東京新聞 夕刊 紙つぶて 2019.8.5

 大衆感覚で 粂川麻里生

 仕事で来た中国・マカオから、台風で日本に帰れずにいる。
苦境の私だが、街の人々は、明るく親切だ。マカオだけでない。
近年、私はアジアのいくつかの町で仕事をしたが、どこに
行っても、現地のひとたちの暖かさに、心の奥がほぐれていく
ような思いをする。

 三〇年以上前はこうではなかった。t日日ととして訪れた私に、
中国でも韓国でも、街の人は、総じて親切ではあったが、私が
日本人であることに気づくと、複雑な視線を投げかける人もいた。
ソウルの酒場で「あなたは日本人ですか」と、きれいな日本語で
話しかけてきたお年寄りがいた。彼は続けた。

「私はあなたが好きですよ。けれども、日本人が朝鮮でしたことで
 忘れらない嫌なこともありました。私は日本も好きだから、
 嫌なことも若い皆さんに覚えていてほしいのです」

 中国でも、上海から武漢に向かう長距離電車の中で、やはり
お年寄りに同じようなことを英語ではなしかけられたことがあった。

 今も、本当は過去の傷はある。それでも彼らの大多数は
「あなたが好きです」と言うのも忘れずにいてくれる。中国でも
韓国でも日本でも、一般大衆はケンカなんかしたくないのである。
感じ悪いのは、自らの無能を、隣国へのこわおもての態度で
ごまかそうとする「エラい人」や「カシコい人」たちだけだ。
           (「三田文学」副編集長)