月刊Hanada2017年10月号
【保守派への警鐘】
中西輝政 トランプが日本を覚醒させる
ttp://www.asukashinsha.co.jp/book/b313069.html
 つまり、保守派は、国内の左派をやっつけることに目を奪われ、彼らのような非武装中立派が「なくせ」と唱える日米同盟や
在日米軍基地の現状も、条件反射的に「何よりも大事なものである」と信じ込むようになり、「日本の国益」という視点を放棄し、
「アメリカの傘」だけを守ることに汲々とし、国家としての大局を見失うことが習い性になったのである。
        (中略)
 1950年代に米国務長官を務めたジョン・フォスター・ダレスは「反共」というよりむしろ、アメリカの典型的なグローバルな
覇権主義者であり、日本の占領政策に大きな役割を果たした人物だ。そのダレスに、1954年、鳩山内閣で外務大臣に就任した
重光葵は、当時、日本民主党幹事長を務めていた岸信介とともに会いに行った。
 1945年9月2日、ミズーリ号艦上であの屈辱の降伏文書に署名したことを恥じていた重光は、さすがに「天皇陛下の外交官」で
あった。ダレスを前にしても、日本の自衛体制についてこう述べたのである。
「われわれは、独立した国家としての体制を整える。いまはアメリカに守ってもらっているが、在日米軍は6年後には撤退して
もらいたい。その間にわれわれはきちんとした自主防衛の体制を整え、ソ連の脅威に対抗する」
 だが、これを聞いたダレスは顔を真っ赤にして怒り、概要をこう述べたという。
「日本のどこにそんな力があるんだ。アメリカが引き揚げれば、日本は一瞬でソ連の脅威に染まるだろう。グアム島すら守れない
日本が、アメリカと対等の相互防衛条約を結べるわけがない。もし今後もそのような考えを持ち続けるなら、我々も根本的に考え
を変えねばならない」
 いわば、「日本が自主防衛など考えるのは許さない」と恫喝したのである。その後、ダレスがある人物に宛てた手紙には、
日本の左派を強めなければ重光のような人間が多数、出てきて日本はアメリカから独立してしまう。こんなことになれば恐ろしい
日本が復活し、アジアは再び混乱に陥るだろう、という趣旨のことが述べられていた。
 つまり、ダレスは親米派だけでなく、陰に陽に日本の左派も助けることによって、左派・護憲勢力に常に一定の力を維持させ、
日本の左右の分裂構造を固定化することで日本が半永久的にアメリカに従属する下地を作ったのである。一方、この時のダレス
の恫喝は、岸信介の原体験になった。アメリカの本心を知ったからこそ、岸はあれだけの反発を受けながら日米安保を対等な
ものにするために安保改定を行ったのである。
 この重光と岸の体験こそ、日本の保守が絶対に忘れてはならない原点のはずだ。
        (中略)
 前述のように、「アメリカの傘」にはたしかな物的担保は存在しない。しかしそれ以上に考えるべきこととして、世界を見渡してみ
れば、アメリカの核の傘もなく、同盟すら結んでいないにもかかわらず、独立国家として立派に存続している国はいくらでもある。
たとえばベトナムなどはもちろんアメリカとの同盟関係を持っておらず、日本以上に中国の脅威を肌身に感じている国の一つだ。
        (中略)
 南シナ海を巡る摩擦は東シナ海以上の状況だが、しかしベトナムは全く怯んではいない。アメリカの「核の傘」などないが、
中国とロシアの間でバランスを取りながら、独立独歩で自国の国益を守っているのである。
 では、なぜそのような独自外交が可能なのか。それは、仮に中国が領土を侵せば、ベトナムは最後の一兵まで戦い、最後の
最後には国土を枕に討ち死にする覚悟を持っているからだろう。
 ベトナムだけではない。中国の強大化を目の当たりにしながら、モンゴルも、ミャンマーも、中国周辺のどの国であっても、
その国の国民の覚悟と気概によって独立を保ち、そのうえでバランス外交やあらゆる手段を使って生き延びる方策を立てている
のである。
 なぜ日本だけがそのような気概と覚悟を持ちえないのか。
《続く》