仮設住宅の入居や相談業務に関わった日々を本にした秋定敦さん=神戸市中央区下山手通4、県公館
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 阪神・淡路大震災で仮設住宅入居の募集業務などに関わった元神戸市職員の秋定敦さん(62)=同市垂水区=が、「仮設住宅3万戸−神戸市仮設住宅担当者 募集・入居事務奮戦記」を出版した。被災者の住まい確保に奔走した経験を日誌風につづる。

 1995年の阪神・淡路では神戸市内で6万7421棟が全壊、5万5145棟が半壊した。市は震災発生3日後の1月20日から仮設住宅の建設を始め、市内外に3万2346戸を整備した。

 秋定さんは六甲アイランド(同市東灘区)の自宅マンションで被災。当時は民生局同和対策室に勤務していたが、市の地域防災計画に従い、すぐに仮設住宅の募集事務に回った。

 第1次募集では2689戸の募集に対し、約6万件の応募が殺到。高齢者や障害者らの世帯を優先し抽選としたが、要望や苦情が相次いだ。

 「障害の程度でどうして優先順位が違うのか」「子どもが夜泣きするので迷惑をかけない部屋にして」−。一つ一つの声に耳を傾けたが、大半は応じる余裕がなかった。「公平性を守ることで精いっぱいで、避難所の厳しい環境から、早く仮設に移ってもらうことが最優先だった」と振り返る。

 半年間で通算5回の募集を担当。鍵の受け渡しを巡るトラブルや、仮設問題の取材対応など、難しい場面も経験した。そうした業務や自身の思いを書き残してきたのは、「手探りで取り組んだ記録を、なんとしても後世に残したい」という思いからだった。

 東日本大震災で宮城県名取市に派遣された際には、「同じ地域の人は同じ地域に移住するのが望ましい」と助言。阪神・淡路で相次いだ孤独死や地域コミュニティーの分断を繰り返してはならないと、経験を伝える必要を改めて感じた。

 阪神・淡路から丸25年。出版を決意したときに頭をよぎったのは、当時の上司の「『こんな震災は二度と経験することはない』という言葉だった」と秋定さん。「南海トラフ巨大地震など、次なる災害に対応するための一助となれば」と話している。

 A5判161ページ。1430円。インターネット通販のアマゾンで購入できる。問い合わせはメール(akisada.at@gmail.com)で。(竹本拓也)

神戸新聞NEXT 2020/4/8 05:30
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