【石川】 清造先生 見守ってて 芥川賞・西村賢太さん 合掌 [朝一から閉店までφ★]
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2022年1月30日 05時00分 (1月30日 12時08分更新)
墓前に手を合わせる西村賢太さん=七尾市小島町の西光寺で
https://www.chunichi.co.jp/article/409102?rct=k_ishikawa
七尾市出身の作家、藤沢清造(せいぞう)(一八八九〜一九三二年)の没後九十年の命日の二十九日、「清造忌」が同市小島町の菩提(ぼだい)寺・浄土宗西光寺で営まれ、藤沢に心酔する芥川賞作家、西村賢太さん(54)が墓前に手を合わせた。(大野沙羅)
藤沢は同市馬出町に生まれ、高等小学校を卒業して上京。一九二二年に貧困と病苦の中に生きる主人公を描いた長編私小説「根津権現裏」を発表した。島崎藤村らに評価されたが、その後は作品に恵まれない生活を送り、困窮の果てに東京・芝公園で凍死した。
七尾に26年墓参「おかげで食えてる」
西光寺には五三年に藤沢の墓碑が建立され、当時の住民有志が一度だけ追悼会を開いた。西村さんらはその意思を継ぎ、途絶えていた追悼会を二〇〇一年に「清造忌」として復活させた。命日に毎年一、二人が参列している。西村さん自身は、月命日と命日に欠かさず墓参りを始めて二十六年目。〇二年には藤沢の墓の隣に自らの生前墓を建てた。
午後四時半すぎ、墓を訪れた西村さんは缶ビールや酒などを供え、手を合わせた。墓参りを終え「最初に来た時は二十五年前で、俺も年をとったが、清造先生も遠くに行きましたね」としのび、「作家になる前から毎月(墓参りを)やっていたから小説で食っていけているんじゃないかと思う。清造先生のおかげ」と話した。
西村さんは今夏にも藤沢清造の随筆集を出版する予定という。 >作家になる前から毎月(墓参りを)やっていた
そういう心があったから小説で食えていけてるのかもね 昔この近くに実家があったから前をよく通った、帰省したら墓参りしてこよう。 >>2
さすがにふざけるな。
西村さんのご冥福をお祈りします。 小池一夫もモンキーパンチに追悼の言葉発した日に亡くなったっけ >>12
今日の地元紙に西村さんの遺稿が載っていた。
「全国から熱心な愛読者が詰めかけるような派手さや
賑やかさは微塵もない。マイナーな上にもマイナーを
塗り重ねた清造には或る意味似つかわしいとも云え
る、至って少人数ーーと云うか、ここ数年は私一人で
行なっている、日本で最も小規模な文学忌である」
毎月命日に墓参を欠かさず、「清造の没後弟子」とし
て、品切れ絶版の角川文庫を復刊させ、講談社文芸文
庫からも短編集を新たに出させ、さらには全集の発刊
に取り組もうとしていたという文章の最後には、次の
ように書かれていた。合掌。
「いつまでもすべての不都合、不手際を流行りの疫病
のせいにしてもいられまい。
なによりこれ以上モタモタしている間には、こちら
の生の方が尽きかけないおそれの故もある。」 不摂生な感じだったし
風俗で変な病気もらってたんじゃね?
ご冥福をお祈りします。 生きたな
生き切ったんだよ
お前たちの様な生ける屍とはエライ違いだわ
ちと言い過ぎ反省 似た境遇の作家に共感し、自伝小説で芥川賞を受賞して
曲がりなりにも一流作家としてフラッシュライトを浴びて
カネと名誉を得た。 運が良いね。 同じような三文作家は
たくさんおるだろに。 西村賢太さんのご冥福を祈念します。
以下、他スレに書きましたがこちらに貼っておきます。
そういえば急逝された小説家西村賢太さんの葬儀などはどうなったのだろうと思い、調べてみたところ、ちょうど載っていた。
https://www.chunichi.co.jp/article/419949?rct=k_ishikawa
親族はみつからず、東京都区役所が公費で火葬をおこなったのだろう。
お葬式も敬愛、心酔していた小説家藤沢清造の菩提寺でご住職と藤沢浄造の遠戚によっておこなわれたようだ。
お姉さんは存命かと思われるが、きょうだい同士のつき合いはなく連絡のつけようがなかったのだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています