【北海道】マニアの胸躍る アイヌの城が人気、観光客は60倍に 根室市[11/16]
アイヌ同士でも殺し合いの抗争が酷かったが
アイヌは大陸や樺太までわざわざ海を渡って他の民族を侵略するほど勢いがあった 地域分断工作は、単に出身地が異なるだけの同一国民で殺し合いをさせるための布石。
ツチ族・フツ族間で勃発したルワンダ大虐殺が典型例である。
そこまでいかなくても敵対させることで外人が侵略しやすくなる。
薩長とか琉球とかアイヌとか言い出して対立煽ってるのは、寄生民族系やアカ系が仕掛けてるからな。
そういう潜入スパイが言ってる事だと見抜かないと、戦争を招いたり騙されて不幸になるぞー。
所謂ネット上の煽りネタとしての「トンキン」「大阪民国」「修羅の国」「グンマー」とは全く異質なものだぞ。
「トンキン」などは属地的なもので、東京都に住んでいれば、例え本籍が他道府県にあったり、外国人であっても
平等に「トンキン都民」としてm9(^Д^)プギャーされるが、
薩長とか琉球とかアイヌとか言っているのは属人的なものであり、部落差別と同様の悪質な差別主義だからだ。
これらの対象者がどこに住んでいても、関係ないからな。 >>72
渡島国は幕藩体制に参加してたけど、松前氏の前身安東氏はその前は津軽で十三湊の城主だったから、本州にいたときからアイヌ >>71
シャクシャインのは、利権巡るアイヌ内抗争 ⇒武装テロで民間和人虐殺
・メナシクルvsシュムクルの抗争激化 ⇒松前藩(本州人寄りのアイヌ集団)による調停失敗
・シャクシャインが
松前を悪者とのデマ流し、脅迫で武装蜂起して、民間の本州人(和人)を狙ってテロ
:「ウタフが疱瘡で没すると、シャクシャインは松前氏が毒殺したとして挙兵。」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~shuuzo2/kaisetu_5.htm
> ● 交易船員・鷹師・金堀など合計355人が殺される。
> 北方史史料集成第四巻と『渋舎利蝦夷蜂起ニ付出陣書』と『松前蝦夷一揆聞書』
> によると以下のような
> 「松前は我々の絶滅をたくらんでいる。今後の商船の貨物には毒が入っている恐れがある。
> 全ウタリは力を合わせ、シャモ(和人)を殺し、米・味噌を奪って兵糧にすること。
> アイヌモシリ(蝦夷地)から和人を追い出し、我々のモシリを取り戻そう。
> 参戦しないコタンはシャモよか先に殺す !!」 10世紀に北方から渡ってきた先住民族アイヌ(^^
ふざけすぎwww あ イヌ が来たって言ったらダメ
小学生の時先生に言われた 検索するとこんな↓のが
> 樺太アイヌは清に朝貢して、見返りに妻を得ていたが >>34
まず、オホーツク人との交雑によりアイヌ文化が生まれたが
大陸の影響も大で
アイヌは歴代中国王朝に朝貢>>65し、中国製の官服、ガラス玉、布など喜んだ
【北海道】樺太アイヌと清に朝貢関係、「カラフトナヨロ惣乙名文書」が国重文へ
http://www.yomiuri.co.jp/local/hokkaido/news/20190318-OYTNT50144/
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当時の樺太アイヌは清に朝貢して、見返りに妻を得ていたが、
冬に都へ来ると天然痘にかかるので、7〜9月に到着するよう諭す内容になっている。
中国語の1通は、清への朝貢が途絶えていたアイヌの氏族に来貢を促すよう、
他の氏族に依頼したもの(1818年)。
「幕府の役人だった徳内は、樺太アイヌが中国に朝貢していることを知って危機感を持ったはず。
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一つの家に三つの言語が書かれた文書が残っていたこと自体珍しく、
当時のアイヌと中国、日本の関係を示す学術的にも貴重な史料だ」と指摘している。 >>34 アイヌ(新参者)が、13世紀にオホーツク系との交雑で登場して拡大する以前
ウィルタ等のオホーツク系先住民の他、古代から和人の方が早く北海道に先住してた
https://www.t-komazawa.ac.jp/column/net/backnumber/04/index.html
> 『日本書紀』など
> 、日本古代の史料には「渡島」(わたりしま)という地名が登場する。
> はじめて「渡島」の記録が登場するのは、7世紀のこと。 先住民族を圧倒して13世紀ごろ広がった新民族アイヌのチャシ(砦)>>60 いや、チョウセン文化をアイヌに紛れさせるなよ。嫌だなあ。
ゴールデンカムイもチョウセン文化をだいぶ混ぜているらしいし。
北海道のアイヌ協会なんか完全に侵食されてんだろ?いやだなあ。 >>89
アイヌ 朝鮮同和 100億円以上のぼったくり、無駄な税金が使われる
ユーチューブ 【DHC】虎ノ門ニュース 2019/6/7(金)上念司×大高未貴×居島一平
https://www.youtube.com/watch?v=Tc75IrYtlqI 他スレより
> チャシの分布見ると松前藩に近い道南地方はほとんどなくて道北や道東に行くほど多い
> アイヌの戦いというと和人との抗争がもっぱらのように思われているが
> 実際はアイヌ同士の抗争がほとんどで
> 和人地に近い道南アイヌはむしろ松前藩の庇護のもと他のアイヌより平穏な生活を送っていた 旭川の駅なんか明治時代にチャシあった場所をぶっ壊して更地にして建てたんやでw 国土交通省がきちんと仕事しないから自称アイヌのチョンに税金垂れ流し アホくさ チャシの分布みても
アイヌ同士の武装抗争こそが非常に多数だし
メナシクルなどアイヌ同士の抗争が発端で、シャクシャイン等の広めたデマに巻き込まれ、
民間の和人らも多数が虐殺された>>78 > 当時の樺太アイヌは清に朝貢して、見返りに妻を得ていたが、
> 冬に都へ来ると天然痘にかかるので、
( >>86 )
北方が中国からの感染症の脅威に晒されてたのは大昔から > 元朝は、樺太南端に前進基地として「果夥(クオフオ)」城を設けている。
> 西能登呂岬に遺跡が残る白主土城
この果夥(クオフオ)城は、侵略者アイヌが大陸まで攻めて>>65くるのを防ぐための城 土木技師と言うより、草木が生えない場所だから残ったんだろ >>65の件は
アイヌ(侵略者)に対し、元軍が船・ソリ(犬・トナカイなど)で何度も懲罰し、やっとアイヌは服従
かなり好戦的
https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/hakubutukan/education/d061522_d/fil/tatakai.pdf
●≫ アイヌはサハリンに侵入するだけでなく、
●≫ 大陸に渡って村々を襲い、略奪をおこなって. 元軍の手を焼かせていました >>77
信長の野望だと、安藤氏と蠣崎氏は同盟結んでるんだよなw
アイヌ繋がりだったか。 >>10
ヘタに見栄え良くすると熊みたいな奴らに噛みつかれるから、わざとだよ 偽アイヌ、恫喝
偽差別、、、、、、、、、、、、詐称、捏造歴史、捏造教育、詐称協会
謝罪? ただの恫喝ですよ、これは偽差別問題
本物は追い出され
偽物が謳歌する >>58
トパットゥミ(集落皆殺し・夜襲の風習)を行い、北千島や樺太を侵略し、
大陸にまで渡って原住民の村を襲撃していたアイヌだし、そりゃ抗争用の城くらいあるわな シャクシャイン戦争は日本人の傀儡になったアイヌ部族の戦争だ まあ、日本には、土着民は、エミシやアイヌだけでなく、だいたい各都道府県単位に土人部族がいる
アラエミシ
ニキエミシ
ツガル
アギタ(アギタの長オガ)
エミシの長コレハリのアザマロ
エミシの長アテルイ
ケヌ
ヌナカワ
カイ
モレヤ
ツチグモ
クズ
ヤツカハギ
オオグモ
タブラツヒメ
ウチサル
ウナサル
ヤタ
オニ コロナ拡散源…というには、ちょっと少ないか、三千人じゃ わざわざアイヌが清に朝貢>>86して
大陸から天然痘を持ち帰ってたくらいだし以前から拡大させてた アイヌの子熊なぶり殺しの儀式って見てみたい。もしかして半島から渡来した? 狩猟採取生活してたのに、どんな城かと思いきや
見張り台の土台跡だった >>77
> アイヌの歴史は鎌倉時代より古くに遡ることは出来ないことが、
> 文献・遺跡・分子生物学の成果からも明らかとなりました。
> https://www.familytreedna.com/groups/samurai-dna/about/background
日本では、アイヌは新参民だよ >>39
いま話題の、旧ソ連:ウクライナの歴史といえば「コサック」と「正教会」
(毛皮商人の支援により近代装備の)コサック兵により帝政ロシアが領土拡張し
蝦夷地にも到達したコサックは、各地のアイヌを征服し女性・毛皮を取立てた
※1770〜72年には、ウルップ島でアイヌが反乱起こし、ロシア人を多数殺害
≪コサック百人長:イワン・ チョールヌイ ≫
血ウHP: www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Hoppounenpyou.htm
> 1766〜69年 イワン・チョールヌイ、ウルップ島・択捉島に到達。
> 周辺のアイヌから毛皮を取り立て、さらに、過酷な労働を強いた。
> さらに、ウルップ島で多数の女性を集めてハーレムを作った。
ロシア系との混血は千島アイヌで
他は、13世紀ごろからアイヌがオホーツク系を侵略して広がった際の混血なのでは? >>81
12世紀ごろアイヌ(後発民族)が新成立し、様々な先住民を侵略・制圧するはるか以前
古来から北海道で和人勢力が大きかったようだ
≫ 北海道・奥尻島になぜ勾玉が!? 「オーパーツ」の謎解明へ
http://www.hokkaido-np.co.jp/article/679034
[この勾玉は、昔の有力者の副葬品とみられ、
3〜4世紀ごろに新潟県糸魚川産のヒスイで作られたということが分かっている]
[同時に出土した副葬品の水晶玉が8世紀のものと分かっており]
[また、8世紀ごろに現在の中国東北部やロシア沿海地方などを治めた国「渤海(ぼっかい)」の
日本使節団の水先案内人として
奥尻の船乗りが貢献し、謝礼として京都で受け取った勾玉を奥尻に持ち帰った、との説もある。] いやもうなんかねぇ、北海道の先住者が縄文人であると知って、
アイヌという言葉をみると、虐殺の二文字しか頭に浮かばなくなったよ。 >>124
様々な先住民は、アイヌ(新参民)に制圧されてしまったよ
北海道だと
オロンコ岩…「オロッコ」※アイヌがウイルタを指す際に使う蔑称
元ページ)「北海道斜里町オロンコ岩チャシのドローン写真測量と3次元モデル作成の予備実験
2.オロンコ岩チャシの概略」
> アイヌに伝わる伝承が残されている。
> 昔この島の上にオロッコ族(トナカイ遊牧を生業とするサハリン北東部の先住民族5))が住んでおり,
> 下を船で通るアイヌ目がけて石や木を投げて邪魔をしたが,
> 急崖で囲まれた島の地形を利用して防ぎ,なかなか追い払うことができなかった。
> そこで
★> アイヌはオロッコ族をこの島から下りさせるように,
★> 海草や魚を鯨のように積み重ねておき,見に下りてきたオロッコ族を皆殺しにした6)。
なお、千島方面のオホーツク文化人(先住民)を、アイヌ(新参)が侵略・同化していき
結果として『15世紀以降に』千島アイヌが新成立 アイヌ抗争はシャケの狩り場の縄張り争い
シャケを売った金で朝から酒を飲む為に同族
同士で殺し合ったアル中の怠け者民族がアイヌ
ちなみに男はアル中だがアイヌの女は働き者 ステマ
騙されたら愚か
マスコミ洗脳から覚醒しましょう。 ://youtu.be/8KsEMCjW6sA?t=2050
>>81 鎌倉時代にアイヌが成立するはるか昔、
「3-4世紀に新潟県産ヒスイで作られた勾玉」を持った民族が
8世紀ごろに、古墳を北海道に作ってた>>123 アイヌ(と呼ばれる諸民族)は
まず一民族でもないし、先住してたわけでもないが、鎌倉時代に新登場してから
樺太・北千島を侵略、さらに大陸方面まで他民族を襲撃して
アイヌ同士でも〔トパットゥミ(※夜襲・集落皆殺し)〕など、抗争・襲撃が盛んで戦闘的
城も多いかと アイヌは、東北でも人食いのオオカミ・クマ退治の専門家>>55として活躍して
各地に痕跡がある
本州アイヌと蝦夷錦にみる海峡往来
www.frpac.or.jp/about/files/sem1905.pdf
>クマやオオカミ、特にオオカミは和人が獲るのは難しか. ったようです。
>そこで、クマ退治、オオカミ退治をする. 時には、
>アイヌの人たちを動員してクマ狩り、オオカミ. 狩りをしました。 蠣崎氏≒渡党>>72(日本文化寄りのアイヌ)→松前藩(アイヌの一部族)