【東京】福嶋揚氏「現代日本で、キリスト教神学は何かの役に立つのか?」 ジュンク堂で「カール・バルト」刊行記念講演会[10/08]
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キリスト新聞 2018年10月08日
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福嶋揚氏の『カール・バルト――未来学としての神学』(日本キリスト教団出版局)刊行を記念する講演会「現代日本で、キリスト教神学は何かの役に立つのか?」が9月5日、ジュンク堂書店池袋本店(東京都豊島区)で開かれた。書店での開催ということもあり、キリスト教になじみのない一般読者の参加も目立った。
「神学とは何か」との命題から話し始めた福嶋氏は、バルトが膨大な著作からたどり着いた「神は神としか言いようがない」という結論の意味するところについて解説した上で、東日本大震災とそれに伴う原発事故に衝撃を受け、信仰の危機に瀕したという自身の体験を紹介。
同書の序章に記した「あなたは生きていてよい」という言葉はバルトの言葉であると同時に、震災後に議員として活動する山本太郎氏の言葉でもあるとし、イエスの説いた隣人愛(非差別、無支配、共生)もあらゆる社会の分断を乗り越える「過激な教え」であったと述べた。
また、多大な影響を受けてきた哲学者の柄谷行人氏が近年、キリスト教を評価し始めたことに触れ、「交換様式論」における「ネーション(贈与と返礼)」「国家」「資本」に追従するのではなく、「世界共和国(自由の相互性)」を実践することこそキリスト教が果たし得る「普遍宗教」としての役割ではないかと提起。「国家と資本への対抗運動」としての憲法9条と「解放の神学」の一種としてバルトを読み解く必要性について説いた。
最後に「キリスト教は、生態系と人間の破局の回避、生きとし生けるものの共生という喫緊の大目標に奉仕する限りにおいて役に立つ」と結論付けた。 >>182
日本人は同質性の追求と異質の排除に夢中になるため、何か気に入らないものは全て
劣ったものとして、おとしめて優越感に浸る
朱子学的な「正統」重視であり、人間がやる気を持続させるために必要な感情のいくつか
を過度に抑制することに繋がる
自ら向上心を持つことでキャリアを自由に切り開くというのが苦手となることを意味し
思考力の大半が組織内の上下関係に向く序列主義指向、細事の失敗に対してさえ侮蔑をする
末期的精神傾向を導く
ナポレオンの格言に「敵が間違いを犯している時は、邪魔するな。」という言葉がある
ナポレオンの敵が、旧来の戦場の常識に囚われ、ウェリントン等が現れる実に10年間
近くも時代遅れの戦術・編成に固執し続けたことを皮肉ったものだが、 日本人を敵視
する連中からすると変えてほしくない気質だろう
日本人が自らの間違いと病を克服できる力が残されているかは、時間が証明するだろう
そして残された時間は長くない キリスト教では愛だの赦しだのといったきれいごとを言っているわりには
神の名のもとに正義を振りかざして他人を成敗することばかり考えているが、
我が国の仏教においてはそのような「正義」自体が人間の脳みそにわいた
一種の妄想に過ぎないことを指摘し、妄想に基づいて行動することを戒める。
どちらが優れた考え方であるかはいうまでもなく、低レベル極まりない
キリスト教を日本のような仏教国で振り回す外道は無間地獄逝きは決定である。 キリスト教では愛だの赦しだのといったきれいごとを言っているわりには
神の名のもとに正義を振りかざして他人を成敗することばかり考えているが、
我が国の仏教においてはそのような「正義」自体が人間の脳みそにわいた
一種の妄想に過ぎないことを指摘し、妄想に基づいて行動することを戒める。
どちらが優れた考え方であるかはいうまでもなく、低レベル極まりない
キリスト教を日本のような仏教国で振り回す外道は無間地獄逝きは決定である。 >>184
一方的な道徳的勝利なら小学生でもできるが、反キリスト教という理解で良いのか? 全能の神は、最低限 宇宙の全てより大きい(内包する)
は、よく使うけどなぁw ラブホ経営者だけどクリスマスなくなると困るんだよ
キリスト様様ですよ 「聖なる、真実な主よ。いつまでも裁きを行わず、地に住む者に
私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。
四人の御使いが、人類の三分の一を殺すために解き放たれた。
口からは火と煙と硫黄とが出て、人類の三分の一は殺された。
「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。
主は永遠に支配される。」「万物の支配者、常にいます神である主。あなたが、
その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。諸国の民は怒りました。
しかし、あなたの御怒りの日が来ました。死者の裁かれる時、あなたの僕である
預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れ
かしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」
「行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に向けてぶちまけよ。」
第一の鉢を地に向けてぶちまけた。すると、獣の刻印を受けている人々に、
ひどい悪性の腫物ができた。第二の鉢を海にぶちまけた。すると、海は
死者の血のようになった。海の中の命あるものは、みな死んだ。第三の鉢を
川と水の源とにぶちまけた。すると、それらは血になった。
「常にいまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、
このような裁きをなさったからです。彼らは聖徒たちや預言者たちの
血を流しましたが、あなたは、その血を彼らに飲ませました。
彼らは、そうされるに相応しい者たちです。」
獣と偽預言者は、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。
残りの者たちも、馬に乗った方[キリスト]の口から出る剣によって殺され、
すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。
(ヨハネの黙示録より) オウム真理教の麻原彰晃と
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教に共通のモーセやヨシュア の
共通点。どちらも
(1)圧倒的影響力のある指導者が、
(2)宗教的理由付けによって殺人を正当化し、
(3)それを命令し、
(4)信奉者たちが、その命令にしたがって殺人を実践した。
(5)殺人命令を受けた信者たちは、もしその命令を 実行しなかったら、彼ら自身が
ひどい目に遭うであろう、と 脅されました。
もし、オウム真理教の信者であれば、坂本弁護士の家族は、そのままほっておけば、
悪行を重ねて地獄に堕ちてしまうので、シヴァ神の指示にしたがって、
ポアすることによって、善趣へ転生させてやるのが慈悲の行為になります。
もし、旧約聖書の神を神とする信者であれば、ヤハヴェ神の命令に従って、
幼児殺しとミデアン民族を絶滅させることが信者の取るべき正しい行動となります。 天国の描写
玉座があり上に座っている方は、碧玉や赤めのうのようである。玉座の周りには
エメラルドのような虹が輝いている。また、玉座の周りに二十四の座があって、
それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が
座っている。玉座からは、稲妻、さまざまな音、雷が起こる。また、玉座の前には、
七つのともし火が燃えている。また、玉座の前は、水晶に似たガラスの
海のようである。この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいて、前にも後ろにも
一面に目がある。第一の生き物は獅子のようで、第二の生き物は若い雄牛のようで、
第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようである。
この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、
一面に目がある。彼らは、昼も夜も絶え間なく
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、
今おられ、やがて来られる方。」 と言い続ける。
東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門がある。都の城壁には
十二の土台がある。この都は四角い形で、長さと幅と高さが同じで、天使が物差しで
都を測ると、一万二千スタディオンである。また、城壁を測ると、
百四十四ペキスである。これは天使が人間の物差しによって測ったものである。
都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金である。
都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られている。
第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、
第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、
第九は黄玉、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶である。 また、
十二の門は十二の真珠であり、どの門もそれぞれ一個の真珠でできている。
都の大通りは、透き通ったガラスのような純金である。
(ヨハネの黙示録より) マタイ10:14
あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に
耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、
足の埃を払い落としなさい。はっきり言っておく。裁きの日には、
この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。
マルコ16:16
信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。
ヨハネ3:36
御子を信じる者は永遠のを持つが、御子に聞き従わない者は、
いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
ヨハネ8:24
だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、
わたしは言ったのである。「わたしはある」ということを信じないならば、
あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。
第2テサロニケ1:7
それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。
その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に
聞き従わない者たちに報復し、そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から
退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。 モーセの十戒において際立っているのは、「殺してはならぬ」という戒めが、
十戒においては六番目という極めて低いところに位置づけられていることです。
モーセの十戒においてもっと重要な戒めはむしろ、神への忠誠なのです。
第一の戒めも、第二、第三、第四の戒めも、すべて神への忠誠に関するものです。
これは、神が絶対君主だからです。
したがって、例えば神がモーセやヨシュアに殺人を命令する時、
神が命令した殺人は正義になります。神の意志が正義を決定するのであって、
わたしたち人間が正義だと思っていることなど神にとっては関係ないのです。
「ここに書いてある神を神とする宗教」の信者であれば、
神の命令に従って、殺人を忠実に行うことが信者の取るべき正しい行動となります。
聖典である聖書の神自身が殺人や戦争を命令するのですから、
歴史における頻繁な宗教殺人や宗教戦争は、
聖書の教えに忠実であったがゆえになされたと考えられます。 いくら仏教の方が優れているといっても、あまりにも哲学的過ぎて難しいから庶民受けしないような
だからといって庶民に難解な上流階級の流儀を叩き込んでもなんの意味もない
人々に説くために創られたものの方が分かりやすくて良いと思う
勿論、難しいヤツが分かってる自分格好いいってなら、それは別の話だけど 「今日の食事がいただけることを天のお父様に感謝します」みたいな
お祈りがあります。キリスト教ではよくある食事前のお祈りです。しかし、
この食事を作った人がいます。その材料は農家や漁師の人たちの努力によって得られ、
様々な流通関係者の手によって届けられます。また、その食事をするためのお金は
働き手が得たものです。つまり、私たちの日々の生活は様々な人の活動によって
支えられているわけです。神に感謝するよりも、人に感謝すべきではないでしょうか。
三浦綾子氏は「旧約聖書入門(光文社文庫)」の中で、空には無数の星があり、
それらが一つの法則にしたがって運行している(これも造物主のなせる技)、
それに比べたら月に行ったと言っても大きな顔は出来ない、と言うようなことを
書いています。しかし、人類を月に送ったのはもちろんのこと、
三浦氏が言及している宇宙の星々の運行(さらに銀河の構造)を解き明かしたのは
人間(科学者たち)です。神も聖書も何も教えてくれず、何の手助けもしてくれません。
このことを三浦氏はどう考えているのでしょうか。
何もしてくれない神や聖書を持ち出して、何かをなし得た人間を不当に低く評価する、
私には非常に傲慢なことのように思えます。 世界中に戦争を振りまいた悪魔の宗教だろ 排他的なところが問題だね
基本的に共存共栄の考え方ではない キリスト教以外は排除しようとする思想が根本的に危険 あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。(マタイの福音書 28:19)
イエスは、「行って、人々を私の追従者にせよ」、と命令したのです。
宣教への意志とはイデオロギーによる征服への意志になります。
キリスト教を世界宗教にしたてあげた主要な国
ローマ・スペイン・ポルトガル・イギリス・フランス・アメリカ、などがあります。
これらの帝国主義の世界戦略(植民地)合理化のために都合の良いイデオロギーを
提供し、帝国主義の富と力に乗っかってその勢力を広げたのがたのが
キリスト教であったと言えます。
普遍的価値観 + 他人を助ける善人意識 = 帝国主義のイデオロギー
という公式が世界史では成立します。自分の価値観を普遍的なものと思い、かつ、
世界にそれを広めなければ世界は良くならない、というような考え方が
国家目標と結びつき、彼らは必ず自分の欲する形に世界を変革しようとします。 韓国のキリスト教徒は29.2%、日本のキリスト教徒は1%未満
「秋田の聖母マリア」は、教区司教によって認可された数少ない聖母出現の一つであり、
日本より海外での知名度の方が高い。バチカン(教皇庁)の教理聖省長官の
ラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)によって正式に受理された。
韓国に聖母出現もないし奇跡もおこっていない。何故なのか?
ローマ法王が韓国民に「倫理的に生まれ変わるよう望む」と言ったは正当だろう。
バチカンは日本に神が現れ韓国は神からも見捨てられているのを知っているのだ。 ■「カトリックは在特会よりも危険で監視対象である」by公安当局■
2014年(平成26年)3月19日に、カトリックの反日活動が国会で取り上げられて、その際に国家公安委員長が答弁したのがこれな。
「これは、まず一般論として申し上げますけれども、やはり、諸外国からいろいろな対日の諸工作が仮にあったということで、
そういったことは、実は平素から相当我々も関心を持って、
警 察 が 必 要 な 情 報 は し っ か り 集 め て い ま す 。」
↑
ちゃんと情報収集して監視しているそうだwww
正平協よ震えて眠れ。
ちなみに同年10月24日に在特会の件が取り上げられたが、警察庁警備局長は
「(在特会は)いわゆる監視の対象ではありません」とキッパリ明言している。
本当にカトリックが在特会よりも「安全な」団体ならば、
「まず一般論として・・・」と回りくどい説明をせずに、
素直に「カトリックはいわゆる監視の対象ではありません」と明言してもよいはずだ。
そうじゃないということは、公安上の危険性は「カトリック>在特会」とみなされている何よりの証である。 なお国家公安委員長があえて回りくどい説明しているのは、
バチカン市国との外交問題になることと、バチカン当局そのものが反日活動を使嗾しているわけじゃないからな。
バチカン当局も日本のカトリックを警戒して、これまで教皇選出で大きな役割を果たす枢機卿の任命を渋っていたからな。
前東京大司教の岡田武夫なんか2010年の時点で枢機卿に任命されるとwktkしてたのに任命されないでやんのwww
教皇がなかなか訪日しないのも、パヨチン化した日本のカトリックを増長させてはならないというバチカン当局の深謀遠慮からきている。
日本の正平協は好き勝手にやっているが、バチカンの目は節穴ではないぞ。
もっとも日本政府もヨハネ・パウロ二世の葬儀でかなり格下の弔問使※しか出さないことで、
「ちゃんと日本カトリックを躾けろよ」とバチカンに無言の圧力を加えているがなwww
また日本政府は「教皇」の称号と「聖下」の敬称を拒否し、「法王」「台下」を使い続けるなど、露骨にカトリックに嫌悪感を示している。
(なおコプト教会の長には、ちゃんと「教皇」と呼称しているwww。コプト教会以下に扱われているカトリックm9(^Д^)プギャー)
バチカン当局も日本政府の対応にgkbrして、日本カトリックを粛正しつつある。
・司教の中で一番パヨってない前田万葉大司教を枢機卿に任命
・さいたま教区司教の谷大二を更迭(書類上は自主的な退任)
・東京教区補佐司教の幸田和生を更迭(書類上は自主的な退任)
※カトリック信者の麻生太郎総務大臣(当時)がいたのにも関わらず、川口順子内閣総理大臣補佐官(当時)で済ましている。 10月24日の在特会の件は
本来ならば公安当局より「在特会は監視の対象」と言質をとって
ネトウヨm9(^Д^)プギャーってやりたかったんだろう。質問者がパヨク民主党議員だし。
でも実際には正反対の答弁がなされて、逆にカトリックの方が危ないということを証明してしまった。
正平協やパヨク界隈はさぞかし悔しかっただろう。
カトリックm9(^Д^)プギャー 韓国のキリスト教徒は29.2%、日本のキリスト教徒は1%未満
「秋田の聖母マリア」は、教区司教によって認可された数少ない聖母出現の一つであり、
日本より海外での知名度の方が高い。バチカン(教皇庁)の教理聖省長官の
ラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)によって正式に受理された。
韓国に聖母出現もないし奇跡もおこっていない。何故なのか?彼等が邪悪だからだ。
ローマ法王が韓国民に「倫理的に生まれ変わるよう望む」と言ったは正当だろう。
バチカンは日本に神が現れ韓国は神からも否定されているのを知っているのだ。 キリスト教は神との契約。
契約の概念、法律や憲法もキリスト教の考え方。この考え方がないと近代化はできない。 その割に
欧米のデモってなんであんなに過激なの?? 13人が始めた壮大なフォロワー数を誇るtwitterアカウント
現代ではスマホとネットが必要なように、聖書、教会、伝道などを活用
本人死亡によりアカウントが一度消されたが3日後に復活
本人が存在すると信じるかどうかはフォロワー次第
本人を見たというひともいるし、本人からリプが来たと言う人もいる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています