【北海道】マニアの胸躍る アイヌの城が人気、観光客は60倍に 根室市[11/16]
北海道根室市にあるアイヌ民族の城「根室半島チャシ跡群」(国史跡)がひそかな人気を呼んでいる。
「日本100名城」に選ばれた2006年度は観光客の姿もほとんどなく、07年度も50人だったが、ここ数年増加。
今年度は3千人を突破する見込みだという。
本土最東端の歴史ロマンに城マニアの胸も躍る。
「チャシ」とはアイヌ語で砦(とりで)や柵による囲いの意味。
16〜18世紀に造られ、見張りや祭事のほか、地域同士の談合(チャランケ)や集会、
サケの遡上(そじょう)を監視する場所としても使われたといわれている。
根室市歴史と自然の資料館によると、市内では32カ所のチャシ跡が確認されており、
24カ所(計9万4千平方メートル)が1984年、国史跡に指定された。
ほとんどがオホーツク海に臨む崖の上に築かれ、半円形か四角い壕(ほり)が巡らされている。
「さまざまな性質の土を積み重ねているが、今もしっかり残っている。
アイヌの土木技術の高さがうかがえる」とチャシの研究を進めている福田光夫・文化財主査(55)。
だが、地域住民にもあまり知られていなかった。
注目されるきっかけは06年。
財団法人日本城郭協会(東京)が
「北方の歴史や文化を考える上で重要」として「日本100名城」に選んだことだった。
城をリストアップしたスタンプ帳(同協会監修)も翌年発行。
北から順に番号が付けられたため、根室のチャシ跡群が1番目になった。
写真:「根室半島チャシ跡群」のひとつ、ヲンネモトチャシ跡。上空からは供え餅のような形にも見える
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20171116000653_comm.jpg
写真:イメージキャラクター「チャシ女子(チャシガールズ)」。根室市観光協会の職員がデザインを手がけた。
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20171116000660_comm.jpg
以下ソース:朝日新聞 2017年11月16日10時34分
http://www.asahi.com/articles/ASKC7646VKC7ULZU00Q.html いや、チョウセン文化をアイヌに紛れさせるなよ。嫌だなあ。
ゴールデンカムイもチョウセン文化をだいぶ混ぜているらしいし。
北海道のアイヌ協会なんか完全に侵食されてんだろ?いやだなあ。 >>89
アイヌ 朝鮮同和 100億円以上のぼったくり、無駄な税金が使われる
ユーチューブ 【DHC】虎ノ門ニュース 2019/6/7(金)上念司×大高未貴×居島一平
https://www.youtube.com/watch?v=Tc75IrYtlqI 他スレより
> チャシの分布見ると松前藩に近い道南地方はほとんどなくて道北や道東に行くほど多い
> アイヌの戦いというと和人との抗争がもっぱらのように思われているが
> 実際はアイヌ同士の抗争がほとんどで
> 和人地に近い道南アイヌはむしろ松前藩の庇護のもと他のアイヌより平穏な生活を送っていた 旭川の駅なんか明治時代にチャシあった場所をぶっ壊して更地にして建てたんやでw 国土交通省がきちんと仕事しないから自称アイヌのチョンに税金垂れ流し アホくさ チャシの分布みても
アイヌ同士の武装抗争こそが非常に多数だし
メナシクルなどアイヌ同士の抗争が発端で、シャクシャイン等の広めたデマに巻き込まれ、
民間の和人らも多数が虐殺された>>78 > 当時の樺太アイヌは清に朝貢して、見返りに妻を得ていたが、
> 冬に都へ来ると天然痘にかかるので、
( >>86 )
北方が中国からの感染症の脅威に晒されてたのは大昔から > 元朝は、樺太南端に前進基地として「果夥(クオフオ)」城を設けている。
> 西能登呂岬に遺跡が残る白主土城
この果夥(クオフオ)城は、侵略者アイヌが大陸まで攻めて>>65くるのを防ぐための城 土木技師と言うより、草木が生えない場所だから残ったんだろ >>65の件は
アイヌ(侵略者)に対し、元軍が船・ソリ(犬・トナカイなど)で何度も懲罰し、やっとアイヌは服従
かなり好戦的
https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/hakubutukan/education/d061522_d/fil/tatakai.pdf
●≫ アイヌはサハリンに侵入するだけでなく、
●≫ 大陸に渡って村々を襲い、略奪をおこなって. 元軍の手を焼かせていました >>77
信長の野望だと、安藤氏と蠣崎氏は同盟結んでるんだよなw
アイヌ繋がりだったか。 >>10
ヘタに見栄え良くすると熊みたいな奴らに噛みつかれるから、わざとだよ 偽アイヌ、恫喝
偽差別、、、、、、、、、、、、詐称、捏造歴史、捏造教育、詐称協会
謝罪? ただの恫喝ですよ、これは偽差別問題
本物は追い出され
偽物が謳歌する >>58
トパットゥミ(集落皆殺し・夜襲の風習)を行い、北千島や樺太を侵略し、
大陸にまで渡って原住民の村を襲撃していたアイヌだし、そりゃ抗争用の城くらいあるわな シャクシャイン戦争は日本人の傀儡になったアイヌ部族の戦争だ まあ、日本には、土着民は、エミシやアイヌだけでなく、だいたい各都道府県単位に土人部族がいる
アラエミシ
ニキエミシ
ツガル
アギタ(アギタの長オガ)
エミシの長コレハリのアザマロ
エミシの長アテルイ
ケヌ
ヌナカワ
カイ
モレヤ
ツチグモ
クズ
ヤツカハギ
オオグモ
タブラツヒメ
ウチサル
ウナサル
ヤタ
オニ コロナ拡散源…というには、ちょっと少ないか、三千人じゃ わざわざアイヌが清に朝貢>>86して
大陸から天然痘を持ち帰ってたくらいだし以前から拡大させてた アイヌの子熊なぶり殺しの儀式って見てみたい。もしかして半島から渡来した? 狩猟採取生活してたのに、どんな城かと思いきや
見張り台の土台跡だった >>77
> アイヌの歴史は鎌倉時代より古くに遡ることは出来ないことが、
> 文献・遺跡・分子生物学の成果からも明らかとなりました。
> https://www.familytreedna.com/groups/samurai-dna/about/background
日本では、アイヌは新参民だよ >>39
いま話題の、旧ソ連:ウクライナの歴史といえば「コサック」と「正教会」
(毛皮商人の支援により近代装備の)コサック兵により帝政ロシアが領土拡張し
蝦夷地にも到達したコサックは、各地のアイヌを征服し女性・毛皮を取立てた
※1770〜72年には、ウルップ島でアイヌが反乱起こし、ロシア人を多数殺害
≪コサック百人長:イワン・ チョールヌイ ≫
血ウHP: www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Hoppounenpyou.htm
> 1766〜69年 イワン・チョールヌイ、ウルップ島・択捉島に到達。
> 周辺のアイヌから毛皮を取り立て、さらに、過酷な労働を強いた。
> さらに、ウルップ島で多数の女性を集めてハーレムを作った。
ロシア系との混血は千島アイヌで
他は、13世紀ごろからアイヌがオホーツク系を侵略して広がった際の混血なのでは? >>81
12世紀ごろアイヌ(後発民族)が新成立し、様々な先住民を侵略・制圧するはるか以前
古来から北海道で和人勢力が大きかったようだ
≫ 北海道・奥尻島になぜ勾玉が!? 「オーパーツ」の謎解明へ
http://www.hokkaido-np.co.jp/article/679034
[この勾玉は、昔の有力者の副葬品とみられ、
3〜4世紀ごろに新潟県糸魚川産のヒスイで作られたということが分かっている]
[同時に出土した副葬品の水晶玉が8世紀のものと分かっており]
[また、8世紀ごろに現在の中国東北部やロシア沿海地方などを治めた国「渤海(ぼっかい)」の
日本使節団の水先案内人として
奥尻の船乗りが貢献し、謝礼として京都で受け取った勾玉を奥尻に持ち帰った、との説もある。] いやもうなんかねぇ、北海道の先住者が縄文人であると知って、
アイヌという言葉をみると、虐殺の二文字しか頭に浮かばなくなったよ。 >>124
様々な先住民は、アイヌ(新参民)に制圧されてしまったよ
北海道だと
オロンコ岩…「オロッコ」※アイヌがウイルタを指す際に使う蔑称
元ページ)「北海道斜里町オロンコ岩チャシのドローン写真測量と3次元モデル作成の予備実験
2.オロンコ岩チャシの概略」
> アイヌに伝わる伝承が残されている。
> 昔この島の上にオロッコ族(トナカイ遊牧を生業とするサハリン北東部の先住民族5))が住んでおり,
> 下を船で通るアイヌ目がけて石や木を投げて邪魔をしたが,
> 急崖で囲まれた島の地形を利用して防ぎ,なかなか追い払うことができなかった。
> そこで
★> アイヌはオロッコ族をこの島から下りさせるように,
★> 海草や魚を鯨のように積み重ねておき,見に下りてきたオロッコ族を皆殺しにした6)。
なお、千島方面のオホーツク文化人(先住民)を、アイヌ(新参)が侵略・同化していき
結果として『15世紀以降に』千島アイヌが新成立 アイヌ抗争はシャケの狩り場の縄張り争い
シャケを売った金で朝から酒を飲む為に同族
同士で殺し合ったアル中の怠け者民族がアイヌ
ちなみに男はアル中だがアイヌの女は働き者 ステマ
騙されたら愚か
マスコミ洗脳から覚醒しましょう。 ://youtu.be/8KsEMCjW6sA?t=2050
>>81 鎌倉時代にアイヌが成立するはるか昔、
「3-4世紀に新潟県産ヒスイで作られた勾玉」を持った民族が
8世紀ごろに、古墳を北海道に作ってた>>123 アイヌ(と呼ばれる諸民族)は
まず一民族でもないし、先住してたわけでもないが、鎌倉時代に新登場してから
樺太・北千島を侵略、さらに大陸方面まで他民族を襲撃して
アイヌ同士でも〔トパットゥミ(※夜襲・集落皆殺し)〕など、抗争・襲撃が盛んで戦闘的
城も多いかと アイヌは、東北でも人食いのオオカミ・クマ退治の専門家>>55として活躍して
各地に痕跡がある
本州アイヌと蝦夷錦にみる海峡往来
www.frpac.or.jp/about/files/sem1905.pdf
>クマやオオカミ、特にオオカミは和人が獲るのは難しか. ったようです。
>そこで、クマ退治、オオカミ退治をする. 時には、
>アイヌの人たちを動員してクマ狩り、オオカミ. 狩りをしました。 蠣崎氏≒渡党>>72(日本文化寄りのアイヌ)→松前藩(アイヌの一部族)