コラム
フィギュアに恋して

 日本のフィギュアスケートは長年、世界のトップレベルで争ってきた。冬季五輪では3大会連続でメダルを獲得し、男子の羽生結弦は2018年平昌五輪で2連覇がかかる。
日刊スポーツでは、そんな冬季スポーツの花とも呼べる競技をさまざまな角度から取材、分析し、長期連載を掲載していきます。

2017年11月25日8時0分 紙面から
伊藤みどりさん 五輪当日の朝、突然跳べなくなった

(写真)
92年2月、アルベールビル五輪 フィギュア女子シングルで銀メダルを獲得した伊藤みどりの演技

<日本フィギュアの歴史(9)>

 フィギュアはジャンプの時代に突入する。88年カルガリー五輪を終えると、5種類の3回転ジャンプは、もう伊藤みどり(48)だけの武器ではなくなった。
「同じことをしては勝てない。トリプルアクセル(3回転半)をやるしかない」。中学時代に一時封印した、女子初の大技に再挑戦する。

 手本は88年カルガリー五輪後のアイスショーで共演した現在羽生のコーチを務めるブライアン・オーサー(カナダ)ら男子トップ選手。帰国後も映像を繰り返し見て、スピードを出し、
高く遠くに飛び出すようなイメージを植え付けた。苦しい練習に、五輪後は引退と、近しい人に話したこともあった。だが、3回転半への衝動が、そんな考えを吹っ飛ばした。

 練習では中学3年時に3回転半を成功させている。難なく自分の武器にすると、88年11月のNHK杯などの国内大会で立て続けに決めた。翌89年3月の世界選手権(フランス)。
陣営には3回転半を回避する安全策を勧める声もあった。「失敗してもいいから、3回転半を跳ぶ」。本番では完璧に成功させて優勝。アジア人初の世界選手権制覇を実現した。

 90年には苦手の規定が廃止。「みどりの時代」と話題になったが、本人にとっては決して追い風ではなかった。「当たり前のようにショートから上位にいかなければと思っただけで、すごいプレッシャーだった」。
20歳を超え、膝、足首などのケガも増えた。「精神的に追い詰められた。やめたい、やりたくないばかり言っていた」。試行錯誤を乗り越え、92年アルベールビル五輪のシーズンを迎えた。

 「五輪で3回転半を決めて、絶対メダルを取る」。強い覚悟と集中力で、前哨戦はほぼパーフェクトに3回転半を成功させる。絶好調を維持して現地に入ったはずだったが、まさかの異常事態が起こる。
2月19日、ショート当日の朝練習。今まで完璧だった3回転半が突然決まらなくなる。「肩に力が入った。ジャンプする時間は1秒もない。微妙なタイミングの違いで失敗する」。重圧から絶不調に陥った。
ショートプログラムの3回転半は回避。3回転ルッツへの変更を決断する。安全策のはずが、本番では、その3回転ルッツで転倒。4位と出遅れる。「もう(日本に)帰りたかった」。追い込まれたまま、同21日のフリーに逆転を懸けた。

     ===== 後略 =====
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