もっと言うなら、AIが究極の進歩を遂げれば、作曲やアレンジその他私たちが今やっていることなんて
み〜んなコンピューターがやれるようになるわけで、でもそうなったら世の中面白くもなんともない。

技術はある一定のラインを越えると途端に味気なくなるのだと思う。

そこまでのことを人間が文明社会に求めることはないように思える。
ホーキング博士をはじめ色々な知識人が警鐘を鳴らしているが、「究極のAI」を人類が生み出すことはないと
私は信じている。

つまり、今「ちょうどいい」と感じるところを私たちは求めているんだと思う。ソフトウェアにしても何に対しても。
DAWなんてなかった時代の人が苦労して生み出したサウンドを、目の前でPC使ってあっさりとやってのけられたら
その人たちは何人かはきっと怒ると思う。

「そんなやり方は卑怯だ。面白くもない」

音楽理論その他の知識にしても「今の音楽」の常識に照らして必要だいや必要ないだ言ってるわけで、
音楽が変わればそれも変わるに違いない。

絶対的なものなど一つもないし、その人が求めるものならなんでもありだと思う。
そこに「これはかくかくしかじかな理由でこうあるべきだ」などという妙な倫理観みたいなものを持ち出すのがおかしい。

それって少なくとも「アート」とは真逆の方向だと思うよ。

DAWなんて、「仕事」をやっている人、「アート」だけをやっている人、いろんな立場の人が使っているものだし、
いろんな用途で、それぞれが便利だと思うから使っているんでしょう。

DPというDAWに限って言っても、使っている理由やバージョンアップに求めるものは人それぞれだし、その人たちの志向に
合わせてソフトウェアは変化していくものだと思います。