長沼氏の歴史をたどる資料が並ぶテーマ展=宇都宮市睦町の県立博物館で2021年3月19日、李舜撮影
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織田信長が記したとされる伝馬朱印状=宇都宮市睦町の県立博物館で2021年3月19日、李舜撮影
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 1221年の承久の乱から今年で800年。鎌倉幕府が討伐の兵を挙げた朝廷を破り、その後の公武の力関係を決定づけた歴史の転換点を改めて見つめ直そうと、県立博物館(宇都宮市睦町)でテーマ展が開かれている。焦点を当てたのは、承久の乱で幕府方として活躍した長沼氏一族。鎌倉幕府や織田信長との親交の深さをうかがわせる貴重な史料を展示している。【李舜】

 長沼氏は平将門の乱を鎮圧した藤原秀郷の子孫で、長沼荘(現在の真岡市)を本拠に活躍した。東国武士の中心の一人だった小山政光と寒川尼の間に生まれた3兄弟の次男・宗政が、長沼姓を名乗るようになった。寒川尼が鎌倉幕府を開いた源頼朝の乳母だった関係で、平安時代末期には源氏側として源平合戦を戦い、恩賞として長沼荘を拝領したとされている。

 長沼氏は承久の乱で、後鳥羽上皇から鎌倉幕府の有力御家人8人のうちの1人と認識され挙兵の誘いを受けたが、幕府側として戦い勝利。戦後、淡路国(兵庫県)の守護職に就いた。着々と所領を広げ、幕府御家人として屈指の存在となっていったという。その後、長沼氏の一部が分裂して皆川氏になり、伝来されてきた文書などは皆川氏に移るようになった。皆川氏は織田信長や徳川家康と親交があり、長沼一族は代々、時の権力者からの信頼を勝ち取っていたとされている。

 テーマ展は「長沼氏から皆川氏へ〜皆川文書でたどるその足跡〜」と題し、78点を展示した。長沼宗政が1223年に淡路国を治めるために作成した土地台帳「淡路国大田文」は、現存する大田文の中で最古の原本で国重要文化財に唯一指定されている。また、1581年に皆川広照から名馬3頭を献上されたことを喜んだ織田信長が礼のために、使者の帰路にある宿に運送用の馬7頭を与えることを命じた「伝馬朱印状」も掲示した。織田信長の伝馬朱印状はこの1通しか現存していないという。

 担当した同館の山本享史・主任研究員は「あまり知られていないが、長沼、皆川両氏は日本を動かした人物の重臣として活躍した東国を代表する武士団。県内の名門武士団の存在をこれを機に知ってもらえれば」と話している。

 展示は、5月9日までの午前9時半〜午後5時(入館は同4時半まで)。毎週月曜休館。一般260円、高校・大学生120円、中学生以下無料。問い合わせは同館。

毎日新聞 地方版 2021/4/7
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