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【ウハも】 開業医達の集い 16診 【粒も】
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0001卵の名無しさん
垢版 |
2018/05/23(水) 19:30:55.81ID:jNckb3SB
開業医全般に関して話し合いましょ。

開業準備の先生もOK
アホな保険審査医のクズさの笑い話とか
なんでも
15 https://egg.5ch.net/test/read.cgi/hosp/1523708752/
14 https://egg.5ch.net/test/read.cgi/hosp/1520379507/
13 https://egg.5ch.net/test/read.cgi/hosp/1515939759/
12 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/hosp/1509980309/
11 http://egg.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1504874231/
10 http://egg.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1500653574/
9 http://egg.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1496668165/
8 http://egg.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1492574197/
7 http://egg.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1487802090/
6 http://potato.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1485354671/
5 http://potato.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1480689335/
4 http://potato.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1475853074/
3 http://potato.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1470927146/
2 http://potato.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1464927613/
1 http://potato.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1451480242
0213コンプ薬屋
垢版 |
2018/06/02(土) 14:46:05.43ID:ZtF1bjNS
>>183先生

以前も書いたけど、過去レス探すの面倒なのでもう一度「記憶だけで」書きます。

原作者の山崎豊子は、阪大の神前五郎先生(当時教授だった気がするがググればわかる)が
モデルとのうわさが立ち、名誉棄損の訴訟が起こされて以来、「モデルなし」といっていたそうだが、

中山恒明 千葉大教授⇒女子医大消化器病センター創設者(教授・センター長?) が関東では
                モデルと噂されたと聞いている。

白い巨塔 『Shiroi Kyoto 1978』 第01話
   https://www.youtube.com/watch?v=pPPqAcNnjVA
   26:50から

「食道外科じゃ、千葉医大の小山教授と並べられている財前五郎だ」の「小山」は軽いギャグ。

中山教授は、生存率?成功率?の低かった食道がん?の治療成績を一気に上げたということで
千葉医大卒では初めて千葉大教授となった。確か30代だったのではないかと。
ただし、金に汚かったということで、父から2つのエピソードを聞いている。

昭和37年 国立がんセンター開所、東大分院に世界初の米国製ファイバースコープ2台導入
昭和38年 後半「白い巨塔」連載開始・胃ファイバースコープ国産化

だったので、父がファイバースコープを千葉・中山教授に持っていくと「弟子に見せるように」の
旨指示され、まともに相手にされなかったような口ぶり。まあ、食道外科だから当然というば当然。
0214コンプ薬屋
垢版 |
2018/06/02(土) 14:47:03.53ID:ZtF1bjNS
昭和41年までに、千葉大肺がん研究所(正式名称不明)の堀江昌平先生(年齢的に助手か講師?)を
中心に気管支ファイバースコープの開発をメーカー側が希望して、メーカー勤務で外回りの父が
同施設を訪問している(回数不明)。理由は、当然教授の香月秀雄先生が肺がん研究の有力者
だったこともあるはずだけど、さらに堀江先生が(旧制だと思う)独協高校出身で、メーカーの社長
(4人兄弟の長男)も独協高校出身だったから。

   堀江昌平 千葉医大卒のはず、初代独協医外科教授
   香月秀雄 千葉医大大卒、同大学長、初代放送大学学長

結局、香月教授が堀江先生を留学に出してしまったので、メーカーは(父は?)止む無く当時
関東で(千葉の香月先生に次ぐ?並ぶ?)胸部外科の有力者・慶応の加納保之先生のところに
持ち込む。

   加納保之 当時の職位不明 慶応講師⇒国療村松晴嵐荘、国立霞ケ浦院長、2代目防衛医大学校長
          専門は肺癌ではなく、国療村松晴嵐荘の開所早々に派遣されているので肺結核
          なんですけどね。

その訪問過程で、父の前で香月先生が「中山恒明は弟子に切らせておきながら、切除片を
患者家族に見せて『自分が切った』と言って金を要求する」と批判していたという。

昭和38年に「白い巨塔」の連載が開始されると、それに前後して中山教授の死亡診断書の死亡
時刻不適切記載で訴訟が起こされる。不適切な死亡時刻記載により、遺産相続順に影響が出たから。
それが理由で千葉大を追われると、女子医大が引き取り消化器病センターが設立される。
なお、中山教授が遺族から受け取った金銭は、賄賂ではなく奨学寄付金と言う扱いで贈収賄罪は
不適応とネットにあった。
0215コンプ薬屋
垢版 |
2018/06/02(土) 14:47:49.95ID:ZtF1bjNS
もともと、ファイバースコープの開発は、女子医大の近藤台五郎教授を中心に行われていたので
中山教授が女子医大に移ると、近藤軍団とも接触するようになる。常岡健二先生が同僚の
竹本忠良先生のことを「竹本の奴、中山恒明と交わるようになって賤しくなって」と父との話の中で
批判していたという。

昭和41年 女子医大消化器病センター開設?
       世界初の気管支ファイバースコープ開発(国立がんセンター、「ガン回廊の朝」(下)参照」)
       常岡健二先生・日医大教授就任

近藤台五郎 東京帝大卒、女子医大教授、昭和48年消化器病学会会長
常岡健二  東京帝大卒、日医大教授、同大学長、もちろん消化器病学会長も
竹本忠良  東京帝大?東京大?卒、女子医大にいたのかな?山口大教授、同大病院長のはず

旧帝阪大を想像させる「浪花大学」が舞台の「白い巨塔」主人公モデルに、一般人から見ると
駅弁大の千葉の中山教授が採用されるのは奇異に思うらしい。官立千葉医も府立大阪医
(後の大阪帝大)も大正期の大学令によって医学専門学校から単科医大に昇格。「白い巨塔」執筆時は
丁度、医大初期卒業生のうちの最優秀層が本学の教授になるか、再び旧帝から派遣されるかの
時代でいわゆる「独立戦争」の火ぶたが切って降ろされた時期なんだね。

1918年 大学令
1919年 府立大阪医大昇格(1963年 一期生は64歳)
1923年 官立千葉医大昇格(1963年 一期生は60歳)
1931年 官立大阪帝大移行(1963年 一期生は52歳)
1963年 「白い巨塔」執筆開始

   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E7%A7%91%E5%A4%A7%E5%AD%A6
0216コンプ薬屋
垢版 |
2018/06/02(土) 14:48:32.78ID:ZtF1bjNS
本来教授、特に国公立、さらには生命を預かり、1961年に国民皆保険が実施されて以来、
経済的にも極めて公的になった医師を養成する医学部では、研究者としての実績、
教育者としての人格に加え、国民皆保険財政の健全な運用に資するための金銭感覚が
問われるべきと思うのだけど、実際の「独立戦争」では札束の飛ぶ醜い争いもあった。
と言うことで「白い巨塔」が広く読まれたんだろうね。
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