0001少考さん ★
2024/03/15(金) 11:33:14.03ID:zGEHmurAhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20240314/k10014388841000.html
2024年3月14日 11時50分
広島市中心部のほど近くに完成した新しいサッカースタジアム。
実はこのエリアでは戦後すぐ、ある“幻の計画”が発表されていたことがわかりました。
世界的な建築家・丹下健三によるスタジアム建設の構想です。
70年以上のときを経て「よみがえった」計画。
その意味を追いました。
(広島放送局 記者 相田悠真)
74年前の“幻の構想”
2月に広島市に開業した、新しいサッカースタジアム。
J1・サンフレッチェ広島の本拠地として、中心部から歩いて20分ほどの場所に建設されました。
このスタジアムの取材をする中で、今から74年前、このエリアにスポーツのスタジアムを作る構想をしていた人物がいることがわかりました。それが丹下健三です。
丹下健三
丹下健三は広島市の平和公園の計画を作ったあと、東京都庁や国立代々木競技場など数々の建築物の設計を行い、世界的な建築家となりました。
広島で取材をする私にとって、丹下健三は平和公園や原爆資料館といった広島市を平和都市とするための計画を作った人物というイメージでした。
その丹下がなぜ、スタジアム建設まで構想していたのか。取材を進めることにしました。
平和公園とスタジアム
丹下の“幻の計画”とは、1950年に発表された「広島平和公園計画」です。
その一部は現在の広島市の都市計画に反映されましたが、反映されていない部分もあります。
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計画の地図を詳しく見ると、その南側には、川を挟んで原爆ドームや原爆資料館が配置され、現在の広島と同じ構図となっています。
この計画では、その北側のエリアに、これまでの広島のまちに見られなかった施設が配置されていました。ここには、「アスレチックスタジアム」と記されています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240314/K10014388841_2403130937_0313172235_02_06.jpg
丹下が発表した計画の地図と、今回完成したサッカースタジアムの位置を改めて確認してみます。
地図の下(南側)にあるのが、平和公園のエリア。その上(北側)にスタジアムがあります。
ほぼ同じ場所に、新しいサッカースタジアムが完成しているのです。
丹下の構想「平和の軸線」
当時は実現しませんでしたが、なぜ丹下は平和公園の計画に、スタジアムを位置づけたのでしょうか。
千葉大学の豊川斎赫准教授に聞きました。
(略)
※全文はソースで。