【京都】生きて帰った元特攻兵 恥じる息子に両親がかけた言葉[09/18]
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航空隊員だった頃の木内直さん(木内さん提供)
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家族に別れを告げに行った際の「最後の写真」。後列の制服姿の男性が木内さん。前列で腰掛けているのが両親=木内さん提供
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予科練に合格した際の記念写真。日の丸の左端で左手の上に右手を重ねる青年が木内直さん=木内さん提供
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73年前の晩夏、京都府亀岡市に生きて帰ってきた元特攻隊員の男性がいる。「もう二度と会えない」と家族や友人と涙で別れ、死ぬ覚悟を決めて出撃の日を待ったが、その5日前に終戦を迎えた。恥ずかしさでいっぱいの帰還だった。しかし、両親は18歳の青年を大喜びで迎えた。
男性は同市曽我部町に住む木内直(ただし)さん(91)。現在の同市千歳町の出身で、パイロットは幼い頃からのあこがれだった。亀岡農学校に進学後も空への思いは消えず、海軍飛行予科練習生(予科練)を志願。校長は「農学校からの受験は初めてだ」と喜び、全校生徒の前で紹介した。
心躍らせて鳥取県の美保海軍航空隊に入隊したのは1943年10月。だが、待っていたのはバッターと呼ばれる「軍人精神注入棒」で尻を殴られる毎日だった。行進がそろわない。ハンモックを時間内につるせない。そのたびに教官が「気合が抜けとる」とバッターを振り下ろす。痛みで仰向けに寝られず、「なんでや」と忍び泣く仲間もいた。
44年5月、1週間の休暇が与えられ、「親兄弟に最後の別れをしてこい」と命令が下った。七つボタンの予科練の制服を着て実家に帰ると父政一さん、母ミツエさんは驚いた様子だった。「これが最後。もう帰れん」と伝えると、2人の目から涙があふれた。両親が慌てて親戚を集め、「最後の写真」を撮った。
配属先は鹿児島県の航空基地。我が物顔で飛ぶ米軍爆撃機B29の編隊に圧倒的な戦力差を感じたが、そんな感想は口にはできない。出撃する特攻隊員の先輩を見送る度に「自分も続かなくては」と気を引き締めた。精鋭機は失われ、「赤とんぼ」と呼ばれた複葉の練習機で夜間の実戦訓練を繰り返した。敵機の攻撃を避けるためだったが、自機の位置を見失って墜落する事故が続いた。
45年の8月に入り、上官が言った。「お前が突っ込むのは20日や」。爆弾を積んだ「赤とんぼ」を特攻機としてあてがい、沖縄の海で敵艦に体当たりせよとの指示だった。「一機一艦」を掲げ、死ぬために厳しい訓練を重ねてきた。「覚悟しているので何も怖くはない。自分の番が来たんや、と思ったぐらいだった」
終戦はあまりにも突然だった。「わしらが残っている。なんで負けたんや」。仲間同士で泣きに泣いた。意気消沈する中、両親に最後の別れを告げた1年前の光景が頭をよぎった。亀岡駅でも旧友たちが涙ながらに見送ってくれた。「生きているのがおかしいぐらいだ。恥ずかしい」。郷里を思うほど気持ちが塞いだ。
夏が終わる頃、帰るはずのなかった亀岡に着いた。両親は木内さんを見るなり「よう帰れた!」と声を上げた。自分を見送った集落の人々も帰還を喜んでくれた。敗戦を悔やみ、生きて帰ることを恥とばかり思っていたが、郷里の人々の意識はまるで逆だった。誰もが「早いこと戦争が終わって良かった」と感じていることに気づいた。
「生きている間に経験残したい」
木内さんが大切に保管する古いアルバムには、予科練や航空隊で過ごした当時の写真90枚以上が貼られ、脇には1枚ずつ手書きの説明が書き込まれている。
予科練に合格した直後の写真には、日の丸を掲げた友人らの笑顔の中で緊張した面持ちの木内さんが写る。一時休暇の際に家族や親戚と撮った「最後の写真」では、両親がこわばった表情を浮かべている。予科練の行軍や柔道大会、「赤とんぼ」の前に立つ仲間の写真もあり、当時の雰囲気を知る上で貴重な記録だ。
木内さんは戦後70年の2015年、終戦記念日に初めて体験を短い手記にまとめた。家族との会話でも戦時中の話題になることはなかったが、最近になって「生きている間に経験を残したい」と思うようになったという。
長男の清孝さん(61)は手記を読んで初めて「父は大変な思いをした人生だったと知った」と話す。(安倍龍太郎)
朝日新聞デジタル 2018年9月18日09時51分
https://www.asahi.com/articles/ASL8Y5RLLL8YPLZB011.html 洗脳が凄い
国のために死ねるのは誇りとか
暴力行為や自分の国の若者を殺す特攻に疑問すら感じてないのがやばいな
この世代に育てられた団塊は暴力思想の塊だし、その下の団塊ジュニアも団塊親に軍隊教育をされてるしおかしいもんな 勇気があるなら皇居や大本営に突っ込むべきだったな
米軍艦船に突っ込むなど犬死でしかない >「不死身の特攻兵」(講談社)
こういう強兵も存在してたからな。
若い純粋なモノを消耗品扱いする輩こそ害悪だな。そしてそれは今にも通じる。 >>6
それは、勇気と言えるのかなあ。
皇居に突っ込んでも大本営に突っ込んでも、
お前が望む結果は得られないだろうから、
つまりは犬死だし。
>>6
特攻隊の格好してセスナ機で田中角栄邸に突っ込んだポルノ男優いた。 当時は国家を守る事は家族を守る事と同じ事だべ
それで亡くなった人もいるんだから洗脳とか言うなよ
両親は帰ってきた息子を見て凄く喜んだだろう
いずれ人は死ぬ
それが戦争だっただけ
だから仕方が無い
そう思ってただろう
当時の肉親の心の裡は今の日本人には計り知れないわ >>5
そのくらい昔の人は愛国心が強かったんだろ
俺とかもしも中国が攻めてきたら普通に逃げる気マンマンだもん これから死に行く特攻兵に尻バット。
人間の尊厳ってなんだ? 日本人同士で殺し合いして
100年も経ってなかったのにな。 ネトウヨが中国の軍艦へ特攻する姿をTVの前で手を合わせて観戦します 何歳になっても生きていて良かったと思ってくれる人がいる事が幸せだよね What A Wasteful Operation
写真を見ると最も優秀そうなヤツじゃないか、家族親戚もな。
戦争で犬死にをさせるのは、最底辺でなかったの
連合国のポツダム宣言にも日本の上層部は愚鈍だと書かれていた、実際に。 >>17
クソサヨが無抵抗でシナ兵から蹂躙されるがままを世界の人達はTVの前で笑いながら観覧しますw 一家団欒に曲者が乱入したら家族を護ろうとするのは本能
それが国規模になりゃそりゃ大事だ >>5
白人の植民地ではない非白人国家は日本とタイぐらいだった
当時の世界情勢を理解する必要がある。 >>21
今の世の中そんなわかりやすい事態にはならないよ。
知らないうちに侵略されててある日気が付いたら自分の番がやってくる。
それは明日かもしれないぞ。 >>22
国民のほうは、いつ戦争を始める決定したかについても全く知らなかった。
国民がまったく知らない間に、世界最強の米軍基地を奇襲攻撃していた
よくいう、リメンバー・パールハーバー とは、こういうことだった。
国民のほうには、全く知る由もない 国民に責任の無い戦争だった。
民族の苦難の歴史を、日本は学校できちんと正しく教えなければいけない。
だから日本だけはいつまでたっても、国連憲章の敵国条項は残り続けるだろう
愚鈍な国民を正しく導くための憲法だけは、残しておいた。 >>5
そうゆう馬鹿な思想をはびこらせたのが戦前の朝日新聞。戦後派は、真逆の
方向に国民を誘導した。戦前戦後を通じて一番の悪は朝日新聞。 今、日本があることが、先人の死が無駄じゃなかったことの証しだろが。
犬死なんて言うのは英霊に対する最大の侮辱だ。 >>28
一人ひとり名前がある人間だったのにひっくるめて「英霊」
ネトウヨ隊は実際のところ兵士に敬意など持ってない >>25
何月何日に攻撃しま〜す!なんてわざわざお知らせする国は何処にもない ★
2020年東京オリンピックで泣ける歌≠ェ、ここに誕生ー
2020年オリンピックで泣ける歌≠ニいう、
最も高いハードルを課し、制作がスタート
無事ここにその目標を大きくクリアし、
楽曲完成に、いたりました
「東京ルーザー 〜 2020年のオリンピックを」
『東京ルーザー オリンピック』
↑
これで、ユーチューブ検索
きっと、泣けマス
2020年東京オリンピックで泣ける歌≠ヘ、
唯一無二、未来永劫、これでキマリだ! >>31
宣戦布告を行っていない
アメリカは日本と敵対していないと警戒していないところをいきなり攻撃
米軍は日の丸マークが見えてもまだ宣戦布告されてないから本当に日本なのかわからない
そういう相手の戸惑いを利用して攻撃が卑劣そのもの
軍団の汚点になると思わなかったんだろうか
国の利益も軍団の過去と未来の名誉も損なっている >>33
紫暗号は解読されてたんですよ。知らないはずないでしょ。
大使館の不手際は問題外として攻撃を待って米国民を参戦にもっていくのが狙い 生きて帰ってきて恥ずかしいって
ほんと洒落にならんなこの時代ばかりは 木内直さんは多分長男だから歓迎されたんだと思う。
うちのお爺ちゃんは七人兄弟だから迷惑顔。
送った写真は殆ど燃やされていたというお話でした。 >>34
宣戦布告してないが事実
米政府高官が知ってて基地の連中を見殺しにしたとかネトウヨがデマ流してるけど
アメリカ人は奴隷気質の日本と違うから
そんな裏切り行為があればどんな階級の政治家でもアメリカ市民に撃ち殺されてる
犠牲者など3人もいれば十分戦争の理由になる
非人道国家の日本人は3人死んだ程度でというんだろうが普通の国はそうだ
真珠湾の規模の被害を見過ごす理由がない 今時、宣戦布告なんてする戦争があるのかw(^o^)
第4次にわたる中東戦争に宣戦布告なんかなかっただろwww
ベトナム戦争にあったのか?
湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争にあったのか?なかったじゃないかw
その他の各地の数十に及ぶ内戦にあったのかwwwね〜よそんなもん、、、 勇敢な人は死に
腰抜けが生き残った
その結果が今の日本 >>39
絶対王政の国や独裁国の国家権力が行う戦争は、けっして自衛戦争ではない。
この場合、その戦争には何の正当性も成立しないからな。かつての中世の
時代の国王の戦争と同じように宣戦布告ぐらいもしてなかったから、国際的にも
容易に批難されまくってるというだけのことだ。まあ宣戦布告をしていたとしてもだな、
自衛戦争に該当していないから、いずれにせよ極東国際軍事裁判で判決があった
ように戦争犯罪に変わりはない。これが、国際法だ。
自衛戦争とは、あくまでも自国民の自由や生命をまもるために民主主義政府が
行う戦いのことだ。自国民の、すなわち自分の自由や生命を守るために自分で
行う戦争ならば、当然に国連憲章第51条でも公認されているように文明国の
誰もが容認出来る。自衛権は、文明国人類共通の基本的人権だからだ。
極東アジアの日本のような土人の国が特に注意をしなければいけないことは、
アメリカ合衆国のような民主主義国でなければ、けっして自衛戦争にはならないからな。
これが、国際法だ。
国連が制定した日本国憲法や日本国憲法第9条も、この国連憲章の主旨に
沿ってコピーしてあるだけだ。ようするにおまえら日本が憲法を変えたら、日本は
戦争出来ない国になることが間違いない。 >>27
朝日だけではなかった
大手の出版社は政府の監視下にあった
政府の意向に逆らうものは情け容赦もなかった
それが真実 >>5
そうしないと生きていけなかった時代だから悪いとは言えないんだよな。
今から見れば悪いんだけど当時としてはそれが正しかったわけだから。
100年後は今の資本主義時代をボロクソ言ってると思う >戦争が終わって良かった
これは本当。この気持ちがあって復興に繋がる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています