはJr.のトップになる』
俺はそのとき、胸が痛くなりました。
思いっきり怒ってやろうと思いました。
俺はこの数年、どうやったらSnowManが大きく見えるか、どうやったらいいグループになるかをすごく考えてきました。
お前たちの今の目標がJr.のトップ?
俺は違うと思う。
今目標にすべきことは、デビューをして、本物のSnowManになることが目標だと思う。
時間はあるようでないかもしれないから。
心で思っても口に出せない恐怖がもしかしたらまだあるのかもしれないね。 阿部ちゃんへ。
阿部ちゃんはとにかく頑固だね。
その頑固がいつも邪魔をする時があるかもしれない。
もっと肩の力を抜いてもいいんじゃないかな。
その壁がなくなったときに、もっとかっこいい阿部ちゃんになると思うよ。
頑張れ、阿部ちゃん。 まあこのスレ自体が22歳スレで暴れてたはむがトラsageするために立てたスレだからね 佐久間へ。
君はすごく魅力があると思う。
芝居をもっとやらせたい、もっと踊らせたい、色々思ってるよ。
でも、佐久間はなかなか前に出ようとしないよね。
岩本と深澤が前に出たりすると、いつも遠慮がちだよね。
それは良くないと思う。
自信を持って、もっともっと前に出てください。 宮舘へ。
君も頑固だよね。
でも、博多で初めて個人的にご飯に行ったね。
その時の宮舘は、子どものような顔でいつもの表情とは違ったな。
宮舘も自分の考えを前に出さないタイプだし、なんでも器用にこなしちゃう。
もしかしたら、君はSnowManの中で一番下で一番支えている存在なのかもしれないね。
おとなしい宮舘だけど、SnowManの中では大きい存在かもしれませんね。 渡辺へ。
渡辺は、怒っても怒っても何度言っても忘れちゃうことがあるね。
ここ数年、本当に悩んでいました。
こんなJr.初めてだったから。
俺が諦めたらダメだなと思いながらも、今回で言うのは最後にしようと決め、稽古中にみんなの前で一言、
『真剣になれよ!』
と言ったのを覚えていますか?
その一言には大きな意味が散々ありました。
その答えを今言うつもりはないけど、いつかもっと自分に後輩ができたときに答えが見つかると思います。
それからの渡辺はかなり変わったと思うよ。
どんなに時間がかかっても俺は諦めないので、大きな渡辺になってください。 深澤へ。
去年、三郎役をやったときに、何回も俺とぶつかり合ったよね。
俺の楽屋で泣いたこともありましたね。
稽古に入る前に、今年は三郎をやらせないからと言いました。
それは、ただダメだからとかそういうことではなくて、もっと本気になってもらいたかったから。
今回ののりぞうはオリジナルの役。
俺の愛情のこもった役。
前回より出番が少ないので、ファンの方は物足りなさもあるかもしれませんが、しかし今は深澤のための時間が欲しいのです。
どれだけ短いシーンで存在をアピールできるか、どれだけお客さんに残せるか、のりぞうは深澤だけのものなのです。
ぜひ、最高の宝物にするつもりでラストののりぞうをやり切ってください。 岩本へ。
普段、岩本とちゃんと話すことはあまりないよね。
言いたいことがあっても、芝居がちょっと違うなと思っても、実はあえてあまり言わないようにしています。
それは、岩本の感性をみたいから。
これからものびのびやってください。
演舞場に入ってから初めて2人だけで話したよね。
時間としてはあまり長くはなかったけど、岩本と心の目と目を合わせて初めて話せた気がする。
体が大きい割には、落ち込むと凄く小さくなる岩本。
大丈夫、君にはSnowManもいるし、俺もいるよ。
そして、皆がいる。 長くなりましたが、そろそろまとめたいと思います。
今回、博多からやってきて、すごく感じたことがありました。
ぜひ、SnowManとSnowManのファンの皆がもっと一つになってほしいと思います。
そして、もっともっと良いグループになってください。
これには時間がかかります。
タキツバもファンと10年かけて一つになったと僕は実感しています。
一つになった瞬間にファンのありがたみ、ファンへの恩返しができると思います。
滝沢歌舞伎は今日で終わりますが、滝沢組はまだまだ終わりません。
早くデビューして早く滝沢組を卒業してください。
《中略》
5/6 座長 滝沢秀明より
PS.それでは最後に渡辺、モノマネしてください。
「できるわけねーだろ!なんでだよ!!(泣」 これやるために5にお金払ってる人がいると思うと泣けてくるな 1982年、東京・八王子で3人兄弟の末っ子として生まれた滝沢。
幼少の頃から「父親からは子どもながらにわかりやすい愛情を受けた記憶はない」
といい、幼稚園の時、両親が離婚し父が家を出て行ってからは、生活が一変。
鉛筆、消しゴムすら満足に買えない極貧生活を送った。食べるものが無く、帰りの遅い母を待つ間、兄弟で1つのお菓子を分け合って食事代わりにした日々も。
一刻も早くこの生活から抜け出したかった彼は、中学生になると
「どうやったら子どもも働けるんだろう」とばかり考えていた。
「どこでもよかったんです」と話す滝沢は、ジャニーズやアイドルへの憧れがあったわけではない。
ただこの生活を抜け出したいと自ら応募し、書類選考を通過、オーデションの日を迎えた。
「ボロボロの服を着て・・・。オーディションが終わる時に“僕がジャニーです”って…ジャニーですって言われても誰だろう?って。
僕は本当に詳しくなかったので」。そしてそこではもう一つの大きな出会いが。
「隣に翼もいたんですけど、翼はジャニーさんが名前を聞いていて、この子受かったんだろうなって」と長年の相棒である今井翼への思いも吐露する。
滝沢はジャニー氏について「小さい頃に学ばなきゃいけないことを1から教えてくれた人。
どこかで“オヤジ”っていうのはこういう存在なのかな」と幼い頃に家を出た父親と別れ、初めて“父”という存在を知った。
以来、滝沢はジャニー氏から演出のことから生活の規律のことまでさまざまなことを学んだ。
思春期になると、時には自らの怒りの矛先をジャニー氏に向けることもあったが、いつも優しく受け止めてくれたという。
13歳でジャニーズJr.としてキャリアをスタートさせた滝沢。
同時期にジュニアだった山下智久は「(ジュニアの中で)タッキーは特別なことが普通だった」と証言する通り“特別な存在”となっていった。
「嵐を結成する時に、(5人がジュニアから)出たことで今後のジュニアをどうするか。ジャニーさんと相談しながらやっていた」というほど、ジャニー氏との関係は深かったという。 幼少期に両親が離婚し、母に育てられてきた滝沢さん。両親の離婚後は「極貧生活」を送っていたとして、
「ジャニーズとの出会いが僕の人生を180度変えた」と話した。
ジュニア時代にはたびたびジャニー氏の自宅に招待され、ファミリーレストランで食事をともにした。
こうしたふれあいの中で、礼儀やマナー、人との接し方を学んだという。
「他の人には言えないことがジャニーさんには言えるっていう安心感は多分みんなあったんじゃないかなと思います」
思春期にはジャニー氏にいらだちをぶつけることもあったとして、
「こっちが強く当たってもあっちが引くってことはよくありましたね」と振り返った
ジュニアのリーダー的存在であった滝沢さんに、あるときジャニー氏はこんな言葉をかけたという。
「僕はタッキーに10のことをあげるから、タッキーは1でもいいから僕に返しなさい。その1は挨拶でもいいんだ」
ジャニー氏へ恩返しは「後輩を育てること」だと考えた滝沢さんは、ジュニア時代から後輩たちの相談に乗っていた。
後輩の山下智久さんは、よく相談に乗ってもらっていたとして、番組の中で
「滝沢くんにならなんでも相談できる」
「(ジュニアたちの)お母さん役にもお父さん役にもなれる先輩でしたね」
と話していた。滝沢さんは、ほかのジュニアたちから「小さなジャニーさん」と呼ばれていたという。
2019年以降は「プロデューサーになって、さらにジャニーズの良さを知ってもらいたい」という滝沢さん。
ジャニー氏への「親孝行」への思いが強い。
「ファンの方には申し訳ないですけど、僕はジャニーさんに親孝行がしたい。
今までにジャニーさんに)まだ1個も返せていないと思います。
タレントをやりながらではダメ。ジュニアは人生をかけて活動しているので、僕も人生をかけなきゃいけない 18年いっぱいで芸能活動から引退し、19年からはジャニーズJr.の育成や舞台のプロデュースなどに専念している滝沢秀明さん(37)は、20歳のころのインタビューで、ジャニーさんへの憧れを口にしていた。
「本当になりたいのは『プロデューサー』って言われる人かもしれない。
特にジャニーさんになりたい! Jr.のオーディションでは俺も審査に参加させてもらっているんですけど、俺はまだ見る目がないんですよ。
小さいころからショーを作ることがすごく好きだったんです。
ジャニーさんにひっついて『俺も海外行く!』って。一緒にミュージカルやショーを見せてもらったり、
ビデオをいっぱい借りて、毎日、ずっと見てたりしましたね」(アサヒグラフ「person」02年5月号)
滝沢さんは、その後もよくジャニーさんへの感謝と尊敬を口にしていた。引退直前のAERAのインタビューでは、こう宣言した。
「僕は一番近くでジャニーさんのやり方を見てきましたから。
あのやり方は絶対にこれからも続けなきゃいけないし、残していくべきもの。
まだまだ勉強中ですが、僕ができることは責任を持って全部やりきろうと思ってます。 滝沢は中学生になると、貧しい家計を助けるために、仕事を探すようになった。
子供でも働ける場所――そんな時、たまたま目にしたのが、姉が夢中になっていたKinKi Kidsだった。
アイドルになりたいわけではなかったが、働きたい一心でジャニーズ事務所に自ら応募した。
書類選考を通過してオーディション会場に向かうと、質素な服を着た1人の男性が参加者にハンバーガーを配っていた。
オーディションが終わるとその男性は滝沢にこう告げたという。
「ぼくがジャニーです」
滝沢が初めて“父”に出会った瞬間だった。そこから滝沢の人生は急転する。
オーディション1週間後にジャニー社長から連絡が入り、2週間のダンスレッスンを受けただけでKinKi Kidsのバックダンサーとして初ステージに立った。
「その後、スターへの階段を駆け上がっていくタッキーに、ジャニーさんは歌や踊りだけではなく、人間としての礼儀やマナー、立ち居振る舞いまで厳しくも温かく教え込みました。
タッキーが反抗期を迎えて大変な時期もありましたが、ジャニーさんはしっかりと受け止めていた。
よく、“滝沢は母親譲りの女の子のような美しい肌を持っている。
でも男っぽいんだよ”と評価していました。
2人は実の父と子のような関係だったように思います」(前出・芸能関係者)
ジャニー社長の教えを吸収していった滝沢は14才でオーディションの面接官を担当するようになった。 萩本欽一インタビュー
――最後にお会いしたのは2010年1月、ジャニーさんが演出した帝国劇場での舞台「新春 人生革命」のときだったそうですね
「森光子さんとタッキー(滝沢秀明さん)が出ている舞台で、ジャニーさんとは昼の部の終演後に久しぶりにお会いしました。
夜の部が始まる時間間際まで弁当を食べながらおしゃべりしましたよ。その時ジャニーさんは、タッキーを未来のジャニーにしたい、と熱心に話していました」 数多くのジャニーズアイドルがいる中、なぜ滝沢秀明なのか。
「ジャニーさんにとって最大の宝物は滝沢秀明さんだからです。これに尽きます。
彼のいない事務所ならば無いに等しいというほど溺愛しています。
滝沢さんはルックスも声も演技もジャニーズの王道をゆくタイプで、まさに王子様キャラです。それでいて男性からも女性からも嫌悪感を持たれない人物でもあります。どんなに活躍するタレントがほかにいても、ジャニーズの本流として後進を育ててほしいんだと思います」(同) 滝沢氏は、偶然姉が夢中になっていたKinKi Kidsをテレビで目にしたのをきっかけにジャニーズ事務所へ応募。
その後、ジャニーズ史上最短でドラマ主演が決定。
また、ジャニー氏の隣でオーディションの助手を務めるなど、入所1年目から異例の活躍をみせた。
ある時ジャニー氏から
「僕はタッキーに10のことをあげるからタッキーは1でもいいから返しなさい。その1はあいさつでもいいんだ」と告げられたという。
芸能活動の引退について「嫌になって辞めるとかではないんですよね。
僕はジャニーズが大好きなんですよね。
この大好きなジャニーズをここから先、どうやってつないでいけるかっていうことをやりたいんですよね」と語っていた。
また、幼少期に両親が離婚し、父親の愛情を知らずに育ったという滝沢は、ジャニー氏に父親というものを重ねていた部分もあると話し
「僕はなんかこう、ファンの方には本当に申し訳ないですけど、皆さんがやる普通の親孝行を僕はジャニーさんに親孝行したいなっていうふうに今すごく思ってます」
と胸の内を明かした 年内で芸能活動引退を表明している滝沢秀明が、9月27発売の「週刊新潮」(新潮社)に登場。
ジャニー喜多川社長と6時間にわたって話し合ったことや、
一部で報じられていたジュリー副社長との“確執”を否定してみせた。
しかし、これでジャニーズが一枚岩になるのかといえば、まだまだ予断を許さない状態だという。
スポーツ紙記者が明かす。
「滝沢とジャニー社長が養子縁組するのでは?という話が、業界中を駆け巡っています。
高齢なジャニー社長は病気がちのため、自分が生きている間にジャニーズ内での滝沢の発言権をもっと上げておきたいと考えている、というのがその理由です。
6時間の話し合いの中では、ジャニー社長が持つ株や資産を滝沢に相続させるといった突っ込んだ話もあったはずですよ」 午後2時半、ジャニー喜多川氏を乗せた黒塗りの霊柩車が、地下駐車場から雨天の空の下へと姿を現した。
通常、親族などの喪主が座る助手席には、遺影を胸の前に大事に持った滝沢秀明が悲しみをこらえるかのように、うつむきながら静かに座っていた。
「本来なら、姉であるメリー喜多川さんか、ジャニーさんの跡を継ぎ事務所社長に就任すると噂される、姪のジュリー藤島さんがその席に座るのが自然なハズ。
ですが、そこに“血の繋がりの無い”タッキーが座っていたというのは、とても不思議でなりません。
テレビやスポーツ紙などの大手マスコミは排除されていたので、対外的な目を気にしてメリーさんやジュリーさんが、あえて滝沢にそこを譲ったとは考えにくい。
となると、考えられるのは、ジャニーさんが生前に滝沢と『養子縁組』をしていた可能性も否定できないですよ」(芸能プロ関係者)
18年9月に滝沢が芸能界引退しプロデュース業に専念すること発表した際、ジャニー氏は、
「私は驚きとともにうれしくて涙がこぼれそうでした。このような決断をしてくれた滝沢には心より感謝しています」
と喜びにあふれたコメントを出している。
ジャニーズグループの子会社の社長でしかなかった滝沢。葬儀での立ち位置を見ると、ジャニー氏の跡を継ぎ、ジャニーズ帝国に君臨する日は、そう遠くないのかもしれない…。 約20年前、滝沢は本誌にこんな夢を語っている。
《ジャニーズJr.のなかで“1グループ”作って、デビューさせたい。つまり、社長(笑)》(女性自身’98年3月10日号)
当時、まだ15歳。
ジャニーズJr.黄金期と呼ばれ、その中心メンバーとして活躍していた滝沢。そのころから彼は、社長としてジャニーズJr.をプロデュースすることを夢見ていたのだ。 河合は「みなさん驚いたと思うんですよ」として「後輩の僕たち的には、そんなに驚かなかったというか」
「もともと滝沢くんってタレントさんをしながらプロデューサー業のこともやっていたので、いつかはこっち(プロデューサー業)1本になるんだろうなっていうのは」と語った。
続けて「A.B.C-Zとかキスマイ(Kis-My-Ft2)のデビューはタッキーのおかげでできたみたいなところもある」
「ジャニーさんにちょっと話に行ってくれたみたいな」とデビューに関して滝沢に感謝している様子を覗かせた。 タッキーはいつも最高だからタッキーの邪魔だけはしないでねとジャニーさんに言われたガヤさん思い出した 【10/20 滝沢電波城】
タッキーに面と向かって言っておきたい事
風「ぼく、後輩たちに嫉妬しています!
タッキーはいつも時代も後輩とかJr.とかの面倒を見てきたじゃないですか?
SnowManだったりとかが、『僕らのタッキー』みたいな顔するじゃないですか? 【10/20 滝沢電波城】
僕らとか嵐山下とかが直属の後輩じゃないですか!俺らのタッキーだから!!
俺らが可愛いでしょ!?」
滝「かわいいって感覚はないね(笑)
何日か前にピーとご飯行ったけど可愛らしさもあったけど大人になったなって感じたったなー(笑)」 【10/20 滝沢電波城】
風「僕タッキーが引退してプロデュースとかJr.の面倒を見ていくって聞いて、最初は口から心臓出るかと思ったけどすぐ受け入れたの。
それって僕らも面倒、指導して貰えますか?」
滝「助け合いはしますよ?笑」
風「いつになっても親は子供がかわいいって言うじゃないですか?風間がかわいいでしょ?」
滝「(笑)
やっぱりカザポンたちは同じ景色を見た世代だから仲間というか、今のJr.達との感覚は違うね。
俺らはハングリー精神があってみんなで掴んだみたいな感じじゃない?
今のJr.は先輩達が掴んでそれを支えるJr.って感じだね」
風「今後Jr.にどうゆうふうになって欲しいとかあるの?」
滝「みんながみんな自分が思い描いてることをやればいいし、自分が思い描いてる事をやらせるつもりはないね。
ぼくはジャニーさんをサポートするのが仕事だし、みんなは芯を持って活動すればいいと思う。困ったら助けるしね。
自分が引退してサポートする立場になるけど、みんなが僕の事を頼っちゃいけないと思ってる。僕がなにかプラスアルファして行った方がいいんじゃないかなって」 トラジャって言ったらこれ!って言うものがないよね
ダンス売りだけど今はスノだし歌はストだし圧倒的華やかさはキンプリだし
話せるのは関西がいるし
って考えたらやっぱなにわよね
#トラジャデビュー >>142
これ見に行ったらスト担だったよ
なにわのイメージデザインでダイアモンドが候補に上がったときにクソほど叩いてたスト担ww >>147
何でだろ
タッキーの愛情をすくすく受けてるトラに嫉妬とか? 多くのジャニーズタレントの道しるべとなっていた滝沢秀明が、昨年いっぱいをもって引退。今年からはジャニー喜多川社長と二人三脚でエンターテインメント界を司っていく。
華やかな世界からすっぱりと身を引く決断に、称賛と惜しむ声は後を絶たない。滝沢と出会って14年ほどとなるKis-My-Ft2の北山宏光も、そんなひとりだ。アイドル事情に詳しい女性誌の編集者は言う。
「2人の出会いは、滝沢が座長を務めたミュージカル『DREAM BOYS』初演。ステージ上で北山は、KAT-TUNの中丸雄一にそそのかされて、本番中にふざけました。すると、終わってから座長から呼び出しがあったそうです。ビビりながら控室をノックすると、『君か、北山って。そか、そか。今、いくつだ?』、『20歳です』、『打ち上げ来いよ』と怒られるのではなく打ち上げに誘われたんです。北山は別の仕事があったため、遅れて打ち上げの宴席に合流。酔っていた滝沢に対して勇気を振り絞って、『番号聞いてもいいですか?』と電話番号を聞きだして、以降はプライベートを共にするようになりました」 食事に旅行と、どこへ行っても何を食べても、滝沢は1度たりとも北山に払わせなかった。冗談交じりで、「お金が全部なくなるわ!」と漏らしたことがあったほどだ。
滝沢はかねてから、生意気で、多くのジャニーズJr.のなかで少し浮いた存在だった北山のことを気にかけ、「度胸がある子」と好印象を抱いていたそうだ。
10年の舞台『新春 人生革命』では、滝沢がロープアクションの際に落下するアクシデントが起こっています。でも、偶然にも下にいた北山がクッションになって、間一髪のところでセーフ。座長の命を救った後輩ということで、ファンの支持が一気に高まりました。キスマイのデビュー後は、やや滝沢舞台から遠ざかりましたが、タッキーみずからの指名によって、節目となった『滝沢歌舞伎 10th Anniversary』で復帰。書道8段の北山の見せ場を作るシーンが新たに加えられています」(前出・女性誌編集者) “自分のためにやるんじゃない。誰かのために、人に喜んでもらうためにものを創る、動く”。これが僕から見た滝沢くんです」
滝沢秀明がパーソナリティを務めるラジオ『タッキーの滝沢電波城』(ニッポン放送)、12月15日放送回には、Kis-My-Ft2の北山宏光がゲスト出演。年内でタレント活動を引退する滝沢に対して、率直な質問を投げかけ、そして4枚半にも渡る手紙を読み上げた。
ふたりの出会いは13年前。舞台『DREAM BOYS』の舞台裏で、滝沢に呼ばれた北山は「怒られる、干される……」とビクビクしていたと振り返る。実は、KAT-TUN 中丸雄一の冗談に付き合って、本番中にふざけてしまった北山。本当にやるとは思わず、中丸にも「お前やばいよ、あれ」と言われていたときに呼び出しがかかったのだから、当然だ。
だが、そんな北山に滝沢が投げかけた声は「君か、北山って。そかそか、いまいくつだ? 舞台の打ち上げ来いよ」と声を荒げることはなかった。打ち上げで、仲間の笑顔に囲まれる滝沢を見て、「これが座長か。かっけーな!」と尊敬の念を抱いたという。そして、北山が意を決して滝沢の連絡先を聞き出したことから、ふたりはプライベートでもご飯や旅行、飲みに行くようになる。舞台で高所から転落した滝沢を、咄嗟に北山が体ごとかばったことがあるというエピソードが、ファンの中で語り継がれているのも納得だ。 「生意気だからだよ」。北山を可愛がる理由を、そんなふうに言っていた滝沢。以前、滝沢は、情報番組『ドデスカ!』(メ〜テレ)のインタビューでも好きな後輩について「やらかす感じがいい。偉い人、先輩の前になると、いい子になる子よりも相手が誰だろうとブレないというか」と話していた。滝沢が「特に手を焼いた後輩は?」と聞かれると出てきた名前も、北山だった。他の先輩や大人から見たら扱いにくい部分を「だからいい」と愛情をかけてくれる。そんな滝沢に、北山はいつしか「何かお返しがしたい」と思うようになった。それは、なんでもできる滝沢を補佐するという意味ではなく、自分自身がステージで輝くという方法で、だ。
最高のマネジメントとは、きっと尊敬されることなのだろう。“この人のために何ができるだろう”、“どうしたらこの人が喜んでくれるだろう”と、動けるように育てていくこと。「もし何かあったら、なんでも言ってきてください。すぐに飛んでいきます」。心を込めた手紙を読み終わった北山は「長くない?」とちょっぴり照れくさそうに尋ね、滝沢も「長いね」とはにかむ。早速「ちょっと泣いてない?」と生意気っぷりを発揮する北山に、「泣いてないよ」と穏やかに応える滝沢。ふたりの間に、師弟にも父子にも近い、理想の先輩後輩関係が確かにあるのだと感じさせるやりとりだった。 北山と深澤は他人の懐に入るのが上手いこれ褒め言葉
結局人間関係が大切 >>149
ごめんねって気持ちが歪な応援に変わったんだろう >>136
かざぽんもタッキーとディズニーランド行く約束してたよね キモいスレだなここ
トラヲタ貼りすぎて必死でキモすぎ
全然読んでないけどw こんなに愛されてる割には地上波番組少ないね
あ!タキニご自慢の舞台班か
よかったねw なにわがMステ出ただけで過剰反応しすぎててワロタ
予想はできたが滝沢とのエピソード貼りまくってて余裕なさすぎダサいよ
冷静になれよ 何か誤解があるようだけど私が一番大切なのはタッキーだからね
タッキーより大切なものなんてない 22歳スレでスノ語りしすぎて終わったタイミングできた人たちだからお察し タッキーと触れ合ったり一緒に過ごせたりエピソードが何よりの幸せだからデビューがどうとかはそこまで意識してないけどね
デビューして離れたらさびしい タッキーエピソードなら任せてね
まだまだたくさんあるから >>167
少なくても虎者は関わるから完全に関わりなくなることはないと思う >>176
難しい質問だね
滝沢歌舞伎のスノは好き
それ以外は興味ないというのが正しい答えかな 中島裕翔とタッキーのエピソードください
タッキーに憧れて入所したと聞きました >>159
22歳スレでフルボッコされたはむが建てたスレだよ
今はコピペ倉庫になっちゃったけどw >>179
裕翔あまり詳しくないから少し時間かかる >>181
ゆっくりで大丈夫です!楽しみに待ってますね! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています